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品目を絞った新規就農者、「こだわった結果、ふつうになった」

吉田 忠則

ライター:

連載企画:農業経営のヒント

品目を絞った新規就農者、「こだわった結果、ふつうになった」

取材では多くの場合、「とんがった事例」を見つけようとする。農業なら「珍しい作物を育てている」「先端技術を使っている」「規模が大きい」といったタイプだ。だが、ある産業が全体として発展するためには、「ふつうにやってうまくいく」ことが重要になる。今回はそんなケースを紹介したい。

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祖父の農作業を手伝って農業に憧れ

取材したのは、東京都小平市で野菜を栽培している大原賢士(おおはら・けんじ)さん。1993年の東京都港区生まれで、2019年に就農した。80アールの畑で、枝豆やトウモロコシ、ズッキーニ、ネギ、ブロッコリーなどを育てている。地元の農協の直売所のほか、近隣のスーパーなどに出荷している。

父親は会社員だが、父方の祖父は宮城県登米市のコメ農家だった。小さいころ、父の実家に遊びに行って農作業を手伝い、「大人になったら農業をやりたい」と思うようになった。1世代またいで農業を志すのは、最近の就農でよくある例だ。大原さんは「孫なので、甘えた感じで手伝えた」とふり返る。

都内の農業高校に進み、いったんは別の仕事に就いた。もし就農するなら生まれ育った東京で始めたかったが、現実的とは思えなかったからだ。だがその後、都内で就農する人が増えていることを知り、「やっぱり農業をやりたい」との思いが高まった。東京都西多摩郡瑞穂町の農家のもとで2年間研修し、就農した。

大原賢士

大原賢士さん

なぜ瑞穂町で研修したのかについては解説が必要だろう。

かつて東京は農業を始める場所と思われておらず、新規で就農する人はいなかった。だが、東京都農業会議の後押しで2009年に若い夫婦が瑞穂町で農家になったのを機に、同町など西多摩地区で多くの人が就農した。「東京NEO-FARMERS(ネオファーマーズ)」と呼ばれる生産者たちだ。

大原さんもこうした流れに沿って、瑞穂町で研修した。小平市で就農したのは、妻の仕事の関係もあって引っ越した同市にもともと知り合いだった農家がいて、その人が大原さんに畑を貸してくれたからだ。

大原さんは研修に入る前、農家から野菜を仕入れて月に一度マルシェで販売する活動をしていた。ふだんは別の仕事をしていても、どこかで農業とつながっていたいと思っていたからだ。

就農に先立ち、マルシェで野菜を売ったことのある小平市のベテラン農家を訪ねてみた。以前接したとき、「とてもいい方」という印象が残っていたからだ。すると、願ってもいなかった話を聞いた。「畑を借りてくれる人をいま探している」。こうして大原さんは、小平市で就農することを決めた。

面倒な品目はつくるのをやめた

都市近郊で農業を始める人の中には、多品目少量栽培を選ぶケースが少なくない。大原さんも当初、約20品目を作ってみた。理由は2つある。「いろいろ試してみたかったのと、どれが売れるかわからなかった」ためだ。

ふつうはこの後、珍しい野菜などをどんどん取り入れながら、既存の農家と違いを出す方向へと進む。だが大原さんは3年目に差し掛かったころ、多品目の路線にブレーキをかけた。作業効率を考えるようになったのだ。

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