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飲食店の過酷な仕事にピリオド、農家民宿で目指す自給自足

吉田 忠則

ライター:

連載企画:農業経営のヒント

飲食店の過酷な仕事にピリオド、農家民宿で目指す自給自足

自給自足――。農業をやってみようと思う人の中には、食べ物を自分で作ることで他人や組織に縛られない、そんな暮らしを想像してみたことのある人がいるのではないだろうか。自由な生活は本当に可能なのか。埼玉県比企郡ときがわ町で自給自足を目標に掲げ、農家民宿を営んでいる金子勝彦(かねこ・かつひこ)さんにインタビューした。

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レストランで1日17時間の仕事、「体はボロボロ」

金子さんは現在、43歳。森林と田畑に囲まれ、人家がまばらなときがわ町の一角で、農家民宿「楽屋(らくや)」を営んでいる。ときがわ町に畑、隣接する鳩山町には田んぼがあり、面積は合わせて1.8ヘクタール。トマトやナス、ケールなどさまざまな野菜と、コメや麦などの穀物を育てている。
「不安を持たず、シンプルに生きたい。不安にはいろいろなものがあるが、食べ物を自分で作れば解決する。どんな状況でも、生きていければいい。生きていくということを最小化すると、自給自足に近づく」
「なぜ自給自足を目指すのか」という質問に対し、金子さんはこう答えた。どんな経験をして、こういう考えにいたったのだろうか。そのことを理解するために、金子さんのこれまでの歩みをふり返ってみよう。

大豆畑で。自給自足を理想に掲げる

大豆畑で。自給自足を理想に掲げる

大学を卒業して就職したのは、工場の熱利用を効率化するシステムを提案する会社。工場の廃熱を利用して発電するシステムが売りで、環境問題の解決に役立つと思って就職した。だが「仕事後の一杯」などサラリーマン社会特有の人間関係になじめず、半年ほどでやめた。
次に勤めたのが会計事務所。入るとすぐ、税務についてきちんと教えてもらえないまま、顧客の資料を渡されて「法人税の申告をしてきなさい」。分厚い資料を必死に読み、ビクビクしながら処理する日々。元旦の朝4時に一人で出勤して仕事をこなすような状況に耐えきれず、ここも半年でやめた。
大学を卒業してからすでに1年以上がたっていた。「学歴や職歴に関係なく、好きなことをやろう」。そう考え、真っ先に浮かんだのが料理か農業。まず沖縄料理店で半年ほどアルバイトし、「自分は料理を作るのが好きなのかもしれない」との手応えを得た。

料理人としての経験は農家民宿の経営に生かされている

料理人としての経験は農家民宿の経営に生かされている

ここから先、金子さんは料理人としてのキャリアを重ねていく。次に働いたのが都内のすし屋で、ここで3年間みっちりと包丁さばきを仕込まれた。オーストラリアに渡ると、シドニーのホテルで朝食のビュッフェから夜のアラカルトまで任されるようになった。3年弱で日本に戻り、別のすし屋に勤めた後、カフェチェーンに就職して香港支店の立ち上げを現地で担当した。
職を転々とする姿を疑問に思う人がいるかもしれないが、筆者が感じたのは想像以上に過酷な飲食業の仕事と金子さんの頑張りだ。ある店では1日に17時間働き、体調を崩して医者に診てもらうと「あんたボロボロだよ」。そんな日々の中で、「自然の中で暮らしたい」と思うようになっていった。
香港から戻ると、実家のある埼玉で、福祉施設に給食サービスを提供している会社に勤め直した。レストランと違い、寝る間もない生活からは解放されると思ったからだ。そこでも奮闘し、実家から離れた場所で大きな仕事を任されそうになる。だが金子さんはその指示を断った。
今度は仕事に耐えきれなくなったわけではない。そのころ、小さな畑を借りて、趣味で野菜の栽培を始めていた。金子さんはそれを「土いじり」と表現するが、畑で土に向き合う時間がそれほど大切になっていた。

料理と農業が結びつく大きな転機とは

給食サービスの仕事をやめた後、金子さんに大きな転機が訪れる。自給自足の生活を提唱し、その技術を教える人がいることを知人から聞いたのだ。もともと大手メーカーに勤めていた人で、電気を使わずに暮らすためのさまざまな技術を考案し、現代社会に疑問を抱く人々から広く支持を集めていた。
金子さんは栃木県那須町にある研修所でこの人から1年間、家の建て方や作物の育て方を学んだ。会計事務所をやめたとき、心に浮かんだ仕事は「料理と農業」だった。料理人としてはすでに豊富なキャリアがあったが、さらに作物の栽培技術を習得する機会にも恵まれ、両者が結びつこうとしていた。
新天地となったのが、ときがわ町だ。地元の旧家の邸宅を、ゲストハウスとして活用するよう地権者から頼まれた。2016年のことだ。料理人の腕を生かしてゲストハウスの客をもてなす傍らで、少しずつ田畑を借り、栽培技術を高めていった。選んだのは、農薬や化学肥料を使わない有機農法だ。
ここで働いたのが4年弱。そして2019年9月、同じときがわ町で小さな民家を買い、農家民宿の楽屋を立ち上げた。料理の食材は、自分で育てた野菜やコメ。ヒヨコも飼い始めたため、もうすぐ卵を使った料理も出せるようになる。しかも、民宿の魅力を高めてくれるパートナーも現れた。

取材中に金子さんが作ってくれた料理。あっさりした味付けでおいしかった。豚肉は購入したもの

取材中に金子さんが作ってくれた料理。あっさりした味付けでおいしかった。豚肉は購入したもの

楽屋のオープンに先立ち、阿部由佳(あべ・ゆか)さんが作業を手伝ってくれるようになった。阿部さんは大学を卒業し、保育所で働いた後、「もっと自然に関わる仕事がしたい」と思い、自給自足を提唱する研修所でDIYの技術などを学んだ。金子さんが農作業について学んだのと同じ研修所だ。
1年の研修を終えた阿部さんは、軽トラで全国を回りながらワークショップ(体験型講習会)を開き、ネットワークを広げていった。テーマにしたのは「ソーラーフードドライヤー」。ステンレスシートを使って太陽光の熱を集め、ドライフルーツや干し野菜などを作る箱形の設備だ。参加者と一緒になって組み立て、電気を使わない食品加工の技術を伝えた。
「食が大事だと思っていても、旅を続けているままでは断片的な活動にとどまると思った。そんなときに金子さんに出会った」。阿部さんは楽屋で働くことになった経緯を、こう説明する。主な仕事は、体力をあまり必要としない農作業や食材の加工など。ふだんは金子さんのサポート役だ。
一方、農家民宿という場を得たことで、ワークショップで伝えてきたソーラーフードドライヤーは、より存在感を増すようになった。電気をできるだけ使わないための技術を、自給自足を実践しようとしている暮らしの空間で示すことができるようになったからだ。阿部さんは「ここでDIY型のワークショップをもっとしっかりやっていきたい」と意気込む。

ソーラーフードドライヤーで加熱したミニトマト

ソーラーフードドライヤーで加熱したミニトマト。短時間の加熱で甘みが増す

収益でさらなる一手、農業と農村の価値を積極的に生かす

最後に、金子さんが作りあげようとしている自給自足の暮らしの全体像について触れておこう。目標は貨幣経済から抜け出すことではない。主な野菜については食品の宅配会社など2つの販路を確保した。その売り上げは、民宿を買うときに利用したローンの返済や光熱費などに充てる。

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