100人との婚活を経て“農家の嫁”に【ゼロからはじめる独立農家#45】
婚活で100人もの男性と会った結果、田舎の農家に嫁ぐまでの紆余(うよ)曲折を発信している女性がいます。彼女は東京生まれ東京育ちで、農業とは全く無縁でした。それなのになぜ農家と結婚することを決めたのでしょうか。
彼女が100人との婚活で気付いたことや最近の婚活事情、農家へ嫁ぐことの大変さと魅力、そして“農家の嫁”としての活躍について聞きました。
■桑原(くわはら)あかねさんプロフィール
1989年、東京で4姉妹の末娘として生まれ育つ。結婚前は、全国でフランチャイズ展開をしている体操教室のインストラクターとして働く。2020年、熊本県八代(やつしろ)市で銀行員をしていた桑原健太(けんた)さんと結婚。翌年、健太さんが銀行を退職し、祖父の畑を継いでかんきつ農家になるための修業を開始。2022年、夫婦で「やつしろサニーサイドファーム」を設立し、世界最大級のかんきつ品種である晩白柚(ばんぺいゆ)をはじめとしたかんきつ類やアボカドの生産、販売をしている。
「やつしろサニーサイドファーム」(あかねさん)のTwitter
https://twitter.com/yatsushiroSSF
あかねさんのnote(東京生まれ東京育ちの私が、婚活にて100人の男性と会った結果、田舎の農家に嫁いだ話)
https://note.com/noukanoyomechan
都会の婚活事情
西田(筆者)
あかねさんは東京生まれ東京育ち。今回のタイトルもあかねさんのnote記事からいただいたのですが、婚活で100人と出会ったというのはすごいですね。そんな婚活のキッカケ、教えてください。
27歳の時につき合っていた大好きだった人にフラれたんです。すごく落ち込んだんですが、「もう27歳だし、落ち込んでいる暇はない」と、フラれた反動もあって、3日後には婚活パーティーに申し込んでました。
私は4姉妹の末っ子なんですが、姉妹の誰も結婚していなくて。親から結婚について直接言われたことはなかったけど、友達や同僚からの「30前後になったら結婚するのが常識だよね」みたいなプレッシャーがあって。一度結婚してダメなら離婚すればいい。そしたら誰にも何も言われないかなと。
あかねさん
西田(筆者)
今の時代、都会ではそんなプレッシャーはないかと思っていたのですが、やはりあるんですね。周囲の女友達の結婚観はどうでした? あと婚活で感じたことを教えてください。
結婚願望のある女性は、私の周囲には多かったですよ。1人でいるのがさびしいのが一番の理由かと。でも都会だと比べる対象が多いので、結婚相手に求める理想が男女ともに高くなってしまいますね。
私も何が何でも結婚したくなって。マッチングアプリに4つ登録して、毎週末には婚活パーティーか街コン(町ぐるみの合コンイベント)に行ってました。婚活パーティーで感じたのは、男性で服装や髪型に気を使っていない人が多くいて残念だなと。中身が大切とは言いますが、内面は外見にも出ますしね。そんな意味では街コンの方がおしゃれな人がいたかな。
あと気に入った人にLINEを送って既読になってても返信がないとかザラで、そんな時は落ち込んだりもしましたが、私も逆の立場で同じことやってるかもと開き直るようになりました。
出会いを求めるようになってからは普段の服装や化粧にも気を使って、いつ出会いがあってもいいようにしてました。
あかねさん
多くの反響が寄せられているあかねさんのnote
西田(筆者)
夫の健太さんとの出会いは婚活ではなく、2人が共通して好きなアニソン歌手のファンイベントだと聞きました。でも話を聞いているとそうやって準備や心構えがあったからでしょうね。
出会った時から健太さんは熊本在住だったそうですが、そんな遠距離の彼とつき合おうと思ったのはどうしてですか?
SNSでやりとりしていたんですが、ある日彼が夢に出てきて、好きなんだと気づきました。彼が東京に来る機会があって、その時に「結婚を前提につき合ってほしい」と言われ、おつき合いがスタートしたのが2019年です。彼はその当時銀行員だったのですが、その時から農家になると言っていました。
あかねさん
西田(筆者)
銀行員から農家になるということ、そして東京から熊本へ行くことを不安に感じませんでしたか? また周囲の反応はどうでした?
彼の話を聞くと、おじいちゃんの後を継ぐということでしたし、販売計画もしっかりしてて、単なる夢物語ではないと感じました。あと私の父が以前自営業をしていたことがあって、そんな彼を応援してくれました。それは彼も助かったようです。むしろ心配してたのは私の周囲の女友達かも。
私としては、行くだけ行ってダメなら帰ってくればいいわと(笑)。
あかねさん
西田(筆者)
その「ダメなら帰ってくればいいわ」というのがいいですね。田舎に嫁ぐ、農家の嫁というと重く感じる時代もあったけど、農業をひとつの仕事と考えるくらいで今はいいかと思います。あとお父さんが応援してくれたのは何より心強いですね。
そして結婚が2020年11月、コロナ禍の真っただ中。そのあたりのエピソードはnoteで読んでいただくとして、次は実際に田舎にそして農家に嫁いでの話を聞いていきたいと思います。
田舎の農家に嫁いでみて
西田(筆者)
2020年の11月に結婚して熊本へ引っ越し、最初の3カ月は2人でアパート暮らしだったとのことですが、今は健太さんの両親と同居しているそうですね。さらに翌年健太さんが銀行をやめて農家の修業をはじめ、2022年1月に農家になりました。結婚前と全く違う環境になったのですが、苦労したことはありますか?
