第二の人生は憧れの地で農業を
ミニトマトの収穫最盛期が続く8月下旬。富士見町で農家として第二の人生を歩んでいる、戸﨑明(とざき・あきら)さん、尚子(なおこ)さん夫婦の農場を訪ねました。
八ヶ岳山麓(さんろく)の高原を走る町道をそれて、林の脇の小道を上がると、戸﨑さん夫婦の平屋建ての素敵な住宅が現れます。リビングからは南アルプスの絶景が一望できます。登山が趣味の2人にとっては、まさに絶好のロケーションです。
2人は現役時代、ともに東京消防庁勤務。趣味の野菜づくりの延長で、退職後は農業をしながらのんびり暮らす日々を思い描いていました。富士見町のことは田舎暮らしの雑誌で知り、町の就農支援窓口にも相談の上、東京から越してきました。
町から受けた補助金は、ミニトマトのハウス設置費用(70万円)に費やしました。「農業にこんなにお金がかかるとは。正直、想像以上でした」と尚子さん。明さんは「町の支援が支えになっている」と感謝を口にしています。
定年後に農業を始める人の背中を押す
戸﨑さんは、富士見町が定年帰農者の支援を始めた2017年度に補助金を受けた一人です。この支援制度では、定年退職後1年以内に町内で就農し、認定農業者の認定を受けた人が支援の対象になります。町出身かどうかにかかわらず、年齢が66歳未満で町内に住所があることが条件となっています。町ではこれまで4人に補助金を支給しました。
コロナ禍で強まる地方回帰の流れを確かなものにするため、富士見町では2021年度からUターン施策をさらに充実させています。その一環で、定年帰農者の支援額も、1年間で最大48万円から最大60万円へと増額されました。
町の補助金交付要綱では、1世帯につき月額5万円以内で、補助金支給は事業期間の終了月の1回となっています。これはつまり、2021年4月に就農した支援対象者がいたとしたら、2022年3月に1度、満額の60万円が支給されるということです。
ただ、定年後に就農するとひと口にいっても、置かれている状況は人によってさまざま。定年退職後に高齢の父親の代わりに農家になるという人もいれば、戸﨑さんのように真っさらなところからスタートする人もいます。
町の担当者である伊藤俊貴(いとう・としき)さんは、この補助制度を「定年後の就農を考えている人の背中を押すための支援」だと説明します。制度が始まった当初の月4万円という補助額は、町による基礎生活費試算の半額となっているそう。つまり、就農にかかる直接的な経費を町が補填(ほてん)するというのではなく、生活費の一部を町が支援して就農しやすい環境を整えるという考え方を取っているわけです。
定年帰農者の支援、新規就農者と共に
富士見町では国の支援制度をうまく活用して、若い世代とシニア世代の支援を両立させています。町での就農を希望する人のうち、49歳以下の人へは国の「農業次世代人材投資資金」を、60歳以上の人へは町の「定年帰農者支援補助金」をそれぞれ案内します。
農業次世代人材投資資金とは、新たに農業を始めようとする49歳以下に資金が交付される制度です。研修時の2年間の「準備型」と就農から5年目までの「経営開始型」の2段階に分かれていて、新規就農者の早期の自立と経営発展の支援が目的となっています。
富士見町では1年間に、新規就農者2人、定年帰農者2人を受け入れることを目標としています。近年の実績では2017年が新規就農12人(7組)、定年帰農2人。2018年は新規5人(4組)、定年1人、2019年は新規3人(2組)、定年1人。人口1万4000人余(約6000世帯)の富士見町にとって、この数字は大きな成果だと言えます。
そんな同町でも、農家の高齢化は大きな課題です。理想を言えば、若い世代の担い手を呼び込みたいところではありますが、結局それは、少子高齢化の時代に自治体間で人を奪い合っているだけのこと。伊藤さんは「新規就農者と定年帰農者を共に支援することでバランスが取れている」と手応えを語ってくれました。
行政の支援で地域に好循環を生む
富士見町の定年帰農者支援でポイントとなっているのは、支援を受ける人には必ず認定農業者になってもらうことです。新規就農者と同様、町の農業の担い手として正式に位置付けることで、地域の遊休農地対策において中心的な役割を担ってもらえるようになります。
支援を受ける側にもメリットはあるようで、戸﨑さんは「認定農業者になったことで地域の人とのつながりが生まれた」と話します。今では地域にすっかりなじみ、新たに農地を引き受けてほしいとの話が舞い込んでくるそうです。
伊藤さんによれば、戸﨑さんのようにIターンで移住してきた場合に限らず、父親の農業経営を引き継ぐ地元出身者の場合でも、農業コミュニティーで新たな人脈を築くことが必要になります。定年帰農者への支援制度があることで、町は就農希望者と早い段階から接触でき、それによりスムーズな就農につながるという好循環が生まれます。
「きれいごとのようだけど、少しは地域に貢献したいと思っていて」と戸﨑さん。「周りを見れば自分はまだまだ若い方。元気なうちは頑張りたいね」と笑顔で話していました。