地域に必要とされる養豚業でありたい
G・ファームは母豚を400頭飼育し、年間約9000頭を出荷する。10年以上前から「田原ポーク」という独自ブランドで販売してきた。田原市は市町村別の農業産出額が日本一(2018年、農林水産省調べ)で、養豚も盛んだ。
「これまでは農業が栄えていて、自分たちの方から情報発信する必要も感じなかったのかもしれない。けれども、今後のことを考えると、こういう恵まれた地域でもやっぱり、後継者不足という問題はある。田原で農業をやることが、ステータスになるくらいにしたいと、名前をつけた」
鈴木さんは「田原ポーク」と命名した理由をこう語る。農業関係者の間では、田原の農家といえば儲かっているイメージがある。けれども、一般の消費者となると、田原の認知度はあまり高くない。
鈴木さんは養豚農家の長男として生まれ、1985年に家業に入った。畜産は3K(きつい、汚い、危険)の職場とされがちで、地域によっては近隣住民から迷惑がられることもある。G・ファームの周囲は養豚業に理解のある地域だったけれども、他地域での同業者の苦労を見聞きしてきた。「地域に必要とされる養豚業でありたいという思いが常にあった」と振り返る。
配合飼料に使われる穀物は、ほとんどが輸入物だ。1キロの豚肉を作るのに必要な穀物は7キロくらいになる。
「それだと、ふつうに考えたら肉を輸入する方が効率的じゃないかと若いころは思っちゃったりしてね。父親が元々パンくずなどを自家配合して、ほかとは違うおいしい肉にすることにこだわっていた。自分の代でそのやり方に特化して、国内にある食品副産物――通常であれば廃棄や肥料になってしまうもの――を、エサにして良質なタンパク質を生むという社会的な意義を果たせるよう、的を絞った経営にした」
今では、周辺地域で出る食品残さなどから液状の発酵飼料を作って豚に与える「リキッドフィーディング」をしている。輸入トウモロコシの代わりに、パンなどの麦類を中心にイモ、コメなどを自家配合する。
田原の名前を全国にとどろかせる
田原ポークは、エサに含まれる油分とでんぷんの質にこだわることでオレイン酸が豊富に含まれ、豚肉の脂肪の融点が35度と低いのが特徴だ。オレイン酸は食味を良くし、コレステロール値の上昇を抑えるとされる。また融点の低さは口溶けと舌触りの良さにつながる。さっぱりしていて味わい深いという、田原ポークのおいしさの理由でもある。
「オレイン酸が増えれば融点が下がるので、なるべく融点の低い肉を作っている。あまり低いと、クレームが来るけれど」
鈴木さんはこう言って苦笑する。かつて豚肉は、固くしまった脂が評価された。肉屋でスライスといった加工がしやすいからだ。
「今では、この方がおいしいし、健康にもいいということを卸にも理解してもらいながら、一緒になって歩んでいる」
知名度は徐々に上がり、中部圏で田原ポークを扱うレストランが増えてきた。2018年から、ハム、ウインナー、パテといった加工品を自前で生産する。地元の直売所に棚を持つほか、自社のキッチンカー「WARATON(ワラトン)」も持つ。加工品は、田原市のふるさと納税の返礼品にもなった。
「地元ではブランドを認知してもらえている。ただ、あくまで田原の名前を全国にとどろかせるのが目標なので、そういう意味ではこれから」(鈴木さん)
名前について、豚肉の食味を前面に押し出したネーミングの方が良いのではないかと迷った時期もあった。関東のレストランのシェフに試食してもらう機会もあり、味には納得してもらえたものの、ブランド力で難色を示されたからだ。
「食べておいしいのはすごく分かる。ただ、田原ポークとして提供した場合に、田原の知名度、ブランド力がないし、お客さんに納得してもらえないと言われて……。悔しい思いもしたしね」と鈴木さんは当時を振り返る。
長男でG・ファームで働く雄大(ゆうだい)さんとも相談し、「自分の代は田原ポークで行く、と決めた」。なんといっても地元を盛り上げたいからだ。
三河地区(愛知県東部)の養豚を活性化しようと、生産者や卸、加工業者らと共に「三河トコ豚(とん)極め隊」を結成した。2020年はコロナで中止になったけれども、例年、豚の丸焼きや解体、ソーセージ作りといった体験のできるイベント「三河トコトン豚祭り」を開く。
「地域ブランドの力が上がれば、経営はおのずと安定する。田原ポークがほしいとバイヤーに言わせたい」
田原ポークや地域の養豚の現状を熱く語る鈴木さんだが、就農当初は養豚業への思い入れは強くなかったという。それが大きく変わったのが、仲良くしていたある同業者の廃業だった。その男性は、豚のことが大好きで、豚のグッズを収集し、寝ても覚めても豚のことを考えているようなタイプだった。ところが、養豚を取りまく環境の冷え込みに、さまざまな要因が重なり、自己破産に追い込まれてしまう。
あんなに豚を愛していた男が廃業した。それに引き換え、自分はこんな状態でいいのか。そう痛感したことが、鈴木さんのやる気に火をつけた。
アボカドの産地化を引っ張るリーダーに
ところで、G・ファームの事務所を訪れ、真っ先に目に入ったのは机の上に積まれた分厚い熱帯植物の本だった。聞けば、鈴木さんは日本熱帯果樹協会の会員で、「アボカドを産地化したいと、近く先進地の鹿児島県を視察する」という。アボカド栽培というと、養豚からだいぶ飛躍があるようだが、鈴木さんにとっては「養豚のため、地元のため」という一貫した軸の上にある。
きっかけは、畜舎からの排せつ物を全量バイオマス発電に利用するようにしたことだ。
「養豚から出る排せつ物は、当然堆肥(たいひ)にはなるけれど、一般的に臭いの問題や河川の汚染につながりやすい。バイオマス発電によって、そこからエコなエネルギーが生まれれば、日本で養豚をやる意味につながってくると思って、どうしてもやりたかった」(鈴木さん)
発電の過程で出る熱を、ハウスでの栽培に利用しようと考えた。もともと果物の栽培を考えていたが、日本熱帯果樹協会の活動に参加する中で、鈴木さんはアボカドに可能性を感じたと話す。
「国内需要もどんどん伸びているし、輸入されている品種がほぼ1種類だから、品種での差別化もできる。何より豚肉とも絡めやすい」
田原市の位置する渥美半島は気候が温暖で「常春(とこはる)」とも呼ばれる。そのイメージにもぴったりだ。
アボカドの産地化は、田原の農業の活性化のためでもある。田原は電照菊の産地として有名だが、近年は農家数、出荷量共に右肩下がりだ。加えてコロナ禍で葬儀を簡易にする流れが生まれ、需要のさらなる減少が心配されている。農家の高齢化も進んでおり、今後ハウスの空きがかなり出てくると見込まれる。「将来を見越して、産地を作るということを、今からやっていけたら」と考えているのだ。
自ら国内の先進地を回るだけでなく、地元に熱帯植物の専門家を招き、アボカド産地化のためのセミナーも開く。セミナーには農家が100人ほど来場し、好評だったという。
「とにかく田原を知ってもらいたい」
この一心で、養豚から熱帯果樹まで、縦横に挑戦を続ける。