マイナビ農業TOP > 農業ニュース > 50品目以上の作物を手掛けるのは、弱冠16歳の高校生農家。学業の傍ら、朝4時から畑へ向かう原動力は

50品目以上の作物を手掛けるのは、弱冠16歳の高校生農家。学業の傍ら、朝4時から畑へ向かう原動力は

50品目以上の作物を手掛けるのは、弱冠16歳の高校生農家。学業の傍ら、朝4時から畑へ向かう原動力は

北海道夕張郡栗山町にある、計20アールの畑。レタスやミニトマトなどの定番野菜のほか、赤いスイートコーンなど珍しい野菜も顔をのぞかせる。この畑を手掛けるのは、岩見沢農業高校1年の中仙道怜(なかせんどう・れん)さんだ。本格的に農業を始めて4年が経った現在、順調に規模を広げ、作付け品目は50種類を超える。多忙な学生生活の傍ら、どのように農業と向き合っているのか、これまでの歩みや今後目指す道などを聞いた。

twitter twitter twitter

農業愛あふれる幼少期。小学生の時から土壌改良にも挑戦

北海道栗山町で育った怜さんは元々、幼少期から花や植物に強い興味や関心を持っていたそう。母の恵里加(えりか)さんは「物心ついた時から、花や野菜が大好きな子供でした。はやりの戦隊ものやキャラクターなどにはまったく興味を示さず、ずっとお花の絵本や植物図鑑ばかり見てましたね」と笑う。

小学校に入ると、メロン農家の祖父母の畑仕事を手伝うことが日課に。農閑期に祖母と一緒に種苗店へ行って種を買い求めることが「目がキラキラするほど面白かった」(怜さん)というほど、何よりの楽しみだった。

小学校高学年のころには「自分で野菜を作ってみたい」という気持ちが芽生え始めた。根底には、農業や作物への探求心がある。

「ウチでは一般的な野菜はほとんど家で育てていたのですが、その手伝いだけでは物足りなくなってしまったんです。自分の手で、これまで家族が育てたことのない作物を作りたいと思っていたところ、家のミニトマトがすごくすっぱかったことが頭に浮かびました。ほかの家では同じ品種でも甘みのあるミニトマトが育っていたのに、なぜウチではすっぱくなってしまうんだろう。まずは自分なりに作ってみようと思ったのが最初のきっかけです」と怜さん。小学4年の時のことだ。当然ながら、小学生が自由に使えるお金は限られる。そのため、家にあるもので何かできないかと考えた。そこで目に入ったのが、祖父母の畑にあった、メロンの枝で作った堆肥(たいひ)だった。

直感的に「ミミズがとても多いから、いい土になるんじゃないか」と考え、ミニトマトの畑に施肥することを決めた。バケツに肥料を入れ、一輪車でミニトマトを育てるハウスまで運ぶこと20回。手作業で堆肥を入れていった結果、硬かった畑が次第に柔らかくなり、ミニトマトがこれまでの酸味を残しつつ、甘みが増して味が濃くなったと怜さんは語る。

小学5年生になると、メロン農家の祖父すらも作ったことがなかったという青肉メロンの品種「キングメルティー」を自力で栽培しようと考えた。祖父からメロン畑の一角を借りて、栽培の中で疑問がわいたら農業の専門書を開き、それでも解決できなければ、近くで青肉メロンを作っている農家へ指導を仰いだ。

本格的に農業へ身を投じた中学校時代

小学校時代のこうした経験が礎となり、中学校へ進学するころには自らの畑を持ち、早朝と夕方に農作業をするようになった。祖父から10アールのハウスや畑を借りたほか、知り合いの近隣農家からも一区画を借り受けている。

「畑全体が研究圃場(ほじょう)」と自称するほど、畑ではさまざまな野菜や果実が育てられている。同じ作物でも、一株ごとに品種や栽培方法が異なり、使っている肥料や土壌改良資材に至るまで千差万別だ。作物に応じて最適な育て方を探求しているとのことで、自身で栽培方法を学んだり、近隣農家に教えを乞うたりしながら知識をアップデートしているという。

「いろんな作物を作ってみたい」と品目を広げていった結果、現在手掛ける作物は50品目を超え、品種は150種類以上にも及ぶ。祖父母が手掛けてきたメロン栽培も、現在は怜さんが管理作業や収穫などを担っている。

