本記事は筆者の実体験に基づく半分フィクションの物語だ。モデルとなった人々に迷惑をかけないため、文中に登場する人物は全員仮名、エピソードの詳細については多少調整してお届けする。
読者の皆さんには、以上を念頭に読み進めていただければ幸いだ。
前回までのあらすじ
新規就農から年月が経ち、地域での信用も少しずつ高まってきた僕・平松ケン。
ある日、地主の赤井さんから「ぜひ借りてほしい」と、手入れの行き届いた好条件の畑を紹介された。新規就農したばかりの頃、耕作放棄地を前に途方に暮れていた自分からすれば、まるで夢のような話だった。
しかし、借り始めてみると、草刈りの頻度や土地の使い方、契約更新、設備の設置など、細かな希望が次々と出てきたのである。
農地を借りるということは、単に畑を使う権利を得るだけではない。地主の思い入れや地域の慣習も含めて引き受けることなのだ。
僕は、農地選びでは土地そのものの条件だけでなく、貸し手との相性も大切だということを学ぶのだった。
「どう作るか」から「どう売るか」へ
新規就農したばかりの頃は、作物を育てるだけで精いっぱいだった僕も、農家として経験を積むにつれ、「どう作るか」だけではなく「どう売るか」を考えるようになっていた。
特に気になっていたのが、農協出荷では販売価格を自分で決めにくく、相場によって収入が大きく変動することだった。
(せっかく頑張っていいものを作っても、相場が安ければ売上は伸びない。だったら、自分で安定した販売先を開拓できないだろうか?)
そう考えた僕は、地元の飲食店や小売店などへの営業を少しずつ始め、契約栽培による直接取引を増やしていった。

その中でも特に大きな取引先になったのが、地元で数店舗の飲食店を経営するオーナー・赤松さんである。
「平松さんのところなら品質も安定しているし、毎年このくらいの量をお願いしたいんだけど?」
そう言って毎年まとまった量を買ってくれるようになり、取引量は年々増えていった。
価格も事前にある程度決められるため、相場を気にせず作付け計画を立てられる。店側も必要な量を安定して確保できるため、双方にメリットがあった。
やがて赤松さんの店への売上は、僕の収入のかなりの割合を占めるまでになった。
(農協に全部出すだけじゃなくて、自分で販路を作ったのは正解だったな)
僕は、自分の農業経営が、また一段階成長したような気分になっていた。
突然やって来た「廃業の知らせ」

ところが、ある朝のことだった。畑で作業をしていた僕のスマホに、赤松さんから一本の電話が入った。
「平松さん、本当に申し訳ないんだけど……。店を閉めることになったんだ」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「え?店を閉めるって、どこの店舗ですか?」
僕が聞き返すと、電話の向こうでしばらく沈黙が続いた。
「いや……全部。会社自体を畳むことになったんだ」
赤松さんの話によれば、昨今の食材価格や光熱費の上昇に加え、人件費も大きく膨らみ、以前から経営が苦しくなっていたのだという。
言われてみれば、思い当たる節はあった。以前は店に顔を出すたびに元気に話しかけてくれていた赤松さんが、ここ1、2年、どことなく疲れているように見えていたのだ。
新しい店舗を出す話もいつの間にか聞かなくなり、「最近どうですか?」と尋ねても、「まあ、なんとかやってるよ」と苦笑いすることが増えていた。
それでも僕は「飲食店も大変なんだろうな」くらいにしか考えていなかった。まさか取引そのものがなくなるとは思ってもいなかったのである。
そして電話を切った後、僕は畑を見渡して青ざめた。
目の前で育っている作物のかなりの量が、赤松さんとの契約を前提に作付けしたものだったのだ。
「これ……どこに売ればいいんだ?」
単価アップを優先しすぎたのが裏目に
それから僕は、思いつく限りの取引先へ連絡を入れた。
以前販売したことがある飲食店や小売店、知り合いの農家にも相談してみたが、すでに仕入れ先が決まっているところが多く、突然まとまった量を引き受けてもらうのは、やはり難しかった。
もちろん市場に出荷するという選択肢もある。ただ当然ながら、契約栽培で想定していた単価で販売できるとは限らない。
(売り先と販売価格が決まっているから安心だと思っていたのに……)

とはいえ、不幸中の幸いだったのは、もしもの売上減少に備えて収入保険に加入していたことである。今回のケースでどこまで補償されるのかは確認する必要があるものの、大幅な売上減少に対する備えをしていたおかげで、すぐに経営そのものが立ち行かなくなる事態は避けられそうだった。
僕は少し胸をなで下ろしたが、問題はその先である。
今年を乗り越えられたとしても、来年から赤松さんの店に出荷していた分をどうするのか。新しい販売先を、また一から探さなければならない。
そして何より気になったのは、たった一つの取引先がなくなっただけで、これほど経営が揺らいでしまうという事実だった。
(どうにか単価を上げたい、高い金額で売りたいと思って好条件の取引ばかり優先してきたけど……。さすがに偏りすぎていたのかもしれないな)
僕は、自分の販売戦略の弱点を突きつけられたのだった。
好条件の直接取引にもリスクはある
その後、部会の集まりで何気なくこの話をすると、ベテラン農家たちからもさまざまな経験談が出てきた。
「俺も昔、ずっと取引してた店が急になくなって困ったことがあるよ」
「取引先が大きくなればなるほど安心するけど、その一社に頼りすぎるのも怖いよなあ」
元ラスボスの徳川さんも、腕を組みながら僕に言った。
「契約栽培は値段が決まってるから安心だ。でも、その安心と引き換えに、相手の経営状況まで自分の経営に影響してくるのが大きなリスクだよな」
なるほど、と思った。すべて農協に出荷していた頃、僕が気にしていたのは市場価格の変動だった。しかし、直接取引を増やせば、今度は取引先の経営状況という、まったく別のリスクを抱えることになる。
もちろん、契約する前に相手の経営状態を確認することは大切だ。長く付き合っていれば、今回の赤松さんのように「最近ちょっと様子がおかしい」と感じ取れることもあるかもしれない。
ただ、取引先の内情を農家がすべて把握することなどできない。順調に見えていた会社が、ある日突然苦しくなることだってあるのだ。
だとすれば、一番大切なのは、一つの販売先に経営を預けすぎないことなのかもしれない。
農協出荷、複数の飲食店や小売店との契約、イベントなどの直接販売。いくつかの販路を持ち、どこか一つに問題が起きても致命傷にならない状態をつくっておく。
(高く売ることばかり考えてたけど、“どう守るか”も経営にとって大切だよな)

収穫を待つ畑を見渡しながら、僕はまた一つ、新たな経験値を手に入れたのだった。
レベル42の獲得スキル「直接取引だからこそ、販売先の分散も忘れずに」
飲食店や小売店との直接取引には、価格や数量をある程度事前に決められるなど、農家にとって大きなメリットがある。その一方で、取引先の経営悪化や廃業によって、突然販路を失うリスクもある。
もちろん、取引を始める際に相手の経営状況などを確認することは大切だ。しかし、相手の将来を完全に見通すことはできない。だからこそ、特定の取引先への依存度を高めすぎず、複数の取引先に販売を分散しておくことが重要になる。
多少の売上減少が起きても、経営全体には致命傷にならない。そんな状態をあらかじめつくっておくこともまた、安定した農業経営を続けるためには大切なのである。


















