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事業承継のポイントは“出島戦略”にあり! 事業承継生産者交流会【前編】

事業承継のポイントは“出島戦略”にあり! 事業承継生産者交流会【前編】

5年〜10年ほどかかるといわれる事業承継。しかし「いつ話し合えばいいのかわからない」「具体的な手順がわからない」などの理由で、準備や話し合いを後回しにしがちではないでしょうか。今回は親子間事業承継を経験した5名の生産者で交流会を開催。事業承継士の伊東悠太郎さんによるファシリテーションのもと、事業承継あるあるや、どう乗り越えたかを本音で語ってもらいました。

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今回の座談会参加者

■石井邦彦さんプロフィール

石井メイドオリジナル 代表
1987年生まれ。短大を卒業後、世界中を旅する。旅の途中で経験したある出会いを機に、農家としてイチから勉強しようと決意。群馬県昭和村にある実家に戻り、コンニャクイモ農家の4代目として跡を継ぐ。現在はコンニャクイモの生産だけでなく、加工なども行う。

■伊東悠太郎さんプロフィール

水稲種子農家・事業承継士
2009年、全国農業協同組合連合会(JA全農)に入会 。農家の担い手対策や営農対策など数多くの活動に従事する。2018年に退職し、実家を継ぎ就農。現在は水稲種子農家のかたわら、事業承継士として全国で講演や個別支援などを行う。竹本彰吾さんとの共同著書「農家の事業承継ノート」発売中。

鈴木厚志さんプロフィール

京丸園株式会社 代表取締役
静岡県浜松市で江戸時代から続く農家の13代目。水耕栽培による姫ねぎ、姫みつば、姫ちんげんなどのオリジナル商品をJAとぴあ浜松と共同開発し全国に出荷。ユニバーサル農業の取り組みなどが評価され、2019年、第48回日本農業賞大賞を受賞。

鈴木義隆さんプロフィール

京丸園株式会社 専務取締役
約10年間、警察官として勤務した後、父・鈴木厚志さんに声をかけられたことがきっかけで2022年に京丸園に入社。経営と農業について日々学んでいる。

竹本彰吾さんプロフィール

有限会社たけもと農場 代表取締役
大学卒業後、有限会社たけもと農場に入社。「就農10年で社長を替わる」という父との約束どおり、33歳で同社代表に就任。インターネットでのお米の販売、国産イタリア米の栽培、井関農機や鳥取大学らとの可変施肥田植機開発への参加などチャレンジする農業を展開する。伊東悠太郎さんとの共同著書「農家の事業承継ノート」発売中。

■平出賢司さんプロフィール

有限会社エフ・エフ・ヒライデ 代表取締役
2000年より就農。2015年に有限会社エフ・エフ・ヒライデ代表取締役に就任。令和2年度には、栃木県の農業大賞で知事賞と農水大臣賞を受賞。現在はオランダやフランスなどから輸入した球根で、約1年間かけて50品種のユリを育てている。

家業を継いだきっかけ

伊東:みなさんは親子間で事業承継されていますが、それぞれ継いだきっかけをお聞きしたいです。僕は就農前は全農で働いていましたが、おやじが病気になって母親から「帰って来い」と言われたのがきっかけで退職、就農しました。

竹本:僕は高校3年生の時におやじがしてくれた、熱烈なプレゼンがきっかけでした。仏間で二人きりの時、目の前に札束をドーンと置かれて「農業ってもうからんと思ったかもしれんけど、もらっとるぞ」と。そして農家に寄せられている期待を語ってくれました。そのうえで「農家の息子だから継げという話じゃない。お前がやりたいことをやって、でも、たけもと農場のことも頭の片隅に置いといてくれるか」と言われて、しびれたんです(笑)。その場で跡を継ぐ約束をして、大学卒業と同時に就農しました。(詳しくは「代々続く米農家の10代目を継ぐまで。「4Hクラブ」元会長が語る事業承継」記事をご覧ください)

平出:私は農学系の大学に進学して、大学院も2年行かせてもらいました。だからさすがに「早めに戻った方がいいな」と思って(笑)。院卒ですんなり家業に就きました。

伊東:ストレートで実家に就農したパターンですね。

石井:僕も大学は農学系に行かせてもらいました。でも「農家になる」選択肢しかないことに息苦しさを感じて、卒業後は海外を旅して回りました。その時にペルーのある島で子どもたちに出会ったんです。観光客が現地の子どもにお菓子を配ることで、虫歯になる子たちがいっぱいいました。それを見て自分に何ができるか、やっぱりコンニャクイモ農家の息子だったんですよね。それで実家に戻りました。

鈴木(厚):うちは最初、長男が継ぐ予定で一度就職してもらったんですが、別分野に転職したんです。私としては先が見えなくなった不安から、次男に継いでもらえないか頼みました。

鈴木(義):もともと兄が継ぐ予定だったので、自分は自由に。高校も工業系に行きましたし、卒業後は警察官として就職しました。

伊東:仕事を辞めて就農するのは、大きな決断ではありませんでしたか。

鈴木(義):プレッシャーはありました。でも子どもの頃から両親の姿を見ていて、大変そうだけどやりがいがある仕事なのかなと感じてもいました。だからあまり抵抗感はなかったですね。

