サラリーマン時代につかんだ営業のノウハウ
石川さんは現在、56歳。2ヘクタール弱の畑で、キャベツやミズナ、空心菜などをつくっている。販路は市場が6割で、スーパーが3割。残りの1割については最後に触れたいと思う。肥料や農薬は農協から買っている。
実家は農家だが、大学を卒業した後は住宅設備機器のメーカーに就職した。会社をやめ、就農したのは36歳のとき。その5年後、神奈川県のJAグループの発表会で「農業青年主張の部」に参加し、次のように語った。
「目標に向かって試行錯誤をくり返し、もう5年、はや5年。若いときの苦労、すなわち経験は人とのつながりという財産を与えてくれます」
ここで石川さんが強調したかったのは、人間関係を築くことがビジネスで成功するうえでいかに重要かという点だ。それを教えてくれたのが、ライバル会社と競い合った営業経験だった。
会社員時代、石川さんはシステムキッチンやシステムバスの販売を担当した。かつての水回りの機器と比べ、両者はかなり高額。バブル時代は簡単に売れたが、石川さんが担当したころは状況が変わっていた。
購入に慎重になる消費者に、どうやって高額な商品を買ってもらうか。住宅機器は代理店など複数の中間業者を経て消費者の手に渡る。石川さんが的を絞ったのはその中の最末端。消費者とじかに接する工務店だ。
農業と同様、工務店も家族経営が多い。経験豊かな父親に追いつこうと、若い後継者が苦労しているのも農業と共通。石川さんは同世代の彼らを訪ね、商品の魅力を説明。150~200社を味方につけることに成功した。
その最大の成果は、工務店が進んで商品を勉強し、販売してくれるようになったことだ。この過程で石川さんは、相手が本気になって自社の商品を売り込んでくれるような関係を築くことの大切さを学んだ。
「このやり方は農業に生かせるのではないか」。そう考えた石川さんは順調だった会社員生活にピリオドを打ち、実家で就農することを決意した。
ミズナと空心菜をつくり始めたわけ
会社員の経験を生かそうと意気込んで就農したが、農業は思うほど簡単ではなかった。キャベツに大量に虫が発生してしまったのだ。会社をやめた後、農業専門学校で1年間学び、準備万端で就農したはずだった。
会社員時代に小耳に挟んだ知識で、農薬はできるだけ少なく使ったほうがいいと思い込んでいた。目標が間違っていたわけではない。問題はやり方を誤り、虫が出てから対応してしまった点にある。キャベツの半分が出荷できなくなった。「防除とは何かがわかっていない」。父親からそう諭された。