過疎化が進む山あいの集落で
Wakka Agriの田んぼがある伊那市長谷は、市中心部から車を30分ほど走らせた山あいにある地域です。南アルプスの登山口があり、夏は登山客でにぎわいます。ただその一方で、集落は高齢化と過疎化が進み、遊休農地も増えています。
「ここは自然栽培をするには最適な場所ですよ」。同社の統括マネージャー細谷啓太(ほそや・けいた)さんは、そう言います。
メリットの一つに、南アルプスから来る沢の水を田んぼに使えるので、平野部と比べて水がきれいな点が挙げられます。また、標高約1000メートルで昼夜の寒暖差が大きく、「昼はたっぷりと光合成をしてデンプンの元を蓄え、夜は体を休めることで無駄な消耗を抑えられる」(細谷さん)コメの生育に適した環境です。
Wakka Agriがこの場所で農業を始めたのは2017年。「the rice farm(ザ・ライス・ファーム)」のブランド名で、当初から一貫して肥料と農薬を使わずにコメを栽培しています。作業の中心は細谷さんら社員とアルバイトの計6人です。5月半ばに田植えをしてから7月末まで、乗用の除草機でこまめに草を刈り続けます。自然栽培の研究で博士号を持っている細谷さんですが、「栽培には今も苦労しています」とのこと。毎年新たな課題が見つかって、次の年に改善策を考える。「今もその繰り返しです」と教えてくれました。
海外のニーズから逆算して考える
Wakka Agriは、海外で日本産のコメを販売する「Wakka Japan(ワッカ・ジャパン)」(北海道札幌市)の農業部門を担うために発足した農業生産法人です。Wakka Japan創業のきっかけは、代表の出口友洋(でぐち・ともひろ)さんが、仕事で香港に駐在していた時、「海外でも日本と同じくらいおいしいお米を食べられるようになったらいいのに」と考えたことでした。
最初は、香港でコメを精米して販売する事業から始まりました。販売拠点は現在、シンガポール、台湾、ハワイ、ベトナム、ニューヨークに広がっています。Wakka Agriのポリシーは「海外のニーズから逆算してコメを作る」です。そのニーズとは、「海外にはおいしい玄米を求めている人がいる」ということ。
細谷さんによると、海外、とりわけアメリカには、「体にいいものは余分にお金を払ってでもほしい」と考える人が多いそう。そこで、Wakka Agriでは、栄養価の高さが特徴のコメを栽培することにしました。
健康志向にぴったりはまる「カミアカリ」
Wakka Agriの田んぼは、合わせて6ヘクタールほど。そこで、白毛(しらけ)もち、SK6(スケロク)、ササシグレなど、こだわりの4品種を栽培しています。その中で、今回、玄米どぶろくにも使用する「カミアカリ」は、生産者が5軒しかいないという非常に珍しい品種です。
そもそも玄米とは、わたしたちが普段食べているお米のように精白されていない状態のコメのことを指します。「胚芽」と呼ばれる隅っこの白い部分が残っていて、この部分に栄養が詰まっています。カミアカリは、この胚芽の部分が通常より3倍程度大きく、ビタミンB、ビタミンE、食物繊維、GABA(ギャバ)といった栄養素が多いことが分かっています。つまりカミアカリは「海外の健康志向の人にぴったりはまる品種」というわけです。
では、どうしてそのカミアカリを加工食品にしたのでしょうか。その答えは「コメの魅力をもっと多くの人に伝えたいから」(細谷さん)。
近年は日本食ブームを背景に、アメリカ人でも箸を使えるのは当たり前。炊飯ジャーがある家庭もそう珍しくはなくなってきているそうです。とはいえ、日本のようにコメを炊いて食べることが海外で習慣化しているわけではありません。そこで、もっと手軽にコメを口にできる加工食品にすることを考えました。
素材の味を生かす、酒造りのこだわり
これまでに商品化してきたのは、切り餅、ポン菓子、甘酒、日本酒。いずれもカミアカリという素材をどう生かすかにこだわった品々です。通常、日本酒を造るには、仕込み前の精米の段階でコメの外側を削って芯の部分を使います。そうすることで、雑味のない、すっきりした味わいになるためです。一方、玄米を原料にする場合は、その真逆を行きます。コメをなるべく削らないようにして、素材の味を生かして仕上げます。
今回のどぶろく造りは、東京の醸造所に委託しました。どぶろくは、コメ・麹(こうじ)・水を原料にしてアルコール発酵させて造る点は日本酒と同じですが、最後にもろみをこさないことがポイントです。玄米で造るどぶろく自体が珍しく、原料に希少種のカミアカリを使っているため、「唯一無二の存在になる」と細谷さんも期待しています。出来上がったどぶろく約200本は、2021年5月をめどに香港とシンガポールで販売する予定です。カミアカリの加工品シリーズの売れ行きは上々で、どぶろくも販売状況を見て、増産するかどうかを検討します。
世界に広がる販売網、国内もネット販売へ
Wakka Japanのコメの販売戦略は、①確実に需要が見込める在留邦人の多い国・地域を選ぶ、②在留邦人から現地の人への口コミで評価を広げる、という2段階で考えています。そのため、まずは駐在などの日本人が多い香港、シンガポール、台湾に出店。その後、ハワイ、ベトナム、ニューヨークに販売拠点を増やしてきました。Wakka Japanとしては、今後も海外の販売拠点を増やしていきたいとしています。
2020年は新型コロナウイルスの影響で、一時、飲食店からの注文がストップしました。しかし、その一方で、個人向けのインターネット販売が好評だったため、それほど大きな影響は出なかったそうです。これまでは海外での販売しか取り扱ってきませんでしたが、国内でも「Wakka Agriのコメを食べてみたい」という声が寄せられるようになったので、この春から数量限定でインターネット販売を始めることにしています。
日本では、とりわけ年配の方々にとって、玄米は「白いごはんが食べられなかった時代のもの」というネガティブな印象を持たれがちな存在です。30代の細谷さんも、栽培に関わるようになるまでは、「縁遠い存在だった」と言います。その玄米が、いわば「逆輸入」のような形で、国内で求められるようになったわけです。
「日本人がコメを見つめ直すきっかけになったらいいですね」と細谷さん。Wakka Agriの挑戦はこれからも続きます。