食べられているお米はほぼ20品種
お米の多様性がなくなった理由として、佐藤さんは「軍事物資として米の品質を統一するという国策がとられたこと」「特に昭和以降に多収を目的として背の低い特定の品種ばかりが品種改良に使われたこと」をあげますが、やはり絶大なインパクトだったのは、「コシヒカリの登場」だと指摘します。
現在の産地品種銘柄(※)を見ると、うるち米、糯米(もちごめ)、酒米で計約480品種(2018年、農林水産省「農産物規格規定」をもとに算出)。このうち、私たちが日常的に食べているうるち米は、作付割合上位20品種だけで84.1%を占めています(2017年産、米穀安定供給確保支援機構公表)。
※ 一定の産地(都道府県単位)で生産された品種が、他の産地で生産された同一品種との間で一定の品質差を示すことから、農産物の取引などにおいて当該産地や品種を農産物検査によって特定する必要があるもの。年1回、都道府県ごとに銘柄設定の申請や廃止などの意見聴取の場が設定され、学識経験者、生産団体、実需者団体、行政関係者による協議の上、農林水産省生産局長に進達。銘柄の設定等を行う必要があると認められた場合、農林水産大臣が行う農産物規格規定の改正の手続きが行われる。

「各県にはさまざまな代表品種があるが、全体の割合から見ると作付面積量は少ない(Panasonic「OKOME STORY MUSEUM」の展示より)
一方で、「明治時代は4000もの品種がありました。異名同種、同名異種と思われるものを整理しても約600種が残ったと言われています」と佐藤さん。「明治時代にさまざまな品種が保たれていたのは、人々が品種を識別して使い分けていたり、地域間の交流がそれほど盛んでなかったりしたためです。でもコシヒカリの登場以降、全国で似たような品種が出てきたので、現在は異なる品種を識別する力がなくなってきています」と危惧します。

江戸時代に作られていたと見られる品種「愛亀」
「私たちは赤い絵の具と青い絵の具しかもっていません。混ぜると紫色になる。いろいろな紫色にはなるけど、結局は紫色であることに変わりはありません。何も増えていないし、何も減っていない。それが近年の品種改良です。いかに嗜好(しこう)が均一化されたかということです」

江戸時代に加賀藩の献上米だったと言われる品種「巾着」
一時期、“偽コシヒカリ”の流通が問題になりました。「流通しているコシヒカリのうち3割が偽物だったときでさえ、私たちは本物と偽物を区別することができなかった。品種の違いが小さくなっていることもありますが、他品種が入っていることを見破れないのに、つまり味の違いがわからないのに高いコシヒカリを購入することにも原因の一端があります。偽コシヒカリの問題は、遺伝的多様性の小ささによって米の食味という文化の多様性が失われたことによる悲劇だったのです」(佐藤さん)
文化の多様性と品種の多様性の関係
多様性の少なさは、どんな問題につながるのでしょうか。
佐藤さんは「品種の多様性をなくすということは文化の多様性をなくすということ」と言い切ります。「どの地域にもそれぞれの食文化があり、それに応じた品種があったはずです。食文化の背景には行事食もありました。たとえばどの行事食であっても特定の品種に置き換えられてしまうと、そのお米の特徴を生かした食文化は忘れ去られてしまいます。行事がなくなると、そのために使われていた品種も必要なくなってしまいます。文化の多様性が品種の多様性を維持して、品種の多様性が文化の多様性を維持しています。一方の多様性が痩せてしまうと、もう一方の多様性も痩せてしまうのです」
実際に、わら細工用の稲の品種も、わらを使う文化がなくなったことで、消えていきました。現在の産地品種銘柄の内訳を見ると、私たちが普段食べているうるち米は約290品種、糯米は約70品種、酒米は約120品種です(2018年、農林水産省「農産物規格規定」をもとに算出)。ごはんを食べ、行事食で餅をつき、日本酒を飲む。「せめてハレの日だけでも品種を使い分けてみたらどうでしょう」と佐藤さん。私たちの“ハレ”や“ケ”の食卓が文化と品種を維持していくのです。

石川県羽咋市の越田秀俊さん・奈央子さん夫妻が栽培した「銀坊主」といううるち米品種
コシヒカリよりもうまい米をつくる
佐藤さんには「コシヒカリよりも美味い米」(朝日新書)という著書があります。このタイトルにはどのような意味が込められているのでしょうか。「コシヒカリよりもうまい米はある」?「コシヒカリよりもうまい米を探ろう」? その真意を問うと、「生産者に限らず、消費者もうまい米は自分で作るもんだということです」と佐藤さん。
では、消費者が「コシヒカリよりもうまい米を作る」とはどういうことなのでしょうか。
佐藤さんが提案しているのは「マイ品種」をつくること。「マイ品種とは、消費者と生産者とが手を組んでつくる品種です。うまい米をつくるのは、生産者に限らず、消費者自身でもあるということです。互いにどんな品種をつくりたいか話し合い、自分たちの手で人工交配、選抜を行う。消費者は田植えや草取り、稲刈りなど、年に数回は農作業の手伝いに出かけ、できた米は買い取る。その土地で作った米は間違いなくその土地に適応していきます。さまざまな品種をつくることで、その土地の遺伝的多様性は高くなり、たとえば冷害などの災害があっても、全滅という最悪の事態は回避しやすくなります」。自家採種を繰り返すことで種苗法上は「品種」ではなくなっていきますが、理解ある消費者と一緒に品種を作って食べる分には問題ないというのが佐藤さんの考えです。

収穫したお米はタネとなる
ハードルが高そうに思えますが、「品種改良はそれほど新しい技術ではない」と佐藤さんは言います。「江戸時代から明治初期のころの品種は個人の努力によって生まれ、農家たちによって品質は支えられてきました。品種の管理を民間に任せるということは、何も今に始まったことではありません」
文化的多様性は生物多様性を担保する
2018年4月、奨励品種について定められた「主要農作物種子法」が廃止されました。現在は都道府県が独自に奨励品種の取り組みを継続していますが、もしも今後、奨励品種がなくなったら、食糧管理法時代のように「新潟米」「福島米」「一等米」「二等米」といった産地や等級の情報だけしか得られなくなってしまうのだろうかという懸念も浮かびます。
しかし、佐藤さんは「多様性にとって一つのチャンス」と前向きに捉えています。「自分たちの品種を自分たちで生み出せば、知的所有権も経済的所有権も自分たちのもの。巨大アグロバイオ企業に縛られることもありません。今の時代は昔に比べて多くの人がいろいろな知識をもっています。知識を総動員してマイ品種の形質をしっかりと制御できれば、多様だけど雑ぱくではない品種をつくることができると思っています」
佐藤さんが「文化的多様性は生物多様性を担保する」と強調するように、人々が単一品種を食べていたら単一品種の作付けになってしまいます。しかし、多様なお米を味わうことで多様な品種の栽培が広まっていくでしょう。米の品種の多様さは、文化の多様さとイコールなのです。
マイ品種を生み出して明治時代のような品種の多様さが現代によみがえれば、日本の食卓はもっと豊かになりそうです。「稲オタクに聞く!『マイ品種』の作り方」でも紹介したように、農家が育種家になる時代がやってきているのかもしれません。
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