鈴木(厚):私自身は、もともと農業をやりたいと思って就農しました。父親の教育がうまかったんでしょうね。農業高校、農林大学校に進学して20歳で就農しました。

伊東:継ぐかどうかは悩まなかったんですね。

鈴木(厚):そうですね。でも何も考えずに農業に入るのも、あんまり良くないことなんだろうなって後で気がついたんです。自分で決断するステップは必要だと思います。

ジェネレーションギャップ、親子ゲンカ……事業承継あるある

伊東:次にみなさんの「事業承継あるある」をお聞きしたいです。

竹本:親子間承継だと親子の間でジェネレーションギャップがありますよね。僕が就農した時、お米をネットで販売したいと言ったら「インターネット?!」という反応でした。親も先進的な取り組みはしていましたが、やっぱり30歳以上離れていたので、全然価値観が合わないこともありました。

平出:成功体験の価値が全然違いますよね。団塊の世代で農業でバリバリやってきた人は、やればやるだけもうかった時代。でも自分が就農した時には、規模拡大=収益増ではない時代でした。以前の価値観では勝負できないことはわかるけど、それをうまく言語化して納得してもらうのは、けっこうしんどい。それでもどうにかプレゼンして「やってみろ」と言ってもらえたのはありがたかったです。

石井:僕はよく「お前は何を考えてるかわからない」って言われます。コンニャクイモの加工をする時も最初はすごく反対されました。ただ、しっかりと利益につなげて可視化することで納得してもらえるんじゃないかなと思います。今はもう何も言わないですよ。

竹本:僕も国産イタリア米を作った時は、おやじに反対されました。黙ってこっそり植えていましたけど(笑)でも売れて軌道に乗ったら認めてもらえましたね。

鈴木(厚):親子ゲンカはつきものですよね。でも私は父親とあんまりもめなかったんですよ。それは父親が、私がやることをあまり否定しなかったからだと思います。そして実績が出ると親も認めてくれます。やっぱり最終的には成果を見せないといけないんですよね。

事業承継のポイントは“出島戦略”

伊東:事業承継においては、“出島戦略”がもっと注目されればいいんじゃないかと思っているんです。長崎の出島のような、自分でコントロールできる範囲で後継者を育てていく、あるいは経営者が譲った後に自分のテリトリーを作る。

平出:でも出島にお父さんが入ってきちゃうんですよね(笑)

全員:苦笑

鈴木(厚):おやじは野菜を作っていましたが、私は就農した時、洋ラン栽培から始めました。全然違うことをやれる出島を作ってもらったんです。でも約5年後におやじに「そろそろやめたほうがいいぞ」って言われて(笑)。今思えば、その時止めてもらわなかったら大変なことになってたと思います。

伊東:失敗する確率の方が高いでしょうから、撤退条件を決めておくのは必要でしょうね。石井さんの出島戦略は、父親が入ってこられないエリアを息子が作ってしまったということになりますか。

石井:そうですね。加工に関しては父親はもう全くわからないと思います。竹本さんのお米のネット販売もそうですよね。

竹本:そこを狙ったところはあります。邪魔されたくないので(笑)。

伊東:今後は義隆さんが、自分の出島をどう作るか考えていく必要がありそうですね。35歳までにとか、就農5年目までにとか、出島戦略を立てるケツを決めておくといいと思います。

自分の核にたどり着くまでに何年かかる?

鈴木(厚):みなさんは、どれくらいで自分の核にたどり着いたんですか。

竹本:僕は就農する時におやじが「就農10年で社長を替わる」と言ってくれて、まず事業承継計画を立てました。最初の3年で基礎を学び、次の3年で会社の数字を学び、仕上げの4年間は父も僕も意思決定に関わる。この計画がめちゃくちゃよくて。3年間はとにかく言われたことを吸収して、4年目からはイタリア米を作ったり、農機メーカーと一緒に田植機を開発したり、意識して外に出て行ていくようになりました。その経験が自分の核にたどり着く、いいきっかけになったと思います。

石井:うちは父が職人気質で、計画的にはできなかったです。僕も事業を通じて何をやりたいのかが見えてなくて、そこは課題でした。事業承継って、事業だけじゃなく文化も継がなければいけないと思うんです。それを後世に残すのはすごく難しい。でもそこで怠慢になると時代に取り残されて事業が縮小しちゃうと思うんですよ。群馬県昭和村はコンニャクイモの産地としては日本一ですが、コンニャクの市場自体は縮小しています。だから今のまま事業承継しても、そのうち途絶えちゃうと思うんです。

時代事業承継

伊東:事業承継って、地域で同じ品目を作っていたりすると、地域みんなの課題なんじゃないかと思ってるんです。鈴木さんのところの「JAとぴあ浜松」のような力のある部会は、どうやって取り組んでいるんですか。

鈴木(厚):浜松という産地は、品目にこだわってないんですよ。その時代にあったいい物を作っていくことで続いている。これからは、品目を守ろうとする産地維持は難しいと思っていて、守るべきは農地だと思うんです。

伊東:でも、こだわらないって実際難しそうですね。

竹本:産地化されているということは、ある程度それで成り立ってるので、今の流れをどう変えるのかっていうところですね。

鈴木(厚):その産地も誰かが一歩を踏み出した0の時代があったのだと考えると、産地が誕生して滅びていくというサイクルはあるんだろうなと。農地がしっかり耕されていることが大事。そこに工場が出来てしまったら、この話自体終わってしまいますからね。

座談会は後編へ続く

事業承継にはコミュニケーションの難しさがつきもの。しかし出島戦略で実績を作って納得してもらい、少しずつ引き継いでいったようです。また期限を決めて、いつ何をやるか、具体的な計画を立てるのも有効な手段といえます。

交流会の後半は、事業承継とは「何を」「誰に」承継することなのかが語られました。理念も含めて産地ごと引き継ぐのか、農地を引き継いで時代にあったものを栽培するのか……後半へ続きます。
(編集協力:三坂輝プロダクション)

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