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「おむすび結庵」が東京駅から撤退したワケ【前編】

「おむすび結庵」が東京駅から撤退したワケ【前編】

2018年05月22日

今年3月31日を最後に、東京駅構内にあったおむすび屋「おむすび結庵」が姿を消しました。結庵は東京・清澄白河にあるお米屋「ふなくぼ商店」が経営。東京駅構内としては異例の、チェーン店ではない個人経営の店でした。撤退はファンにとっては悲しいことですが、店主の舩久保正明(ふなくぼ・まさあき)さんには、おいしいごはんを提供することでプロの専業農家がお米を作り続けられるようにしたいというぶれないビジョンがありました。

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東京駅構内にあった別格のおむすび屋

「おむすび結庵」は2010年に東京駅構内のエキナカ「ecute」にオープンしました。秋田県・大潟村産「ひとめぼれ」のお米をはじめ、海苔、塩、具材など、選び抜いた原料で一個一個手むすび。売り場から調理場に目を向けると、大きな羽釜が見えました。

大きな羽釜で炊き上げる結庵のごはん(写真提供:ふなくぼ商店)

ふっくらと炊かれたごはんは、粒立ちが良く、舌触りが滑らか。お米の旨みが感じられ、ふわりとむすばれたごはんは口の中でほろほろとほぐれていきます。香り高い海苔は別添えで、食べる直前に巻くので、海苔の旨みがごはんの旨みを邪魔しません。

割ると一粒一粒がふっくらと粒が立っているのがわかる塩むすび

「塩むすび」はごはんの味を最大限に生かすため注文を受けてからむすぶ方式で、「ごはんの温度が下がってきたとき」「塩むすびをむすぶことが認められた合格者のスタッフがいるとき」しか提供できないという徹底ぶり。店内調理での手作りにこだわり、エキナカという狭いスペースの中であってもおいしいごはんを提供することに力を注いでいました。

しかし、オープンから8年たった2018年3月31日、結庵は退店。経営していた東京・清澄白河のお米屋「ふなくぼ商店」店主の舩久保正明さんは、売り上げを更新し続けていたにもかかわらず一等地を退くことを決断しました。

舩久保さんは代々続く米屋ではなく、イチからお米屋を作り上げてきた初代。にもかかわらず、「もともと米が好きで米屋になったわけではない」と言います。一方で、おいしいごはんの追求、そして何よりもお米農家に対する思いの熱さは並大抵ではありません。舩久保さんを訪ね、ふなくぼ商店の歩みや思いを聞いていくうちに、結庵のおむすびがおいしいワケ、東京駅から結庵が撤退したワケが見えてきました。

商売人ではなく職人

米屋になる前の舩久保さんは、なんとフレンチの料理人。日本橋、霞ヶ関、銀座の3店舗で修行をしていました。一方で、会社を経営していた新潟県出身の父親が一番やりたかった商売はお米屋。ところが、ようやく米穀取扱事業者(当時は登録制)の許可がおりた後に他界してしまいました。その後、発覚したのは父が作った多額の借金。舩久保さんは料理人を一時辞め、3年間にわたって父の会社の廃業手続きや借金の整理などに追われました。

その中で残していたのは、古い精米機と小型商用車と米穀取扱事業者の許可。舩久保さんは「親がやりたかったことをただポンと捨てられなかったというだけ」で、お米屋を続けるつもりはありませんでした。「父の会社の整理が終わったら料理の世界に戻ろう」。そう思いながら、細々とお米屋を始めました。

ふなくぼ商店の歩みについて話す舩久保さん

ところが、父の借金があるうえに、銀行からはまともな融資が受けられない。お米屋は住居兼の木造モルタル2階建てで、お風呂もない。駐車場も借りられずパトカーが来るたび車を店内に入れるため、雨天時は店内が泥と水でぐちゃぐちゃ。さらに、米卸業者はなかなかお米を卸してくれない。お米屋だけではとてもやっていける状況ではなく、クリーニング店の取り次ぎもやりながら経営していました。

父の他界から4年後の1993年。記録的な冷夏によって、いわゆる「平成の米騒動」が起こり、お米を買い求める客が殺到しました。この事態に「辞めるわけにいかなくなった」と舩久保さん。販売するお米を探しましたが、当時はお米の知識もなければ米業界についても知らず、相変わらず米卸業者はお米を売ってくれません。

そこで、お米について学ぼうと、お米屋同士の勉強会に入りましたが、“お米そのもの”を学びたかった舩久保さんにとって“お米の商売”を学ぶ場はどうもなじみませんでした。「新潟産の米だから高い、会津産の米だから高いというのは納得できない。おいしければブランドとして成り立つのかもしれないけど、自分の中ではこの産地だからこの価格というのがイコールにならないのです」。元料理人で、商売人というよりは職人気質。自分に合わないものばかりの中で、徐々に無理が重なっていきました。

そんなとき、ある人からもらったのが「好きなようにやりなさい」という助言でした。損得感情で人が集まる人もいれば、魅力を感じて人が集まる人もいる。舩久保さんは後者で、「あなたを好きな人たちがきっと集まるよ」と言ってもらえたのです。
これを機に、勉強会をやめ、米卸業者との取引をやめ、独自のスタイルで進み始めました。

自称「うるさい米屋」

まずは米農家グループのもとを訪問することから始めた舩久保さん。お米を見せてもらい、生米を玄米のまま噛み、買って帰って精米・炊飯して食べ、これだというお米を作る農家を探し回りました。

そして、一人のお米農家との出会いによって田んぼにも通うようになりました。あるとき、福島県・塩川町(現:喜多方市)の農家が作るお米を見て、「どうしてもこの米を作っている田んぼを見たい」という思いに駆られ、塩川町を目指しました。季節は稲刈りも終盤の頃。台風の中を迷いに迷って、夜になってようやく目的の農家の家に到着。泊めてもらって朝起きると、台風一過の晴天の中でその農家が稲刈りをしていました。「あんなにうれしそうに刈り取りに入っている姿を見たときに、非常に田んぼに興味がわきました」と舩久保さん。当時は金銭的余裕がなく、交通費はお米を取りにいくだけで精一杯。それでも、少しずつ田んぼに通うようにしました。

稲の茎をかじり、葉の硬さを見る舩久保さん(写真提供:ふなくぼ商店)

「米づくりがわからないから、最初のうちは田んぼに行かせてくれと言うのも当然はばかられる。でも、田んぼに入れてもらわないと何もわからない。こちらはズブの素人だから『なぜそうなっているのか』『なぜこうなるのか』ということを平気で質問しました」。農家の話を聞くだけでなく、自分で田んぼに入り、土をなめ、稲の茎をかじり、葉の硬さを見る。「米作りを自分が知らないと、農家さんと対等に渡り合えません。『だったらお前が作れ』『お前に何が分かる』とよく言われました」。

自称「うるさい米屋」。それは舩久保さんの目標が「売れている米屋とか、量を扱っている米屋とか、大きな米屋とかではなく、一流の米屋」だから。その「一流」に近づくために、田んぼに通うと同時に、精米や炊飯の研究も続けました。「五ツ星お米マイスター」をはじめ、お米に関する資格をことごとく取得。当初はふなくぼ商店の得意先の飲食店の休憩時間に頼み込んで、炊飯させてもらったり、鮨のシャリ切りをやらせてもらったり、残りごはんの使い方を探ったりと研究を重ねました。

舩久保さんが「おむすび結庵」を始めた目的は、実はこの延長線上にあったのです。

【後編】に続きます。

 
ふなくぼ商店

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