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脱サラ農家がランボルギーニを買うまで 栽培者から経営者への脱皮

吉田 忠則

ライター:

連載企画:農業経営のヒント

脱サラ農家がランボルギーニを買うまで 栽培者から経営者への脱皮

群馬県前橋市。葉物野菜のビニールハウスが点在する郊外の一角で、高橋喜久男(たかはし・きくお)さんが車庫のシャッターを開けた。登場したのは、イタリアの自動車メーカー、ランボルギーニ社のアヴェンタドール。エンジンをかけると、真っ赤な車体が大音量でうなりをあげた。農家が栽培者から経営者に脱皮すれば、スーパーカーを買うのも夢ではないというのが本稿のテーマだ。

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「自給自足から経営へ」を決意

高橋さんが社長を務める高橋農園(前橋市)は、400棟のビニールハウスでチンゲンサイやホウレンソウ、ミズナなどの葉物野菜を育てる大規模経営。ハウスのほか、8ヘクタールの畑でブロッコリーやゴーヤも栽培している。インターネットで調べればすぐわかるように、ランボルギーニのアヴェンタドールは、郊外なら家一軒軽く建てられる金額のスーパーカーだ。高橋さんはそれを昨年、ローンに頼らず現金で購入した。目に鮮やかな深紅の車体を選んだのは、ディーラーを一緒に訪ねた幼い孫が、うれしそうに「赤、赤」と言ったからだという。
今から30年以上前、20代半ばでナスやホウレンソウを栽培したのが営農のスタート。それまでは、配線など電気関連設備の販売代理店や大手生命保険会社などで営業の仕事をしていた。とくに生保時代は、1カ月の給与が100万円を超えることもある腕っこきの営業マンだった。ただ帰宅が夜遅くになることも多く、子どもたちとすれ違いの日々を送っていた。農業を始めたのは、もっと家族と身近に接することのできる生活をしたかったからだ。
実家はもともと小さな規模で農業をやっていたが、高橋さんが就農するころはすでに農業から手をひいていた。家には軽トラもなく、ゼロからのスタートだった。栽培方法は自己流で、失敗もたくさん経験した。「種をまき、よく発芽したなあと思っていたら、冬が来て寒くなり、もう伸びなくなっておしまい」。当時、栽培を指導してくれた県の職員には今も感謝しているという。

「自給自足でいいと思っていた」と話す高橋喜久男さん

もともとは「自給自足でいいから農業をやるか」という気持ちで就農した。「食べるものはあるんだから、1日の売り上げは3000円あればいい」とも思っていた。農作業に慣れてくると、作物を育てる喜びも感じるようになった。だが、いくら栽培が楽しくても、それだけでは3人の子どもがいる家族を養っていくのは難しい。営業マン時代と比べ、収入は大幅に減っていた。
とくに子どもの友達が1万円近くもするようなブランドもののシューズを履いていることを知り、「親だけが楽しんでいてはダメだ」と思うようになった。「せめて夏に1回くらいは子どもたちを海水浴に連れて行き、冬には温泉に連れて行ってあげたい」。高橋さんはこのとき、「栽培農家から経営農家に変わらなければならない」と決意したという。目指したのは経営規模の拡大だ。

家族でワンボックスカーに乗り、徹夜で市場へ

高橋さんの表現を借りれば、経営を意識するようになってから「ボンッ、ボンッ」という勢いで、ここまで右肩上がりで成長してきたという。従業員を周年で雇用するため、露地と比べて天候の影響を受けにくいハウス栽培を開始。当初は60アールの零細経営だったが、農地を借りてハウスを増やし、1996年には法人化した。販路を増やしながら自前の出荷調整施設を建て、野菜の真空冷却装置を導入し、ハウスもさらに増設。売上高は4~5億円に達している。

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