「1品種の裏には10倍の材料がある」
「1品種の裏には10倍の材料がある」。これは、ある元育種家の言葉です。激戦をくぐり抜けて選ばれた品種の裏では、実にたくさんの系統が捨てられています。
品種ができるまでにはどのような工程があるのでしょうか。古川農業試験場作物育種部主任研究員・遠藤貴司(えんどう・たかし)さんに教えてもらいました。

古川農業試験場内の田んぼで育種について説明する遠藤さん
まず最初に行うのは、「育種目標」の設定。古川農業試験場では、大きく三つに分類して進めています。
一つは、耐冷性やいもち病(稲に発生する病気)抵抗性といった寒冷地で稲作を行う上で重要な形質を長期的に改良していくことです。
二つ目は、農業政策や時代のニーズに合った形質を作り出すこと。現在取り組んでいるのは、食味の良さと収穫量の多さのバランスが取れた業務用の安価なお米、食味や炊飯米の外観に特長があり高価に販売できるお米、質よりも量を重視した飼料用の多収穫米の開発です。こうした育種目標は、短期的に成果を求められている形質です。
同じ主食用のお米でも、自宅で炊飯する家庭用米と、外食・中食で使われる業務用米では求められる形質が違い、たとえば、家庭用はおいしさだけでなく、「粒が大きい」「より白い」「粘りが強い」「軟らかい」といった分かりやすい形質が求められています。一方で、業務用は「精米時の歩留まりが良い」「炊き増えする」「割れが少ない」「ほぐれやすい」「電子レンジで加熱してもおいしい」といった形質が求められているそうです。
三つ目は、その他の多様な形質を改良すること。たとえば、夏の暑さに見舞われてもお米の品質が低下しない特性(高温耐性)。近年では温暖地を中心にそうした形質が必要な地域が増えてきました。東北地方でも、寒さと暑さの両方に強い品種が求められるようになり、古川農業試験場でも5年前からそうした育種に取り組んでいます。また、育苗をせずに田んぼに直接種もみをまく「直播(ちょくはん)」に適した形質や、酒米、もち米、すでにデビューしている巨大胚芽米の改良などにも取り組んでいます。

2019年は酒米の新品種がデビュー予定
こうした目標のすべてに同時に取り組むために、古川農業試験場では父親品種と母親品種を掛け合わせる「人工交配」を毎年100パターン行っています。
この人工交配から品種が生まれるまでは、なんと7、8年はかかるそうです。交配後の育種の流れについて、遠藤さんに分かりやすく教えてもらいました。
デビューまでの道のりは大激戦
交配した“お父さん”と“お母さん”からはF1世代(雑種第一代)と呼ばれる“子ども”が生まれます。F1世代の種もみから育って収穫した種もみはF2世代。その種もみから育って収穫した種もみは、F3世代となります。しかし、稲作は基本的に1年に1回。1年1世代の栽培では育種に時間がかかってしまいます。そこで、現在の主流となっているのが「世代促進」という方法。温室で栽培することで、1、2年でF4世代まで世代を進めます。この方法によって、短い栽培期間で遺伝的な固定を進めて、育種期間を短縮することができます。

試験場内の田んぼで栽培されている育種中の稲
古川農業試験場では、F3世代までは温室で栽培して、F4世代からは試験場内の田んぼで栽培されます。世代促進中も交配組み合わせの絞り込みを行うため、交配した100パターンは田んぼに出るころには50パターンに半減しています。それでも、1パターンにつき2000個体の稲を植えるため、単純計算でF4世代の田んぼには10万個体の稲が植えられているということになります。
この個体の中で、選ばれしものだけが、F6世代で「P◯◯(PはProgency=子孫、後代を表す)」という番号をもらうことができ、さらに選ばれしものだけが、F7世代で「東(とう)◯◯(東は東北の東)」という番号をもらうことができ、さらに選ばれしものだけが、F8世代で「地方番号」と呼ばれる「東北◯◯号」をもらうことができます。地方番号がもらえるまでには交配から5年もかかるそうです。しかも、地方番号がもらえる個体数は、1年でたった1〜3個体だけ。この工程で個体の「良い」「悪い」を目利きしていくのが、遠藤さんたちのようなブリーダーの存在です。

育種中の稲の出穂(穂が出る)時期を分かりやすくするため、出穂時期を比較するための品種も植えられている
しかし、地方番号がもらえてもデビューできないままの品種もあります。古川農業試験場では、この90年間で地方番号は東北1号から東北233号まで出ていますが、その中からデビューできたのは5分の1ほどの45品種だけ。世にデビューした品種が大激戦を勝ち抜いてきたエリートたちだったことを思い知らされます。
7、8年かけてデビューした品種の寿命も7、8年
古川農業試験場でこれまでにデビューした品種数は、育種を始めてからの約90年間で45。なかなか品種が出せない時期、順調に品種が出ていった時期はあるものの、平均で2年に1品種はデビューしている計算になります。
一方で、せっかくデビューしても、作られなくなっていく品種もたくさんあります。たとえば、古川農業試験場で1997年にデビューした「はたじるし」という品種は、耐冷性が強く、食味が良いということで、福島県で広く普及しましたが、「あきたこまち」といったブランド品種の作付けが増えたことや、倒れやすいという栽培上の欠点もあり、今では作る人がほとんどいなくなってしまったそうです。
「品種の寿命はだいたい7、8年と言われていますので、それ以上作られ続けたら良い品種だったと言えます」と遠藤さん。1956年にデビューして1979年から40年にわたって全国作付面積1位の座を保ち続けている「コシヒカリ」や、1991年にデビューして1998年以降、2006年と2011年を除いて全国作付面積2位の座を保ち続けている「ひとめぼれ」は本当にすごい品種なのです。

古川農業試験場で生まれたロングセラーの「ひとめぼれ」
遠藤さんに古川農業試験場の歴史上の“大物品種”を尋ねると、「ひとめぼれ」「ササニシキ」「農林17号」と答えてくれました。「ひとめぼれ」は今でも主流。「ササニシキ」は作付面積が少ないものの根強いファンがいる品種。「農林17号」は今では消えてしまいましたが、昭和初期に一世を風靡(ふうび)したそうです。

古川農業試験場で生まれた「ササニシキ」には現在でも根強いファンがいる「ひとめぼれ」
こんなにも長い年月をかけてデビューした品種が消えてしまうのは残念ではありますが、交配親として活躍している品種もたくさんあるそう。まるで、競走馬のようです。「品種になるということは、実力があったということ。だからこそ、親として使われ、その子どもたちから良いものができているのです」と遠藤さんは言います。私たちが食べているお米の向こう側には、壮大な歴史や膨大な作業が広がっているのです。
長い年月をかけてブリーダーの人的な目利きによって品種を選抜する過程には、さまざまなドラマがあります。後編では、2018年に古川農業試験場からデビューした新品種「だて正夢(まさゆめ)」に“負けて”日の目を見ることがなかった“幻の品種”や、“想定外”から生まれた品種に注目します。