種子法が廃止された背景
主食であるイネとムギ、ダイズの種子の安定的な生産と普及を図ることを目的とした種子法は2018年に廃止された。法が制定されてから60年以上が経ち、優れた種子を安定的に生産、普及する体制が全国で整ったためだ。
廃止されたもう一つの背景は、都道府県による品種の開発が特定の「おいしさ」を追及することに偏り、それ以外の需要に応えられていないことにある。全国的にイネで普及している品種が「コシヒカリ」とその血筋ばかりになり、それ以外の特性を持つ品種が広がってこなかった。農水省は同法を廃止することで、民間企業が参入する雰囲気を醸成しようとした。
種子代が抑えられる仕組み
ただ、種子法廃止をきっかけに、民間によるイネの品種開発が始まったという話は聞こえてこない。その要因とみられるのが、「奨励品種」と呼ぶ仕組みだ。これが、種子法が廃止されたいまも都道府県ごとの独自運営で残存し、民間企業にとっては実質的な参入障壁となっている。
この奨励品種とは、都道府県が自らの行政区域で普及すべきだと認めた品種を指す。基本的には穀物の品種が対象になるが、一部の県では根菜類や果樹、飼料作物も含めている。都道府県は奨励品種を決めるために、JAをはじめとする農業団体とともに審査会を必要に応じて開いている。その場で一度認定した品種であっても、年月が経過するなかで別の品種に押されて栽培面積がわずかになったら、認定から外す。
奨励品種として認定した品種については、都道府県が予算を設けて、責任を持って原原種と原種を生産する。だからこそ、農家は穀物の種子を実際よりも安価で購入できるわけである。
問題なのは、この予算措置に加えて、多くの都道府県は原則的に自分たち、あるいは農水省系の研究機関である農研機構が開発した品種以外を奨励品種として認めないことだ。都道府県の奨励品種は、概して数千万円という年間予算があるからこそ、農家に販売する種子代を安く抑えることができる。これにより、民間企業よりも競争上優位に立てる。
民間の種子は認めない傾向
さらに、都道府県の多くは、民間企業が開発した品種を奨励品種に入れようとしない。だから、民間企業は自らが開発した品種の原原種や原種を自費で生産するしかない。
これまでの取材で得た証言を総合すると、都道府県の多くが民間企業が開発した種子を奨励品種に入れようとしないのは、一言でいえば縄張り争いが理由である。自県で普及するのは自県で開発した品種ほど良いという奇妙な自信や自尊心と、それらに基づく民間企業が開発した品種への不当な反発がそこにはある。
農家が欲しい品種が出てこない
困るのは農家だ。たとえば経営規模を拡大しようとすれば、必要となる品種の特徴は食味だけにとどまらない。作業の分散や省力化のため、苗を植えるのではなく、種子をそのまま田んぼにまいて稲を育てる「直播」という栽培法に向く品種を求める声が高まっている。直播は通常の移植と比べて、根の張りが浅いために生育の途中で倒れやすく、それが減収につながる。だから、倒れにくい特性を持った品種が重要になる。
その特徴を持つ直播用の品種を開発したのが、株式会社アグリシーズ社長の山根精一郎氏らだ。山根氏は日本モンサント株式会社の社長時代に、「とねのめぐみ」という固定種を開発。2005年に品種の登録を済ませた。
山根氏は開発した経緯をこう振り返る。「当時からすでに、稲作は規模拡大を考えないといけない時代に入っていました。稲作は、ほかの作物と比べて、単位面積当たりの利益が最も悪かった。この問題を解決するには、なんとしても省力化が必要。それには、直播で、それ専用の品種を普及しないといけないという結論に至ったんです」
こうして誕生した「とねのめぐみ」の育成者権は日本モンサントが所有していた。ただ、同社が2018年にバイエルに買収されたのを機に、茨城県稲敷郡河内町にある第三セクターに譲渡されている。山根さんはいまもその普及に関わるなか、問題に感じているのは、県が育成し、種子生産した品種との種子代の違いだ。
「県が育成した品種は種子代が1キログラム当たり400円とか500円です。一方、とねのめぐみはその倍以上の1000円。といって、利益が出ているわけではない。民間の場合には人件費や農地の固定資産税などがかかるので、利益の幅は少ないです。しかし県が生産する場合、人件費などは別に支払われるため、種子価格が安くなっています」
公的機関が開発した種子と価格差が大きく生じることは、農家が民間企業の種子を購入する障壁になっているという。民間の参入を促すのであれば、こうした障壁をなくすことが必要なのではないだろうか。