目標は家具作りから農業へ
寛久さんと麻衣子さんは2017年に就農した。栽培面積は0.4ヘクタール強で、70~80種類の野菜を旬に合わせて作っている。主な売り先は、立川市のショッピングセンターの中にある食料品店だ。
就農するまでにはそれぞれ曲折があった。
もともと寛久さんはデザイン会社で働いていた。経験を積むにつれてたくさんの仕事を任せられるようになり、忙しいときは4日続けて徹夜するほどの激務を経験。疲労がたまり、10年ほどでデザイン会社を辞めた。
次に目指した仕事が家具の製作。技術を身につけるため、実家のある埼玉県の家具関連の専門学校に入った。デザインの仕事と共通しているのは、「絵を描いたり、ものを作ったりするのが好き」という寛久さんの性格に合っている点だ。麻衣子さんとはその専門学校で出会った。

さまざまな旬の野菜を栽培している
一方、麻衣子さんが専門学校に入ったのは、住宅リフォーム関連の仕事をしていたとき、自分でも家具を作ってみたいと思ったことがきっかけだった。だがいざ学び始めてみると、大きな木材を扱うのは体力的に無理があると考えるようになった。そんなときに寛久さんと知り合ったことで、新たな目標が生まれた。「ゆくゆくは彼が家具を作り、私がそれを売る形で仕事にしたい」。製作と販売を分担することで、一緒に家具に関わっていくことができると考えたのだ。
だが、寛久さんが高名な家具職人に弟子入りするなど具体化に向けて動き始めたとたん、実現に高いハードルが立ちふさがった。職人として独立するまでに10年かかることがわかってきたのだ。
そこで注目したのが農業だった。家具作りを学んでいたときも、都内で開かれた就農フェアに2人で行ってみたことがあった。「夫婦で一緒にできる仕事」(寛久さん)と思ったからだ。家具職人になるのをあきらめたことで、農業を新たな選択肢として真剣に考えるようになった。
麻衣子さんの母方の実家がある茨城県など、農業が盛んな地方での就農を考えたこともある。それでも東京を選んだのは、消費地が近いため、売り先を見つけやすいと考えたからだ。就農窓口の東京都農業会議に相談してみると、とんとん拍子で話が進み、研修先や農地が見つかった。
こうして2人は青梅市で就農した。

一緒にできる仕事として農業を選んだ
「味に感動した」、本気で育ててみたいと思った野菜とは
寛久さんも麻衣子さんも、前々から就農を志して歩んできたわけではない。自然に向き合う仕事に憧れていたわけでも、高齢農家の引退に伴う規模拡大のチャンスに着目したわけでもない。興味を持ったのでノックしてみたら、意外にすんなり扉が開かれたというのが就農の実感だった。
ただし、栽培に関してはこだわった点が一つあった。農薬を使わずに野菜を育てることだ。大規模化が難しい都市近郊で就農する以上、作物の付加価値を高め、価格競争に巻き込まれないための手を打つべきだと考えたのだ。
2年目には、本気で育ててみたいと思う野菜と出会った。