ダイコン栽培を増やした農協の施設導入と販売努力とは
今回インタビューしたのは、JA水郷つくばの管内にある牛久市で就農した農家たちだ。彼らが農業を始めた経緯を説明する前に、JA水郷つくばの牛久営農経済センターの取り組みに触れておこう。品目はダイコンだ。
同センターにダイコンを出荷する農家が入る「大根生産部会」は、人数が現在34人。2012年と比べ、ほぼ2倍になった。栽培面積は54ヘクタールで、2012年の3倍。出荷量も重量ベースで3倍近くに増えた。
データを2012年と比べたのには理由がある。この年、JA水郷つくばは同センターにダイコンの洗浄機と選別機を導入した。それまでは農家が自分でダイコンを洗い、大きさなどで等級に分けて出荷していたが、負担が大きいために農協の施設で作業を引き受けることにした。

牛久営農経済センターのダイコンの選別機
販売面でも変化があった。JA水郷つくばが卸会社と連携し、相場より有利な値段で買ってくれるスーパーとの取引を増やしていったのだ。農協の設備投資と販売努力により、生産者は安心して「いいダイコンをたくさん作る」ことに注力できるようになった。出荷量が大幅に増えたのはその成果だ。
しかも特筆すべきは、既存の農家がダイコンも育てるようになっただけでなく、ダイコンを主な作物に選んで就農する人が出てきた点だ。その育成の場となっているのが、農業法人のうしくグリーンファーム(牛久市)だ。
うしくグリーンファームは、牛久市が2011年に設立した。耕作放棄地を再生して作物を育てるとともに、就農希望者にさまざまな農産物の栽培技術を教える役割を果たしている。社長を務めているのは、大根生産部会の部会長だった山岡正男(やまおか・まさお)さん。すでに4人の農家がここでダイコンなどの育て方を学び、牛久市内で就農した。

就農者の育成を担ううしくグリーンファーム
サラリーマンの平均は稼ぎたい、3人の農家にインタビュー
どんな人たちがうしくグリーンファームで学び、就農したのか。それを知るため、3人の農家にインタビューした。いずれも40代前半だ。
最初に紹介するのは、佐藤尚徳(さとう・なおのり)さん。うしくグリーンファームで3年間働いた後、2017年に就農した。作物はダイコンだ。
もともと土浦市のショッピングセンターで働いていたが、背骨の骨折という大ケガを負って半年間入院。そのとき「一度きりの人生だから好きなことをやろう」と思い、以前から関心のあった農業の世界に飛び込んだ。
栽培面積は2021年の予定が4ヘクタール弱。いまの手取り年収は数百万円だが、面積をもっと広げたり、品目を増やしたりして5年後には1000万円に増やすという目標を掲げている。同じ地域のダイコン農家にはすでに1000万円に届いた人がおり、けして非現実的な目標ではない。
新規就農の佐藤さんにとって大きかったのは、牛久営農経済センターに洗浄機などがあるため、設備投資の負担が限定的だった点だ。「やればやるだけ伸ばすことができる。手応えを感じている」と話す。

手取り1000万円を目指す佐藤尚徳さん
もう一人は宮下祐生(みやした・さちお)さんで、品目はやはりダイコン。うしくグリーンファームで2年間働き、2018年に就農した。もともとほかの地域の農業法人で働いていた。当初はふつうの会社勤めの感覚だったが、「やっているうちに独立して自分で農業をやってみたくなった」。
就農を決めたときは農協に出荷せず、自分で販路を探すことも考えてみたという。そうしなかったのは「ゼロからやるより、すでにしっかりとできている仕組みを使ったほうがいい」と考えたからだ。そこで、うしくグリーンファームで技術を学び、ダイコンを農協に出荷するコースを選んだ。

