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「なつぞら」のロケ地になったメガファーム、従業員がやめなくなった経営改革とは

吉田 忠則

ライター:

連載企画:農業経営のヒント

「なつぞら」のロケ地になったメガファーム、従業員がやめなくなった経営改革とは

農産物の生産や加工で国際規格の認証を取得する目的は何か。製品の品質を高めるため。輸出のきっかけをつかむため。理由はさまざまにあるだろうが、最も大事なことは経営のレベルの向上だ。食品の安全に関する国際標準規格「ISO22000」を取得し、経営改善に取り組む北海道十勝地方の北広(ほっこう)牧場(北海道上川郡新得町)を取材した。

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「なつぞら」のロケ地になったメガファーム

北広牧場は設立が1996年。それぞれ家族単位で牧場を経営していた4人の酪農家が集まり、立ち上げた。「いまのまま個別に経営していたのではリスクが大きすぎる」という考えで一致したためだ

とくに意識したリスクが、家族の誰かが病気になり、作業ができなくなることだ。他の家族に負担がかかって休みをとれなくなったり、牧場の運営に支障が出たりする恐れがあった。これに対し、4つの牧場が集まれば、互いに人を融通し合うことでそうした事態を回避できると考えた。

現在の飼養頭数は約900頭と、創業時と比べて2倍近くに増えた。北海道の酪農経営の中でも大規模の部類に入る。牛のエサの牧草やデントコーンも自ら育てており、栽培面積は260ヘクタールに達している。

北広牧場を有名にしたのが、2019年に放送されたNHKの連続テレビ小説「なつぞら」だ。牧草地の一部が、ドラマのヒロインが育った「しばた牧場」のロケ地に選ばれた。この場所は、いまもファンが訪れる観光スポットになっている。

しばた牧場

「しばた牧場」の看板がいまも残る牧草地

北海道でも有数の規模を誇る北広牧場が、いま力を入れているのが経営の質の向上だ。飼養頭数が増えれば従業員が必要になり、家族経営とは違うマネジメントが求められる。そのためにISO22000を取得した。

ISO22000は消費者への安全な食品の提供を目的に、組織を適切に運営するための国際規格だ。食品衛生を確保する工程管理の手法である「HACCP(ハサップ)」をもとに、リーダーや各組織の役割などを明確にして仕事の効率を高めたり、トラブルに正しく対処したりすることなどを目指す。

認証の取得には、第三者機関による審査が必要。北広牧場は2018年に搾乳施設、2019年にヨーグルトなどの乳製品の加工施設、そして2020年には生まれたばかりの牛を育てる哺育舎でISO22000の認証を取得した。

ISO22000

ISO22000の認証を取得したことを示すパネル

社内にハサップチームを設置して働き方を改善

ではここで、なぜ北広牧場がISO22000を取得したのかを詳しくふり返ってみよう。「きちんとした組織をつくらないと、もう牧場がもたないと考えた」。取締役の若杉真吾(わかすぎ・しんご)さんはそう語る。

「自分は楽しく仕事をしているのに、なぜ従業員が定着しないのだろう」。認証を取得する数年前、若杉さんはそんな悩みを抱えていた。すでに家族だけでは仕事が回らなくなっていたが、せっかく従業員を雇ってもすぐにやめてしまった。募集をかけても、必要な人数が集まらなかった。

そうした中で、牧場の経営を揺るがすようなトラブルが起きた。牛の病気のまん延だ。感染力が極めて強い病気で、悪化すると牛が死ぬこともある。とくに子牛は感染が広まりやすく、哺育舎の子牛を30頭殺処分した。

当時の運営は家族経営の延長で、コミュニケーションの中心は「あうんの呼吸」だった。外部から入ってきたスタッフにうまく伝わるはずもなく、何かミスをすると役員の誰かが頭ごなしにしかることもあった。「ルールが必要だ」。そう思った若杉さんが着目したのが、ISO22000だった。

哺育舎

衛生管理が行き届くようになった哺育舎

認証を取得するため、準備に費やした期間は約1年。規格に詳しい帯広畜産大学の研究者を招き、月1回のペースで勉強会を開いて理解を深めた。週1回のミーティングでもISO22000が求める内容をいかに実践するかを話し合い、取得に向けて少しずつ仕事のやり方を改善していった。

