2度の風評被害から奇跡の再起。カギは主力商品の切り替え

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2度の風評被害から奇跡の再起。カギは主力商品の切り替え

連載企画:農業経営のヒント

2度の風評被害から奇跡の再起。カギは主力商品の切り替え
最終更新日:2020年02月21日

農家であれば、天候不順など予想外の出来事で苦労した経験があるだろう。だが福島県郡山市でカイワレダイコンや豆苗を栽培する降矢敏朗(ふるや・としお)さんは、過去数十年で農業にとって特に重大な例に入る2つの激震に見舞われた。病原性大腸菌O157と東日本大震災による風評被害だ。降矢さんはこの難局に不屈の精神で立ち向かってきた。

ミョウガが全量廃棄に

降矢さんが経営する降矢農園を最初に訪ねたのは、東日本大震災から半年後の2011年9月。売り先を確保する見通しがたたないため、ほとんどの作物は栽培をやめていた。ハウスの中に並んでいたのは空の栽培棚だ。
今後のことをたずねると、降矢さんは栽培棚を見つめながら「これからどうするかは、1年たってから決めます。そのときどんな状況になっているか。それを確認したうえで、判断せざるをえないと思います」と話した。
この「判断せざるをえない」という一言に、降矢さんの当時のリアルな気持ちが凝縮されていたように思う。先行きのことを聞かれても、簡単に前向きな決意を語れるような生易しい状況ではなかったのだ。

栽培棚の多くは空になっていた(2011年9月撮影)

栽培ハウス自体が震災で被害を受けたわけではない。揺れの影響は「神棚のお札が下に落っこちたくらい」(降矢さん)だった。だが震災当日の3月11日夜、降矢さんは都内の知人に一本のメールを送っていた。「原発が不安だよね。大ごとにならなければいいが」
誰もが知る通り、予感は的中した。福島原発は電源が喪失し、水素爆発が発生、放射性物質が放出された。この影響で、実際には放射線が検出されなかったにもかかわらず、多くの農場で農産物の販売がストップした。降矢農園もその一つ。当時栽培していたミョウガは全量、やむなく廃棄したという。

未曽有の難局にどう立ち向かおうとしているのだろうか。インタビューをしながらそんなことを考えていると、降矢さんはふとこう語った。「こういう経験が初めての人はパニックになったかもしれない。でも、うちはそんなことありませんよ。O157で同じような目に遭ってますから」

軽トラに乗せて廃棄に出したミョウガ(写真提供:降矢農園)

あれから9年。今回の取材は、O157によるかつての風評被害とともに、降矢農園の最近の状況について聞くのが目的だった。

O157による集団食中毒は、1996年に大阪府堺市で起きた。当時の厚生相が「カイワレダイコンが原因である可能性が否定できない」などと発表し、カイワレの売り上げが全国各地で激減した。生産業者が国に損害賠償を求めて提訴し、2004年の最高裁で国の敗訴が確定した。
じつは降矢さんも、このときの原告団の一人。仲間たちと「自分たちが危険なものを消費者に売っていたと言われたままでは納得できない。最後まで裁判をやり抜こう」と励まし合ったという。そして裁判では勝利した。

だが、経営への影響はあまりにも深刻だった。大阪で食中毒が起きたころ、降矢農園はカイワレが生産の9割を占めていた。風評被害を受け、4億円あった売り上げが4000万円を切るまで落ち込んだ。
その後、懸命に販売努力を重ね、サンチュや豆苗なども含めて売り上げを1億3800万円まで戻すことができた。その矢先に震災が起きた。このとき降矢さんは「原発事故は誰も経験がない。影響はO157のときよりも長引くな」と感じたという。

復活のカギは主力商品の切り替え

原発事故でまたも風評被害に直面した降矢さんは、当時ようやく栽培が軌道に乗り始めていたミョウガを諦めることを決めた。栽培期間が短いカイワレや豆苗と違い、ミョウガは年に1作のため、仮に注文が復活してもすぐに対応することができないからだ。では空いた棚をどうするか。

