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田んぼダム、地域で役立っている? 発祥の地、新潟の取り組みを探る

田んぼダム、地域で役立っている? 発祥の地、新潟の取り組みを探る

近年日本で増えている局地的な豪雨。短時間に降った大量の雨が一気に川に流れると氾濫や周囲の農地・民家への浸水につながる。そこで、一時的に田んぼに水をため、川に流れる水の量を減らそうと考え出されたのが「田んぼダム」だ。その発祥の地、新潟県で田んぼダム誕生の背景と現在の地域や農家の取り組みについて取材した。

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「田んぼダム」、実は先人の知恵が始まり

「田んぼダム」という言葉はなかなかキャッチーな響きである。田んぼダムとは、田んぼの上に降った雨を田んぼにため、川に流れ込む水を少なくすることによって水害を軽減する取り組みのこと。田んぼをダムのように活用するという側面を捉えたネーミングと言えるかもしれない。名付け親は、元新潟県職員の関矢稔(せきや・みのる)さんだ。関矢さんに、田んぼダムが生まれた経緯について聞いた。

関矢稔さん。新潟県職員として田んぼダムをはじめとした農地関連の事業に多く携わり、2021年3月に県を退職。現在は相互技術株式会社に技術顧問として勤務

下流の町での浸水被害がきっかけ

始まりは2002年の春。当時、関矢さんは新潟県北部地域を管轄する村上農地事務所で、農業農村整備の担当をしていた。ある日、管轄区域内にある神林(かみはやし)村(現在は村上市と合併)の中心地にある岩船町駅前集落の区長が、苦情を寄せてきたそうだ。
「岩船町駅の近くには笛吹(ふえふき)川が通っており、数年前にその上流で圃場(ほじょう)整備事業が完了していました。区長さんが言うには『整備で排水路がまっすぐになったせいで、雨がすぐ流れ下って笛吹川の水位が上がり、岩船町駅前集落内の水路から水があふれ、宅地に水が入ることが多くなった』とのことでした。しかし、私は圃場整備以外にも道路や宅地などの大規模開発、河川改修の遅れなどの他要因による影響が大きいと考えていました」と関矢さんは当時を振り返る。
実はもともとこの辺りは地形的に水がたまりやすい場所で、昔は「岩船潟」という湖沼地だった。それを江戸時代以降に農地に変えてきたという歴史もあり、総雨量100ミリ程度の雨でもすぐに在来線の列車が止まってしまうほど。過去に羽越水害(1967年8月)など大規模な水害も経験している。

当時の岩船町駅前集落付近の状況。上段が平時、下段が豪雨時(画像提供:次世代型田んぼダム開発会議)

先人の知恵、「田貯留」とは

関矢さんは水害の根本的な原因と対策について意見集約のため、岩船町駅前集落自治会や圃場整備の受益農家、自治体関係者などを集めてワークショップを行った。
その中で、すぐにできる対策として提案されたのは、大雨の時に水田から排水しないようにする「田貯留」という取り組みだった。これはこの地域の先人の知恵で、昔の農家の人々が互助の精神で行っていたそうだ。

しかし、2002年当時は田貯留に積極的になれない農家が多かった。実は岩船町駅前集落の区長は、関矢さんに訴え出る前にも上流部の農家に苦情を直接訴えていた。その際に関係する区長たちが田貯留で対策しようと決めていたのだが、先人の苦労を知らない個々の農家は非協力的で、降雨時の管理が煩雑になるこの取り組みは広がらなかったという。
実際、農家にとって田んぼの水の管理は非常にデリケートな問題であり、期間により間断かんがいなどの微妙な水の調整をしてコメを育てている。

田んぼの水位を表した栽培暦。時期によっては水をためない時期もあるなど、最適とされる水の深さが違う(画像提供:次世代型田んぼダム開発会議)