「すでにある仕組みを使ったほうがいい」と話す宮下祐生さん
3人目は、2019年に就農した湯谷治彦(ゆたに・はるひこ)さん。品目はブロッコリーとスイカだ。農業機械の製造会社に16年勤めていたが、「農業へのあこがれ」が強まり、就農した。広い畑に野菜が整然と育っている様子を美しいと感じ、自分で作ってみたいと思うようになったという。
ダイコンと違い、ブロッコリーやスイカの選別機は農協にはない。そこで自分で選別して箱詰めし、出荷することにした。とくに手間がかかるのがブロッコリーで、深夜12時から収穫を始めて箱詰めし、午前10時に農協に届ける日もあるという。ピーク時には「眠りたいけど、眠る時間がない」という日々が続く。
それでも「栽培はすごく楽しい」と語る。繁忙期でなければ、一日のんびり過ごすこともできる。そして湯谷さんにとっても大きかったのは、販売を農協に任せることができる点だ。「売り先を探したり、交渉したりするのは得意ではない。栽培技術を高めることに専念したい」と強調する。
ではどれだけの収入を目指しているのか。この問いに対する答えは、宮下さんも湯谷さんも「サラリーマンの平均くらいは稼ぎたい」だった。「農業はもうからない」といった言葉をこの取材で聞くことはなかった。

「栽培技術を高めたい」と意気込む湯谷治彦さん
「失敗から学ぶ」という指導方針、栽培に専念して経営を伸ばす
取材には、うしくグリーンファーム社長の山岡さんも同席していた。山岡さんはその間、独立した3人と筆者のやりとりの聞き役に回っていたが、話題が「失敗」に及ぶと、ゆっくりと自分の考えを語り始めた。
きっかけをつくってくれたのは、佐藤さんだ。栽培の楽しさについてたずねると、佐藤さんは「失敗すること」と答えた。栽培でつまずいたとき、次にどんな手を打つかを考えることが、技術の上達につながるからだ。その話を聞いていた山岡さんは「失敗は楽しい」と語った後、こう続けた。
「記憶力のいい人ならすべて覚えているのかもしれないが、1年たてばいろんなことを忘れてしまう。しかも手抜きはいくらでもできる。でも毎年1年目のつもりになって、手抜きをしないでやったほうがいい」
山岡さんがこう話すと、3人は「うんうん」という様子でうなずいた。わかったつもりでやるのではなく、つねに新鮮な気持ちで課題を見つけてほしいという意味だ。山岡さんは「初心忘れるべからず」ともつけ加えた。

就農者の育成に努める山岡正男さん
失敗を大切にするという考え方は、うしくグリーンファームの指導方針でもある。3人が一様に指摘したのは、山岡さんがあえて細かい指示を出さず、自分たちに任せてくれたことだ。その結果、うまくいかないこともある。この点について山岡さんは「失敗を通してわかってくれればいい」と語った。
話題がこのあたりに来ると、取材というより、山岡さんと3人の自然なやりとりに変わった。宮下さんが「自分たちのこと心配ですか」と聞くと、山岡さんが「心配してないよ」と答えた。すると湯谷さんが「してないんですか」と聞き直し、宮下さんが「してくださいよ」と続けた。自分たちが山岡さんから教えてもらいたいことはまだたくさんあるという意味だろう。
「うしくグリーンファームで働いていた仲間たちと、畑や農協で顔を合わせて話ができるのは、自分にとってとてもプラスになってる」。そう話したのは佐藤さんだ。「湯谷さんが深夜から働いていることを知ると、自分も頑張らなくちゃって思う」。独立した仲間たちや山岡さんとの交流が、営農を向上させるための励みになっているのだ。
自分の力で販路を見つけ、事業を大きくすることは当然すばらしい。一方で、すでにある農協の仕組みを活用し、栽培に専念しながら地道に経営を伸ばすという選択肢もある。地域に溶け込むことで得る喜びもある。「地域のリーダーになってほしい」。山岡さんは3人を見ながらしみじみそう語った。