ちょうど筆者が最初に取材した時期と前後して、降矢さんは九州に向かった。農業法人の仲間がどんな経営をしているのかを見たかったからだ。帰りに四国にも渡り、イチゴ農園を訪れた。そこで一般のイチゴより長期間にわたって収穫できる品種を目にした降矢さんは「これにしよう」と決意した。

震災後に栽培を始めたイチゴ

ほどなくして、震災前から栽培していた豆苗の売り上げが伸び始めた。かつてスプラウト(芽もの野菜)と言えば、カイワレダイコンが代表的だったが、健康ブームでニーズが多様化した。降矢さんもこの追い風を受けることができた。
商品の特色も強みを発揮した。スーパーでよく見かける豆苗のパックは、根っこがベッドのように下に付いていて、芽を切って食べた後に再び芽が生えてくる。多くの消費者はここで「ちょっと得した気分」を味わう。
だが降矢さんは「最後に根を捨てることになる。ゴミになるものを消費者に売りたくない」と考え、以前から豆苗を根からカットして販売していた。切ってあるので、そのまま調理に回すことができる。この点が評価され、徐々に売り上げが増えていった。いまはカイワレに代わり、主力商品に育った。

震災後に主力商品に育った豆苗

豆苗と並び、いま柱の一つになっているのがサンチュ。震災後に販売をてこ入れするため、営業担当を一人雇って売り先の開拓に乗り出した。
ターゲットは焼肉店。肉を巻いて食べるサンチュは焼肉店にとって必須の野菜だが、暑さに弱いため、夏場は確保が難しい。その点、山あいにある降矢農園は平地と比べて気温が低く、夏も栽培が可能。品薄な時期に出荷できたことが功を奏し、取引が拡大していった。

震災の半年後に「判断せざるをえない」と語った降矢さんだったが、決して経営を諦めていたわけではなかった。それどころか、経営を再び軌道に乗せるため、さまざまな手を打っていた。
現在、売り上げは震災の直前とほぼ並ぶ水準まで回復した。だが降矢さんは「数字的にはぎりぎり戻ったけど、まだ全然途上です」と話す。この言葉の背景には、生産者としてのプライドとでも言うべき思いがある。

「カイワレ一筋」をやめる覚悟

なぜ「まだ全然途上」なのか。そうたずねると、降矢さんは「まだ完璧というレベルまで技術を確立できていない」と説明してくれた。
例えば、豆苗について「もっといいものが作れるはず」と話す。具体的には「もうちょっと品質を高め、ボリューム感を出したい」。イチゴについては「まだまだ途上」と話し、改善の余地は十分にあると強調した。
これに対し、カイワレダイコンは「いまも栽培が一番楽」という。「芝生を刈ったように頭をびしっとそろえることができる」。栽培とは技術によってそんなに差が出るものなのだろうか。この問いに対し、降矢さんは「だってね、震災まで30年近くほぼカイワレ一筋でやってきたんですよ」としみじみ語った。
自分はそもそもカイワレ農家なのだ──。この深い思いを存分に発揮する場を風評が奪ったのだと思うと、影響の深刻さを改めて考えざるをえない。

今も技術に満足できるのはカイワレ

大規模な自然災害や震災、そして根拠のない風評被害は、生産者からたくさんのものを奪っていく。そうした中で、経営の継続を断たれた人もたくさんいる。降矢さんは諦めることなく、営農を現在につないできた。
「うちはまったく別な作物でやっただけ」。栽培の軸をカイワレダイコンから他の作物に移したことをそう表現する。だが言うまでもなく、それは並大抵の努力でできることではない。それを支えているのは、単なる売り上げの回復ではなく、技術の向上という生産者としての情熱なのだ。
良き農業スピリッツの一端に、触れることができたように思う。そんな価値ある取材だった。

不屈の精神で危機に向き合ってきた降矢敏朗さん

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