「中国に1本1万円で」と言われ、奮起
――社会学の博士号を持ち、研究者でもある野口さん。ご実家のレンコン農家の販売に積極的に携わるきっかけは?
2012年に、ある研究会の懇親会の席で九州女子大学の牛島史彦教授に「中国で1本1万円でレンコンを売ってみたら」と言われたことが始まりです。
父(國雄さん)は収量より品質にこだわって栽培をしてきて、端境期に出荷するためのハウス栽培を成功させるなど技術の向上にも情熱を注いできました。一方、一時は高級食材だったレンコンも生産性が上がるとともに値段もどんどん下がっていて。私も小学生のころから収穫を手伝うなど栽培の大変さは知っていたので、自分で値段を決めることのできない農業に魅力を感じられないでいたんです。
でも、牛島先生の一言で、本当にできたら面白いなと。自分たちの労働に見合った値段で売り、農業の価値を上げることに挑戦してみたいと思いました。
――具体的にはどのように取り組んできましたか?
ブランド化したいと家族に相談すると、父は猛反対。私も引き下がらず、母が「そんなに言うのなら」と、老後のために貯金していた500万円をブランド化のための資金として提供してくれました。
海外で1本1万円で売るためには、日本一のレンコンでなければならない。父の作るレンコンの味には絶対の自信があったのと曾祖父の時代からレンコンを作り続けている歴史があったので、品質と伝統を前面に出していこうと決めました。
日本で1本1万円というのはちょっと勇気がなく、フラッグシップの最高級レンコンを1本5千円として、そのほかの業務用もこれまでの1.5~2倍の値段にしました。とはいえ、販売については素人で右も左もわからなかったので、パンフレットやポップを作って、最初はとにかく展示会に出店しては、取引先を探しました。
ところが、最初の2年は1本5千円どころか業務用すら全く売れなかった。「母の老後資金を無駄にしてしまう」と追い詰められました。そんな時、ある展示会で、兵庫県のスーパーの担当者から「普段取引している産地が不作で」と声をかけられ、取引につなげることができました。これがなかったら心が折れていたかもしれない、本当にありがたい出来事でした。これをきっかけに総合食品商社との取引口座を持つことができ、販路を広げる上での信用を築くことができました。
――1本5千円のレンコンも、その頃から売れていった?
そうですね。最初の取引先ができて少し自信がついたものの、まだ一般に野口農園はまだ無名の存在。もっと広報に力を入れなければと、それまで以上に積極的に展示会やマルシェに出店し、講演会も引き受けました。そういった中で、県や農林水産省、JETROの人などとつながって、また、県内のレンコン農家で広報に積極的な農家は少なかったので、テレビ・雑誌に声をかけられることも増えました。
レンコンを売っている僕が研究者で、「1本5千円の高級レンコン」ということで、ありがたいことに大手の新聞やテレビ番組に取り上げられる機会もありました。2か月に1回はテレビや雑誌に取り上げられていた時期もありましたが、どれか一つが決めてとなって売り上げが大きく伸びたのではなく、知名度が上がるにつれて少しずつ買ってくれる人、ファンになってくれる人が増えて注文が伸びていったんです。
販路開拓は「100%地道な努力」
――野口農園のレンコンは国内だけでなく、パリやニューヨークの高級レストランでも扱われています。こういった飲食店の販路、海外販路はどうやって開拓したのですか?