怜さんが特に「大変だった」と振り返るのが、学業との両立だ。
平日は朝4時から6時まで農作業した後に登校。17時半ごろに下校すると、19時ごろまで再び農作業に当たる。中間テストや期末テストの前などは夕食後、22時ごろまで勉強するという生活を送った。

比較的農作業が落ち着く冬の間は、種苗会社からカタログを取り寄せてはかじりつくように読み込んだ。「こんな品種を作ったら面白いだろうな」と来季の作付けに思いをはせるのが楽しみだという。

岩見沢農業高校に進学した現在も、寮生活をする期間以外は、おおむね同じようなスケジュールで過ごしているそうだ。

北海道で初めての品種も手掛ける

野菜好きが高じ、さまざまな野菜を手掛けてきた怜さん。昨年は奈良県で開発されたトウモロコシの新品種「大和ルージュ」を北海道内の生産者として初めて栽培し、今年見事に収穫を迎えた。

植え付け直後の大和ルージュ

「Instagram(インスタグラム)で品種の存在を見つけ、種苗会社から試供品の種をもらって育てました。問い合わせの際、北海道内ではまだ栽培している人がいないと聞き、余計にやってみたくなったんです」と怜さんは振り返る。

後々、この種苗会社から話を聞くと、担当者は「うまくはいかないだろう」と踏んでいたそうだ。「大和ルージュ」は寒い環境に強くないため、寒冷地の北海道は栽培に不向きだとされていたからだ。

とはいえ、怜さんには勝算もあった。「東南アジアの系統のため、寒さにあまり強くない品種と聞いていましたが、今であれば温暖化や気候変動の影響もあって、問題なく栽培できるんじゃないかとも考えていました。結果として、自分の武器になる野菜を作ることができました」

若きファーマーの背景にトライ&エラーの連続


挑戦の多さゆえ、失敗も多く経験してきた。その数は「もはや失敗し過ぎて言えない」というほどだ。「5、6品種のうち、1品種は失敗しています。それでも、切り替えて次の作物にチャレンジしています」(怜さん)

直近では、土質が合わない畑で育ててしまい、ニンジンに芽が出ない時期が3年ほど続いたほか、タマネギがなかなか大きくならなかったことから、リン酸を多く含有した肥料を与えたところ、逆にリン酸過剰によって腐ってしまい、すべて廃棄することになったという。

それでも、ニンジンは山間地の畑に移したところ、順調に芽を出すようになった。タマネギ栽培で得た教訓も、自身の血肉となっているという。

「とにかく実践することを大切にしています。逆に失敗しないようにしても学びにならない。身をもって体験し、仮にいろいろと失敗したとしても、次の作に向けた改善策を考えるのも農業の楽しみです」

売上金は次の作付けへ全額投資。高校生農家の見つめる先

現在手掛ける品目は50を超えるが、いずれは農業経営として成り立たせるために品目を絞らなければと考えている。現在はあくまで、さまざまな品種を作って生産性と需要性を見極めつつ、顧客の反応や作りやすさを試しているという位置づけだ。

栽培した野菜は主に、恵里加さんが経営するパン工房で直売。自ら店頭に立ちながら、顧客の反応や要望の声に耳を傾けている。

昨年は1年間で数十万円を売り上げたが、怜さんは「利益はないです」とキッパリ。全額を次の作付けへ向けた肥料など資材購入費や資料費、作物の購入費などに充てている。「研究資金ですね(笑)」

ベテラン農家顔負けの怜さんだが、高校卒業後すぐに農業一本で生活していくことは考えていないようだ。怜さんは具体的に将来のことは未定と前置きしながらも、今後の展望についてこう話してくれた。

「高校卒業後は大学に行きたい。その後は農業法人に一度勤めたいとも思っています。ただ、目標はあくまで農業経営者になること。そのためにどういう道を進んだらいいのか模索しています」

どこまでも貪欲な姿勢に、終始脱帽しきりの取材だった。

あわせて読みたい記事5選

関連キーワード

シェアする

  • twitter
  • facebook
  • LINE

関連記事

タイアップ企画

公式SNS

「個人情報の取り扱いについて」の同意

2023年4月3日に「個人情報の取り扱いについて」が改訂されました。
マイナビ農業をご利用いただくには「個人情報の取り扱いについて」の内容をご確認いただき、同意いただく必要がございます。

■変更内容
個人情報の利用目的の以下の項目を追加
(7)行動履歴を会員情報と紐づけて分析した上で以下に活用。

内容に同意してサービスを利用する