そこで、農家、非農家らの関係者はワークショップの場で現実的な対策を考え始めた。

田貯留から「田んぼダム」へ

そうした中で、田区排水ます(田んぼの落水口のます)の排水管の口径を絞り、田んぼからの排水量を少なくしてはどうかという意見が数人から出た。降雨時に短時間で水田から水路へ流下させず、容易な管理でゆっくりと排水させる方法だ。この意見をもとに関係者で検討を続け、15センチの排水管に直径5センチの穴をあけた堰板(せきいた)を取り付けるという方法が編み出された。
この取り組みを広げていくため取り組み名称を付けることになり、関矢さんが提案した「田んぼダム」が採用され、神林村の624ヘクタールの地区を対象に県の実証試験として実施することになった。

神林村で最初に設置した田んぼダム(画像提供:次世代型田んぼダム開発会議)

各地に広がり改良が進む田んぼダム

その後、さまざまな取り組みを経て各地で田んぼダムの改良が進んだ。
田んぼダムには大きく分けて「機能一体型」と「機能分離型」がある。

機能一体型は、もともと通常の水管理をする堰板に流出量を調整する機能を持たせるもの。こちらの場合、栽培水位管理のため堰板の小まめな着脱が必要であり、豪雨前にこの堰板が確実に設置されているかが課題となる。
一方、機能分離型は、通常の栽培水位管理用の堰板とは別に流出量を調整する「流出調整板」を設置するもので、平時にもつけたままにできるため、現在はこちらが主流だという。

課題は「農家の継続」

田んぼダムの大きな課題の一つは、農家個人の取り組みの継続だ。
「農家が流出量を調整する板を何らかの都合で外してしまえば、田んぼダムの機能は発現しないため、個人の意識に頼らない仕組みができないかと考え、『ハイパー田んぼダム』を開発しました」(関矢さん)
これは排水管を連結した複数の田んぼの水を末端の調整ゲート1カ所で管理する仕組みで、農家を豪雨時の排水調整から解放するものだと言う。

ハイパー田んぼダムの仕組み。右下の写真は実際に新潟市に設置されているハイパー田んぼダム(画像提供:次世代型田んぼダム開発会議)

ハイパー田んぼダムは農家個人の取り組みではなく、まとまった地区で工事が必要となるため新たな土地改良事業を申請する必要がある。しかし、大きな規模で効率的かつ効果的な機能を発現させるためには重要なモデルになっていくだろう。

新潟市では田んぼダムを独自開発

新潟市では2005年、神林村の取り組みを知った農家側からの働きかけで田んぼダムの導入が始まったという。
新潟市は面積の3割が海抜0メートル地帯で、市内を流れる信濃川や阿賀野川より田んぼのほうが低いこともあり、神林村と同様、過去に何度も水害が起こっている。

新潟市は2009年から市の財源による単独事業として「田んぼダム利活用促進事業」を行い、田んぼダムの普及に努めてきた。事業の一環として、田んぼダム用の排水ますの支給も行った。現在はこの市の単独事業は終了し、同様の支援を農林水産省の多面的機能支払交付金で対応している。
また独自に新潟市方式の田んぼダム用排水ますと堰板の開発も行い、農家に配布。この開発に携わった新潟市の齊藤彰英(さいとう・しょうえい)さんによると、この排水ますは従来のコンクリートの排水ますと違って、農家自身で取り付けができることもポイントだそうだ。

左は新潟市が開発した田んぼダム用排水ます。手前に入っている黒い板をスライドさせて通常の水管理を行う。右は田んぼダム用の流出調整板。排水ます内に設置しておき、降雨時の排水を制限する

田んぼに設置した様子

新潟市では、2021年度の田んぼダムの取り組み面積は6120ヘクタール。田んぼダム用の排水ますを取り付けただけで流出調整板を外してしまうと効果がないため、市ではその設置状況の調査を行っている。2017年の調査では、モデル地区の天野地区での設置率は96%にも上ったそうだ。

「スマート田んぼダム」は実現可能か?

