イネの茎の長さをデザインできる
■永井啓祐さんプロフィール
2012年、名古屋大学で博士号(農学)を取得。19年から現職。作物の耐水性メカニズムの解明と応用、作物の収量増加などを研究する。高校時代に生物に没頭し、気候変動に耐えられる「スーパー作物」を作りたいと、遺伝子をはじめとする分子のレベルで生物を解明しようとする「分子生物学」を志した。 |
「ちょっとおごりがあるかもしれませんけど、イネの茎の長さは、ちゃんとデザインできるんですね。伸ばしたいなら伸ばせるし、草丈を低くしたいなら、それもできます。交配によって遺伝子を導入してやれば、食味を変えずに草丈を変えることは、可能です」
永井さんがこう説明する。茎の長さを正確にコントロールすることは、これまで不可能だった。そもそも、伸びはじめる理由がよく分からなかった。その謎を明らかにし、原因の遺伝子を特定したので、理論上は狙った茎の長さにイネをデザインできるのだという。
イネの茎の伸長という謎に、日本人はなんと100年がかりで挑んできた。およそ100年前、植物ホルモンのジベレリンが作用することを日本の研究者が発見する。イネの茎が徒長してしまう「ばか苗病」の菌を研究し、ばか苗病菌がジベレリンを作ると分かったのだ。が、50年ほど前、やはり日本の研究者が「ジベレリンによる茎の伸び方はイネが年齢(月日)を重ねるごとに大きくなる。茎が伸びるのにはジベレリンがあるだけではなく、イネがジベレリンを感じる力を決めている何かがあるはずだ」と考えた。肝心の「何か」は謎のままだった。
多くの教科書や解説本は、植物にジベレリンを与えると、茎も葉も伸びると解説する。が、実際にはふつうのイネにジベレリンをかけても、茎はごくわずかにしか伸びず、葉だけ伸びる。ところが、永井さんが研究材料にしていた“あるイネ”にジベレリンをかけると、茎がぐんぐん伸びた。
「50年前に見つかった、イネの加齢とジベレリンによる茎の伸長能力の向上という現象を決める『何か』が、この違いを比較すると分かるんじゃないか。そう思ったのが、研究の発端です」(永井さん)
研究材料は「浮きイネ」だ。東南アジアのタイやカンボジアなどで、洪水が起きて田んぼが数カ月水没するのを見越したうえで、作付けされる。洪水になると、水の中で酸欠にならないよう、すさまじい勢いで茎を伸ばし、水面の上に葉を茂らせる。沼地にしか見えない環境でも、穂を実らせる。
農家は水深によって、水につかりながら、あるいは船を浮かべて収穫する。水が早く引くと、茎が長すぎてイネはもちろん直立できないが、穂は重力に逆らって上に向かって伸びるので、やはり収穫できる。「タイの浮きイネの研究所を訪れると、6メートルくらいの高さまで伸びた、浮きイネの標本を見せてくれたんです。こんなイネがあるのならと、研究に没頭しました」と永井さんは振り返る。
大麦、小麦、サトウキビまで応用可能か
永井さんたちが研究で明らかにしたのが、茎が伸びるうえでアクセルとブレーキになる遺伝子があるということ。ACE1(エースワン)というアクセル役の遺伝子と、DEC1(デックワン)というブレーキ役の遺伝子があるのだ。ジベレリンの量が多く、かつエースワンがあると、茎の伸長が起こる。ただし、ブレーキ役のデックワンがはたらくと、茎の伸長は起きない。通常のイネも浮きイネも、この2つの遺伝子を持つ。
ふつうはイネの茎があまりに伸びると、倒伏しやすくなって、栽培に都合が悪い。そのため、日本をはじめ多くの地域では、先人たちが草丈が伸びないものを選んで栽培してきた。日本で栽培されるイネは、どれもデックワンを持つ。一方のエースワンも持っているけれども、変異が起きて機能しない。だから、ジベレリンが十分にあっても、茎が伸びないのだ。
かたや、浮きイネは成長期になると、デックワンの発現が抑えられる。「車に例えるなら、ジベレリンというガソリンがあって、ブレーキが外れ(デックワンが抑制され)、アクセルが踏まれる(エースワンが発現する)ので茎が伸びる」(永井さん)というわけ。
永井さんたちは2つの遺伝子のほかにも、ジベレリンを作る量を決める遺伝子1つと、浮きイネに特徴的な遺伝子2つの計5つの遺伝子を特定した。