はい、いろいろありました。私はトンボもダメなくらい虫が大嫌いで。少しは慣れてきましたが、今も苦手です。なので基本、畑仕事はNGですね。
あと驚いたのが、こちらでは近所の人が突然訪ねてくること。授乳中とかだともう最悪。それに八代では「八代時間」というのがあって、約束した時間の30分後に来るといった感じで、皆さんのんびりしているのが最初は信じられませんでした。それから、年配の方の方言がきつくて、何を言っているか分からなくて苦労しました。
でも住んでいるうちに慣れてきて、今は全然平気です。方言が分かるようになってきたのもありますが、分からない時はスルーすればいいやと思ったら楽になりました。
あかねさん
西田(筆者)
それはあかねさんの性格もあるんでしょうね。知り合いもいないので、そのあたりも大変だったかと思いますが。
もともとインドアな性格なので昔からTwitterをよく使ってて、情報を発信することで、全国の農家や農業女子とつながれたのがよかったです。Twitterキッカケで熊本の人とも仲良くなれて、ご近所の同世代の農家のお嫁さんともつながれました。
あかねさん
西田(筆者)
なるほど、情報を発信していることが大切なんですね。発信することでつながりを持つキッカケになる。そういった意味では農家に限らずですが、知らない土地に嫁いだときにはSNSを使うことで孤独から少し救われるんですね。
それに、あかねさんは全国でフランチャイズ展開している体操教室のインストラクター免許を持っているのも気持ち的に大きいかと思いますが、どうでしょう。
それも強いですね。最近、インストラクターの仕事にも復帰したのですが、外に働きに出ることで社会とつながれるし、ある意味夫とも50:50でいられる気がします。
あかねさん
夫婦で農業をやっていくためのヒント
西田(筆者)
結婚する時に、将来どのようになりたいかなどイメージしたりしましたか?
お互い10年後とか将来の計画を立てるのが好きで、今もそれぞれ計画を立てて見せ合ったりしています。
あかねさん
西田(筆者)
あかねさんはやつしろサニーサイドファームの広報にすごく力を入れていますよね? それも計画のうちですか?
私は虫嫌いということもあって、畑には出ないと決めてました。でも私は彼が苦手な情報発信ができる。ということで起農と同時にTwitterやインスタ、ポッドキャストで情報発信してきました。そんな中、Twitterで晩白柚のひと房の画像を投稿したらバズって。
そこにリプ(コメント)をくれた人すべてに、やつしろサニーサイドファームのホームページアドレスを送りました。その結果、先シーズンでは軽トラック3台分捨てていた晩白柚が今期は完売しました。
あかねさん
西田(筆者)
それはすごいですね。後から聞くと晩白柚がバズりやすいからとか言われるかもしれませんが、それは結果論。まさに情報を出し、ホームページを準備していたからこそですね。
最後にこの先の夢があれば教えてください。
夢はたくさんあって、まずはお金持ちになりたい、本を出したい、熊本で一番の有名な農家になりたいとかあります。でも一番の夢は、気兼ねなく東京に帰れるぐらいの時間と経済的余裕を持てるようになりたいということでしょうか。
あかねさん
西田(筆者)
お話を聞いていると、あかねさんと健太さんならその夢をかなえられそうな気がしてきました。
あかねさん
インタビュー中、ちょうど帰宅した健太さん。2人の満面の笑顔から和気あいあいとした雰囲気が伝わってきました
西田(筆者)
それはナイスタイミング。
健太さん、初めまして!
あかねさんとの結婚、そして就農してこの1年の感想など、聞かせてください。
いろいろ大変なこともありましたが、妻と夫婦になって、そして農家になって、よかったです。
妻のTwitterでの投稿のおかげでこのところ晩白柚がいろいろなところでバズってて、うちの農園の認知度もすごく高まりました。こんな状況になるには5年かかると思ってたのですが、1年目ではできすぎで、怖いくらいです。でも今は走りながら考えていろいろ挑戦しています。
いずれにしてもこうやって情報を出し続けてくれた妻には感謝です。
健太さん
西田(筆者)
昔は農家の嫁というと、陰ながら身内を支える、いわゆる「内助の功」のような役割が求められがちだったのかなと思います。でも今は陰ではなく表に出て情報発信をする人に多く出会うようになりました。あかねさんのようにコミュニケーション能力の高い女性には向いてるし、そのことで農園の価値もあがり、本人のやりがいにもつながりますよね。
インターネットやデバイスの発達で瞬時に世界中の情報が入ってくるようになり、今までの当たり前が当たり前ではないと認識され、そのことで日本の夫婦や仕事のあり方もどんどん変化している最中だと思います。そんな中、農家の夫婦も変わってきていることを実感しました。
あかねさん、健太さん、ありがとうございました。