家庭菜園から始まった営農生活
塚田仁さんは現在、61歳。大学を卒業した後、外資系のコンピューターメーカーに勤め、定年を前に57歳で退職した。2017年のことだ。茨城県古河市にある0.7ヘクタールの畑で、葉物野菜のスイスチャードやプチヴェール、カリーノケールなど珍しい野菜を中心に約140種類を栽培している。
2人は恵子さんの両親と一緒に、恵子さんの実家で暮らしている。仁さんが会社をやめたのは、2時間以上かけて都内に通勤するのが大変だったからだ。1週間帰宅できないこともあるような激務も負担になっていた。
仁さんは会社をやめた後、週に3日だけシステム関係の仕事で都内に出かけ、残りの4日は野菜を育てる生活をスタートさせた。恵子さんの実家は100年以上続く農家で、恵子さんは以前から畑の一部を使って家庭菜園を手がけていた。そこに仁さんも加わるようになったのだ。
最初は自分たちで食べる分をつくるのが目的だった。ところが地元の道の駅にタマネギを出してみると、思いのほかすんなり売れた。出荷の条件は、他の農家のキャベツやニンジン、ジャガイモなどの定番野菜と競合しないことだった。タマネギを販売できたのは、時期をずらしたからだ。
これで意を強くした2人は、他の農家との差別化をより徹底することにした。欧州などの野菜をつくることにしたのだ。葉っぱの表面にキラキラした粒があるアイスプラントなど、もともと恵子さんは珍しい野菜もつくっていた。売り上げを増やすため、その路線を追求することにした。
仁さんは新しい野菜に挑戦するのが楽しくなり、農業に専念したいと思うようになった。新型コロナウイルスの影響で都内に働きに出にくくなったのを機に、2020年に週3日のシステム関連の仕事をやめた。恵子さんの両親のリタイアも重なり、2人で本格的に農業に取り組むようになった。
シールやポップで売り方を工夫、資格で得た知識を活用
どんな野菜をつくるか決めるのは、恵子さんの役割だ。2018年から19年にかけて一気に80種類に増やし、その後もバリエーションを広げてきた。まず狭い面積で試し、栽培に手応えを感じたらたくさんつくるようにした。
売るための工夫も重ねた。