その過程で立ち上げたのが、役員を含む8人で構成するハサップチームだ。トラブルが起きたときに対応し、善後策を決める。

例えば病気を治療するため、抗生物質を打った牛から搾った生乳は、本来なら廃棄の対象になる。だが数百頭もの牛を飼育しているため、何らかのミスで出荷用の生乳にごく一部が混じってしまうことがある。

ISO22000の取得を機に、こうした作業履歴を出荷前にパソコンで厳格にチェックするようにした。担当者は異変に気づくとただちにハサップチームに連絡。ハサップチームが生乳のサンプルを地元の農協に送り、品質に問題がないかどうかを検査してもらう仕組みをつくりあげた。

搾乳施設

牛が並んで搾乳する施設

認証取得のもう一つの大きな成果は、「あうんの呼吸」の仕事から脱却するため、マニュアルをつくるようになったことだ。「病気の牛を早期に発見する」「スムーズに搾乳する」などをテーマに現在、9種類。入ったばかりの従業員が牛に関する基本的なことを覚えるためのマニュアルもある。

マニュアルの意義を再認識する出来事が最近も起きた。牛が搾乳スペースに入るとセンサーが反応し、機械に牛の個体番号が表示される。この機械が誤作動し、スタッフが別の牛と勘違いしてしまったのだ。

もし、牛の耳につけたタグの番号と機械の表示を目で見て確認していれば、牛を取り違えるというミスを防ぐことができた。だが調べてみると、口頭での申し合わせにとどまっていて、マニュアルには明記していなかった。そこで目視による確認を書き加え、ルールを徹底することにした。

こうしたときに大きな役割を果たすのが、ハサップチームだ。かつてはトラブルが起きたとき、「やっちゃったなあ」「次からは気をつけよう」といった曖昧なやりとりだけですませていた。いまは事故が起きると、ハサップチームが緊急会議を開き、対処法を文書に落とし込むようになった

「うちの牧場ってどう?」社員にたずねる勇気をくれた国際認証

では若杉さんが課題と感じていた従業員の定着率はどうなったのか。北広牧場で働いている人は現在、パートを含む19人の従業員と5人の役員を合わせて24人。認証の取得前と比べ、ほぼ2倍に増えた。家族同士でしか通じないような運営を改め、仕事の内容を「見える化」した成果だ。

以前は恒常的に人手が不足しており、1日の労働時間はじつに12時間に達していた。従業員が定着し、スキルも高まるようになったことで、それを3時間近く縮めることができた。休みもきちんととれるようになった

じつは従業員が次々にやめていたころ、若杉さんたちが実施するのをためらっていたことがある。従業員へのアンケートだ。若杉さんは「何を言われるのか怖くて、実施できなかった」と当時の心境をふり返る。

それがいまは「自信をもってアンケートできるようになった」。試みに実施してみたところ、回答は「目標に向かって頑張れるようになった」「みんな仲良く仕事している」「ミーティングで意見を言いやすい」など。役員と従業員が十分な意思疎通を欠いていたころとは、見違えるほどの変化だ。

マニュアル

仕事の内容を「見える化」するためにつくったマニュアル

一方で従業員の定着率の向上は、役員たちの心持ちも変化させた。「規模拡大の流れに乗ってはいるが、生産性だけを追求するのではなく、従業員が心豊かに働けるような牧場にしよう」「牛がこの牧場に生まれて良かったと思える管理をしたい」。若杉さんたちが最近、話し合った内容だ。

人手が足りず、ピリピリした緊張感の中で働いていた状況から解放されたことで、役員たちにも心の余裕が生じた。そして新たにこう感じ始めた。「自分たちには酪農業界を良くしていく力があるのではないか」。人がたくさん働きに来てくれるようになったことが、そうした思いの背景にある。

国際的な認証を取得する狙いはさまざまにある。だが表面的に内容をなぞるのではなく、組織の運営を根っこから変える決意で学べば、経営に新しい展望を開くことができる。北広牧場でその好例を見ることができた。

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