遺伝子の特定により、イネのみならず、茎がイネと同じ構造になっているイネ科作物であれば、茎を伸ばすことができるかもしれない。
永井さんは「茎が収量に影響するサトウキビや、糖を生産するためのソルガムを大きくしたいときに、イネで見つけた遺伝子を応用することが可能ではないか」と話す。
洪水に打ち勝つイネも作れる
長期の洪水に耐える浮きイネは、収量が少ないという欠点を持つ。そこで永井さんたちは、ジャポニカ米と浮きイネを何年もかけて交配し、親であるジャポニカ米の性質を引き継ぎ洪水耐性を持つイネを作り出した。遺伝子組み換えではなく、DNAの違いを目印に、狙った遺伝子を持つイネを選別する遺伝子マーカー(DNAマーカー)技術を使って、先述の5つの遺伝子を導入したイネを作り出したのだ。
「一般的な稲は、3カ月間ずっと洪水環境に置いておくと、腐って、なくなってしまいます。一方、浮きイネの5つの遺伝子を導入したイネは、洪水に適応して草丈を伸ばしています。この実験では、洪水環境で3カ月間育ったイネの収量は、一般的なイネがふつうの状態で育った場合の収量の89%でした」永井さんはこう説明する。
つまり、洪水に遭う地域でも、ある程度の収穫が見込めるという。
「日本だと、コメは食味の追求やブランド化が進んでいます。土地の傾斜が急で、水が長期にわたって農地に停滞することも、まずありません。ですからこういう技術は、東南アジアや西アフリカ、ケニア、エチオピアといった洪水で苦しんでいる地域に対する貢献の方が大きいかもしれません」
世界に目を向けると、干ばつと洪水が農業の二大環境ストレスと言っていい。洪水は今後増えると予想されている。
「気候変動が起きる、洪水が起きると言われているのに対して、植物科学から何か貢献できることがあるはずだというのが、将来的な構想ですね。今ある農地の環境が悪化したときに、洪水に打ち勝つイネ、あるいはイネ科のほかの作物も、作ることができると思っています。洪水を理由に農業をあきらめる必要は全然なくて、洪水に特化した育種をしていれば、今ある農地を捨てて、山を開拓するという新たな環境破壊をすることなく、農業生産の継続に貢献できるはずです」(永井さん)
「まだ漠然とした夢に過ぎませんが」と前置きしつつ、永井さんは「洪水に適応したイネの小麦版や大麦版、つまり浮き小麦、浮き大麦みたいなもの……そういう作物を開発する可能性もあるのかな」と語る。
水を張った田んぼで小麦が育つ?
イネ科の植物というのは、実に幅広い。穀物だと小麦、大麦、トウモロコシ、アワやヒエなど。竹やサトウキビもそうだ。
イネの茎がなぜ伸びるか、100年来の謎を解明した永井さん。が、まだ解けていない謎があるという。
「イネの茎がなんで酸素を通せるかって、全然わかっていないんです。竹もイネ科なので、茎の構造を竹を例に説明すると、竹はポンと切ると、節がありますよね。イネも竹も節と節の間が伸びるんです。その節間がなんで伸びるかという話を、今日はずっとしてきたわけです。ふつう、節の部分は竹のように遮断されていて、空気が通れないんですよ」
イネ科の植物は、節1つにつき葉が1枚出る。竹はすべての葉が空気に触れていて、光合成や呼吸ができるから、節の間を空気が通る必要はない。
「ただ、イネみたいに一部が水没したら、節の部分が空気を通さないと話になりません。なんで節のところを空気が通れるのか、全然わかってないんですよ」
永井さんはこの謎と取っ組み合っている最中だという。
「節の空気の透過性を、イネはなぜ作れて、ほかのイネ科作物は作れないのか明らかにできたら、水田みたいに水を張ったところで小麦も育てられるんじゃないか。そうすると、病害虫や連作障害の発生を、ある程度軽減できるかもしれません。いつか水田で小麦を育てられたらというのは、これは完全に妄想ですけどね」
かつて、環境変動に打ち勝てて、かつ栄養価の高い「スーパー作物」を作りたいと夢見て、研究の世界に飛び込んだという永井さん。
「洪水に打ち勝つイネや水を張った状態で育つ麦が作れたら、『スーパー作物』を作ったって感じになるかな」
こう言って、いたずらっぽく笑って見せた。