「田んぼの一部を、共同防除の対象から外してほしい」と告げた
山岸さんは現在、74歳。農薬や化学肥料を使わず、自家製の堆肥(たいひ)でコシヒカリを育てている。栽培面積は1ヘクタールと、小規模の部類に入る。それでも営農が成り立っているのは、山岸さんのつくるコメにほれ込み、ふつうのコメよりずっと高い値段で買ってくれる固定客がいるからだ。
農家に生まれたが、もともと農業はやりたくなかったという。子どものころに農作業を手伝い、いかに大変か身にしみてわかっていたからだ。農薬も化学肥料も普及しておらず、いまの有機農業に似た栽培方法だった。
家業を継がず、農協で働いたり、お茶の販売店を営んだりした。転機は30代前半に訪れた。父親が交通事故に遭い、農作業ができなくなったのだ。母親だけでは稲作を続けるのが難しかったため、実家で就農した。

山岸勝さんと妻のきよ子さん
子どものころと違い、すでに農薬を使うのが当たり前になっていた。近くの農家と共同で大型の噴霧器を使い、田んぼに向かって数十メートル先まで農薬を散布した。農薬をまいた後は、子どもが間違って田んぼに入らないように赤い旗を立てた。田んぼのあちこちに赤い旗が立てられた。
「カエルやイナゴ、トンボ、ザリガニ。田んぼにはいろんな生き物がいた。ところが農薬をまいた後を見ると、目の前でみんな腹を見せて死んでいた」。山岸さんは農業を始めたころに見た光景についてこう語る。
もともと農作業の大変さに嫌気がさして、家業を継がずに別の仕事を選んだはずだった。だが田んぼの生き物が消えていく様子を見ているうち、気持ちに変化が生じた。環境に調和する自然農法の本も読んでみた。
そして就農から10年近くたったとき、近隣の農家にこう告げた。「自分の田んぼの一部を、共同防除の対象から外してほしい」。山岸さんはまず3枚ある田んぼの1枚で農薬をまくのをやめ、徐々に全体に広げていった。
長年の土づくりでできた3層構造
30年余りの経験を通し、山岸さんは有機農業の稲作に関して自ら理想とする栽培方法を追求してきた。そのいくつかを紹介したいと思う。