最初は、ニューヨークのマンハッタンにあるミシュラン一つ星の天ぷら店でした。これは、JETROがつないでくれて扱いが決まりました。
銀座にあるミシュラン二つ星の懐石料理店は、実はフランスに輸出したいと思ったことがきっかけなんです。パリで一番高い懐石料理店で扱ってもらおうと、パンフレットをつけてメールを送ったら、なんと日本から電話が来て。銀座の懐石料理店のオーナーシェフがパリに出したお店だったんですね。で、言われたのが、そこまで言うなら銀座の店にサンプルを送ってほしいが、取引はパリまでの輸送を確保できることが条件だと。「いつも日本から野菜が送れなくて困っている」と言うんですね。サンプルを送ったら「言うだけのことはある。美味しいです。ぜひ使わせていただきます」と言ってくださって、あとは必死でパリまでの輸送方法を探しました。
片っ端から食品を輸出している商社に電話をしました。何社も何社も断られてもうダメかと思ったころ、ある大手商社の九州支店の方が、「できますよ」とついに言ってくれました。うちのレンコンを気に入ってくれたことと、取引相手が一流の料理人だったことも大きかったと思います。言ってみれば電話一本、メール一本で取引先と輸送方法を見つけたわけですが、でもそれを見つけるまでは、完全に地道な努力が100%。とにかくやらなきゃならない、お金を出してくれた親の手前「やらない」という選択肢はなかったですから。
フェイスブックを通じて「うちで扱いたい」と連絡があったお店もあります。
いまフェイスブック友達が4500人くらいいるのですが、実は広報活動に力を入れてから戦略的にフェイスブックの友達を増やしていったんです。怪しい人だと思われないようにプロフィールを工夫して、料理人を中心に知らない人でもどんどん友達申請しまくりました。きっと料理人たちは、常に最高の食材を探しているのだと思います。このお店の場合も、僕のことを知ってレンコンを試してみたら美味しかったようです。
――では、売り先はそれほど戦略的に選んではいないんですか?
そうですね、今もどこに売ったらいいかは常に考えています。でも一つ言えるのは、料理人とつながる場合、うちのレンコンを食べて「これで料理を作りたい」と思う人でないとダメ。うちのレンコンは豊かな甘味とサクサクとした食感がウリです。例えば、今取引の多い天ぷら屋では、この特徴が存分に生かせます。一方で煮物やすりおろした団子にされてしまったら食感や自然な甘みは意味がなくなってしまうかもしれないし、水分が多いのでレンコンチップも向いていない。そういった「付け合わせ」としての使い方では、値段的にも合わないですしね。実際にドバイへの輸出に挑戦した時には、現地での品質評価はよかったんですが、価格が合わないといわれました。天ぷらではなく「肉の付け合わせ」という立場になるとこんなに高いレンコンは必要ないわけですね。
価格にこだわるのは、「労働の価値を上げたい」から
――海外輸出に取り組んでから、国内での販売において変わったことはありますか?
圧倒的に交渉力がつきましたね。それまでは、「市場で売っているものと一緒でしょ?」と価格交渉をされるのが常でした。でもマンハッタンやパリの最高級和食店で扱われているというと「サンプル送ってください」と、全く見向きもされないということはなくなりましたね。価格もこちらの希望で売れるようになりました。
――国内外で販路を拡大してきた野口さん。今後どういったことに取り組んでいきたいですか?
「農業の価値を挙げること」に尽きます。機械とかガンガン導入して、かっこいい農業だとか、スマート農業が良いとは一切思わない。そんなことしたって農業の価値は上がらないし、むしろ下がるかもしれないからです。「俺たちの労働はスマート農業には代替できないぜ、機械には代替できないぜ」ということをわかってもらいたい。論文のための調査で出会った方が、大規模なカイワレプラントを運営する会社の方だったのですが、その方が「これは植物工場なんかじゃない。俺は百姓だ」と言うんです。「農家の本質は見ること。つまり、植物への愛情だ」と。私は、その方の言葉は何となくわかるような気がします。
例えば、料理人にとってそれは包丁かもしれない。どんな食材も最適に切れるスマートな機械が切っても味は変わらないかもしれないけれど、料理人の包丁さばきが美しい、精神性に惚れた、そういうところから、この料理人の作る料理を味わう体験に3万円出しましょうとお客さんが来てくれるわけですよね。
うちも全く同じ考え方でやっています。私は数多くのレンコンの品種を見た目で言い当てることができるのですが、それも、親父が植物をよく見て、情熱を持って農業をやってきたからだと思っています。そういったうちの技術や伝統、レンコンに対する姿勢も含めて価値にしていきたい。簡便化の方向で価格を下げるのでは、労働の価値も下がってしまいますよね。私たちの労働に価値があると証明するためにも、野菜、ひいては食べ物の価格を上げていく必要があると思っています。
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