作物向けにはない畜産向けシステムの難題
まず今回取り上げるスマート農業の技術から説明しよう。
システムが対象にしているのは、養豚や養鶏などの畜産業。IT(情報技術)企業のセラクが提供するシステム「ファームクラウド」だ。
セラクはもともと野菜などのハウス栽培を対象にしたシステム「みどりクラウド」を2015年に発売し、普及を進めてきた。温度や湿度、二酸化炭素の濃度などをセンサーで測り、クラウド上で管理。データをもとにハウス内の環境を最適に保つためのシステムで、すでに2500カ所の農場に導入ずみだ。
セラクによると、みどりクラウドのサービスを始めた後、養鶏農家などから「畜産でも使えるシステムを開発してほしい」という要望が寄せられるようになった。だが、もともと作物の栽培用に作ったシステムだったため、畜産向けにアレンジして実用化するまでにはしばらく時間がかかった。
難点の一つは、機器がホコリに弱い点だった。みどりクラウドはセンサーで測ったさまざまなデータを、ハウスに設置した通信用のボックスを通してクラウドに送る。当初はこのボックスの防塵(ぼうじん)性が低かったため、家畜が動いてホコリが立ちやすい畜舎では使いにくかった。
セラクはこの難点を克服するため、センサーにつないだケーブルをボックスに接続する部分の隙間(すきま)を完全になくし、ホコリが中に入るのを防ぐよう機器を改良。まずみどりクラウドの改訂版として発売し、続いて畜産向けのシステムにも取り入れて2020年にファームクラウドを発売した。
2つのシステムは測るデータが似ているが、計測の目的は異なる。栽培ハウスで温度や湿度を測るのは、作物の光合成に適した環境かどうかを調べるのが狙いだが、家畜の場合は環境が家畜にとって快適かどうかを確かめるためだ。
二酸化炭素を測るのも、目的はまったく別。作物は二酸化炭素の濃度が高いと成長が促進されるが、家畜はエサを食べなくなるなど悪影響が出る恐れがある。畜舎の二酸化炭素の濃度が高すぎるのは、家畜が密になりすぎているのが原因とみられ、それを知ることは生育環境を整えるうえで重要な意味を持つ。
牧場でどのような効果が出たのか
それでは導入例となる牧場の紹介に移ろう。
ファームクラウドを導入したのは、秋田県北秋田市にある森吉牧場。養豚や食肉加工を手がけるフリーデン(神奈川県平塚市)のグループ牧場で、フリーデンのブランド「やまと豚」を中心に育てている。
母豚数は約2000頭で、年間の出荷数は約4万5000頭。養豚場としては中規模の部類に入る。豚の体重を自動で量り、選別するシステムをグループ内で初めて導入するなど、新しい技術を積極的に取り入れてきた。
ファームクラウドは2018年10月に試作機を入れ、2019年6月から本格的に使い始めた。正式な発売に先立ち、システムの使い勝手などをセラクに助言する役割を務めてきた。セラクはみどりクラウドを発売する際も、事前に先進的な農場に使ってもらって機能について意見を求めた経緯がある。
森吉牧場がファームクラウドの導入で得た成果はいくつかある。最も重要なのは、豚が死亡するのを防ぎやすくなった点だ。社長の佐藤文法(さとう・ふみのり)さんによると、「豚が死亡するのは環境要因が大きい」という。温度や湿度の管理がうまくいかないと豚がストレスを抱え、エサを食べなくなってしまうのだ。
ファームクラウドを活用したことで、畜舎内の環境を端末で常にチェックできるようになった結果、環境をきめ細かくコントロールして豚がストレスを抱えるのを防止。エサの内容を変えたことなども効果を上げ、以前は生育の途中で死亡する比率は約3%だったが、いまは2%程度に減ったという。
そこで本題。ファームクラウドを使うことで、労働時間はどれだけ減ったのか。対象となる作業は、畜舎の中の見回り。以前は2人のスタッフが午前中いっぱいかけて畜舎を点検していた。畜舎に設置した温度計を肉眼で確認する作業などが減ったことで、30分から1時間短くなったという。
温度計を見るのにそんなに時間がかかるのか。そう思われそうだが、森吉牧場には合計で21棟の畜舎がある。そのうちファームクラウドを導入したのは17棟。豚の状態を確かめつつ、温度を確認する手間を省いた効果は大きい。
ただし、実際に畜舎に行くことは欠かせない。ファームクラウドは2分に1回、畜舎内の写真を撮っている。写真は参考にはなるが、それだけでたくさんの豚の様子を隅々まで観察することはできない。佐藤さんは「畜舎に行ってじかに見ることが大事」と話す。
当面の課題は、写真を含めた情報と実際に目で見た結果を照らし合わせ、飼育環境をどう向上させるべきかを考えることだろう。スマート農業全般に言えることだが、地道な作業がシステム活用の前提になる。
この点に関連し、佐藤さんは「現場に行く前に、どう対処すべきかを議論できるようになった」とも強調する。最終的には見に行くが、データをもとに対処法を話し合うことができるのは大きな前進だ。それは、「職人の経験に頼る仕事だった養豚業」で若者がスムーズに仕事を覚えるのに役立つ。
スマート農業の働き方改革への活用を
作業時間の「30分から1時間の短縮」をどう評価するかは、分野によって大きく分かれるだろう。だが、家畜の状態にたえず目配りする必要のある畜産業にとって、この時間はけっしてささいな長さではない。
重要なのは、ある作業の時間の短縮を、仕事全体の効率化の出発点にできるかどうかだ。佐藤さんはファームクラウドなどの新しい技術の導入について「年間の休日日数を増やすきっかけにしたい」と話す。
農業を取材していると、「生き物を相手にしているので、定時で仕事を終えるのは無理」と言われることがある。作物や家畜のリズムに寄り添う以上、「午後5時になったので終わり」とはいかないことは理解できる。
ではそうした難題をわかったうえで、どうしたらよりよい働き方を実現できるのか。スマート農業を導入しても、生き物を扱う農業の難しさが一気に解決できるわけではないが、働き方改革の手がかりにはなるだろう。「30分から1時間の短縮」はそのための貴重な一歩となる。