新潟市では、2021年度に国のスマート田んぼダムの実証事業に参加した。スマート田んぼダムとは、ITによる田んぼの水管理システムを活用して、豪雨時の田んぼの給排水を遠隔で行うものだ。

設置された自動給排水栓(画像提供:新潟市)

モデル地区となった和田地区にある4ヘクタールの田んぼに自動給排水栓を設置。農家は平時にはそれを営農に利用するが、台風や集中豪雨が予測される場合には、市と土地改良区が遠隔で操作を行う。
豪雨の予報が出た場合、田んぼになるべく多くの水がためられるように事前に田んぼの水を抜き、豪雨の最中は田んぼに雨水を貯留して流出を抑制し、河川の状況などを見ながら排水するという仕組みだ。
この実証実験でのシミュレーションによると、50年に1回程度の規模の降雨(最大時間雨量54ミリ、総雨量171ミリ)の場合、田んぼダムを実施しない場合に比べて浸水量、浸水面積ともに30%低減する効果が示された。

スマート田んぼダム実証実験の様子(画像提供:新潟市)

スマート田んぼダム、運用上の課題

農家の負担なくできる仕組みだが、実際にやってみるといろいろと運用上の問題があったと、新潟市でスマート田んぼダム実証事業を担当した島津寛生(しまづ・ひろお)さんは運用と実際の営農のすり合わせの苦労を次のように振り返る。
「田んぼから水を落とすことに関しては、農家の了承なく行うことはできません。事前排水には農家の了承が必要なのですが、寸前に肥料や薬剤をまいたばかりということもあります。また、もし予報が外れて雨が降らず、しかもそのあと水が確保できなかったら、農家は営農を続けられないからです」

理想のスマート田んぼダム

齊藤さんは、今後のスマート田んぼダムへの期待について、「新潟市では、雨水などを河川に排水する排水機場によって降雨時に毎秒60トンまでなら排水が可能です。その排水能力を超えない範囲で田んぼに水をため排水するようにすればよいわけで、すべての田んぼに水をためなければいけないわけではない。AIなどによって最も効果的な場所だけ自動的に対応がなされることになれば理想的です」と語る。今回の実証実験の結果を受けて実感したことを国にも提案しているそうだ。

田んぼダムに取り組む農家は

最後に、田んぼダムに取り組む新潟市天野地区の農家にも話を聞いた。天野地区は信濃川のすぐ脇にあり、昔は浸水の多い地域だったという。
天野地区分区長の和泉田和重(いずみだ・かずしげ)さんによると、通常の田んぼの見回りの際に流出調整板がはまっているかも確認しているので、管理自体は全く面倒ではないとのこと。自分の田んぼでなくても、きちんとはまっていない場合は、気づいた人がはめるようにしているという。排水ますまわりの畦(あぜ)が崩れやすいので、そこをしっかり踏み固めるようにしていると話していた。

使用中の田んぼダムの流出調整板を外して見せてもらった

一方、田んぼダムの効果を実感しているかについては「設置後に水害が起こっていないので、正直なところわからない」と言うが、「田んぼダム設置にあたって排水路の整備をした。こっちはとても助かっている」そうだ。

田んぼダム設置の際に整備された排水路

農家にとっては、万が一の防災よりも日々の営農のほうが大事なのは当たり前だ。どんなに優れた仕組みでも、営農の邪魔になるようでは農家に受け入れられない。
天野地区では見渡す限りきれいな水田が広がっていた。「ここでは誰かが営農をやめても、別の誰かがそれを引き取ってくれる」と和泉田さんは話す。きちんと整備と管理が行き届いた農地は、放置されることはないことの証だろう。

田んぼダム自体は防災のための優れた取り組みだが、それを一般の農家に普及させるには、農家の意識だけに頼らない仕組みが欠かせない。それが防災だけでなく、農地と農家の存続につながればと感じた取材だった。

【取材協力】
関矢稔(相互技術株式会社
新潟市農林水産部 農村整備・水産振興課
和泉田和重(天野地区分区長)

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