どんなトピックスが取り上げられたのか
農業白書は1999年に制定された食料・農業・農村基本法にもとづき、農水省が作成する行政文書だ。基本法は政府がこの文書を閣議決定し、国会に提出することも定めている。農政にとって年に1度の重要な文書だ。
白書は各年度の農政の総括であり、ニュース性に関して言えば基本的には「既報」の内容。ここで突然、新たな政策が公表されるわけではない。ただ白書にはそれとは別の価値がある。農業分野でその年に起きたことの全体像を把握するとともに、農水省が何に注目したのかを知ることができるのだ。
例えば、2014年度の農業白書は、東京で就農した若者たちのグループ「東京NEO-FARMERS!(ネオファーマーズ)」を取り上げた。都市農業振興基本法が成立したのが、白書を公表する直前の2015年4月。彼らを紹介した背景には、都市農業を応援しようという機運の高まりがあったと見られる。
そこで2020年度の農業白書に目を通してみると、トピックスの一つとして早くも「みどりの食料システム戦略」を取り上げている点に気づく。
持続可能な1次産業の実現を目指し、農薬や化学肥料の削減などを打ち出したこの政策指針を、農水省は2021年5月に決定した。白書が解説したのは、指針の原案として3月に公表した「中間とりまとめ」の内容だ。中間段階にもかかわらず載せたことは、この政策をいかに重視しているかを示す。
ちなみに、有機農業に初めて触れたのは1987年度の農業白書。有機農法で栽培した農産物を、産直で消費者に販売する取り組みなどを紹介した。「みどりの食料システム戦略」は有機農業の推進を今後の農政の柱にしているが、農政の中心に位置づけられるようになるまでには長い時間がかかったことがわかる。
「植物新品種の海外流出対策」もトピックスの一つに挙げた。政権が力を入れる農産物の輸出戦略を、知的財産保護の観点から支える政策だ。
ここで解説しているのが、2020年12月に成立した改正種苗法。法律の内容について誤った見方が一時広まり、成立が危ぶまれたこの法律の意義について「新品種を活用した海外展開の選択肢が広がる」と強調した。改正法が施行され、白書に掲載できたことへの安堵(あんど)の気持ちが読み取れなくもない。
43ページにわたりコロナの影響を特集
トピックスの後には、「新型コロナウイルス感染症による影響と対応」というタイトルの特集が続く。43ページにわたるこの特集は、農水省が2020年度の農業白書の作成にあたって最も力を入れた部分と言っていいだろう。
白書を読めば、農業分野でその年に起きたことの全体像を把握することができると上に書いた。実際この特集を読めば、農業を含む食品関連産業にコロナがどう影響し、農政がどう対応したのかを知ることができる。
とくに評価すべきは、コロナ関連の官民の調査を数多く集め、食と農の動きをデータから浮き彫りにしようと努めている点だ。豊富な調査結果を通して、「コロナの影響」にはさまざまな側面があったことを示している。
例えば、日本フードサービス協会によると、2020年の外食産業の売上高は前年比で15.1%減った。これに対し、全国スーパーマーケット協会などの調査によると、スーパーの食品の売上高は2020年2月以降増加が続いた。外食を控えて家で食事をする機会が増えた影響で、両業態は明暗を分けた。
これに関連するのが、コロナで飲食店などの売り先を失った農水産物を消費者が購入する「応援消費」の動向だ。流通経済研究所の調査によると、消費者の1割が応援の意味を込めて農産物や水産物を購入したという。
応援消費そのものは、生産者がコロナで打撃を受けたというマイナスの事態のもとで起きた。だが一方で、生産者に対する消費者の共感が購入のきっかけになる可能性を示したと見ることもできる。コロナ後の農産物のマーケティングを考えるうえでも、応援消費は重要なキーワードになるだろう。
農業現場の動きに関しては、インターネット販売で活路を開いた農家の例などを紹介している。中でも注目したいのが、人手不足への対応だ。
コロナで外国人技能実習生が入国できなくなり、多くの産地が労働力不足に陥った。これを受け、佐久浅間農業協同組合(長野県佐久市)は人手が余った地元の旅館組合などと連携し、人材のマッチングを支援した。全国農業協同組合連合会(JA全農)もJTBと組み、同様の取り組みを開始した。
人手不足は農業の構造問題であり、コロナによる人の移動の制限がそれをいっそう深刻にした。実習生の入国は2020年の秋ごろから回復基調にあるが、人手の確保はこれからも農業にとって課題であり続ける。他産業との間で人材の融通が始まったことを記した内容には資料としての価値がある。
「昔の白書は政策やデータに関してより踏み込んだ分析があった」
白書は当然、コロナ禍への農政の対応にも触れている。災害を受けた生産者を対象にした日本政策金融公庫の「農林漁業セーフティネット資金」の貸付限度額の引き上げや、牛乳の消費拡大を呼びかけるキャンペーン、食品をインターネットで販売する事業者を対象にした送料支援などだ。
個々の政策の詳しい中身は書かれていないが、紙幅の限られた白書にすべてを記すのは限界がある以上、やむを得ないことだろう。むしろ知りたかったのは、支援策を利用した生産者の数や投入した財政資金の金額などだ。
その点について何らかの解説があれば、農政全体の中でコロナの影響がどれだけのインパクトがあったのかを、より具体的につかむことができただろう。コロナがなお収束してない現時点で、それが難しかったのは理解できる。2021年度以降の白書では、全容がわかるような特集を期待したい。
最後になるが、この記事を書くにあたり、「白書の意義」について筆者が意見を求めた知人の農業研究者の言葉を紹介しておきたい。彼によると「昔の白書は政策やデータに関してより踏み込んだ分析があった」という。
確かに今回の内容は事実を淡々と書いたという印象が強く、新たな発見と言えるようなものは少ない。だが官僚が政策決定を主導していた時代と比べ、いまは政治の力が格段に強く、とりわけ官邸の影響力が増している。政策について白書で「踏み込んだ分析」をするのは以前と違って難しいだろう。
そうした中、数多くのデータを駆使し、さまざまな事例を集めた内容には一定の資料価値があると感じている。数年後、コロナの影響を確認したくなったとき、事態を網羅的にふり返るための手がかりには十分なると思う。