「故郷を知ってほしい」、悔しさをバネに若手農家が選んだ意外な作物

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「故郷を知ってほしい」、悔しさをバネに若手農家が選んだ意外な作物

連載企画:農業経営のヒント

「故郷を知ってほしい」、悔しさをバネに若手農家が選んだ意外な作物
最終更新日:2021年02月10日

地元の農業を盛り上げたいと思うきっかけはいろいろある。東京都西多摩郡日の出町の若手農家、野口雅範(のぐち・まさのり)さんの場合、「日の出町ってどこ?」と聞かれ続けたことが動機になった。そこで地域の特色を出すために選んだのは、東京で育てているとは想像しにくい意外な作物だった。

直売所ですぐ売り切れるトマト

野口さんはいま36歳。栽培面積は2ヘクタールで、トマトを中心に白菜やブロッコリー、トウモロコシなどさまざまな作物を父親の隆昭(たかあき)さんと一緒に育てている。トマトはハウス、他の作物は露地栽培だ。
作物は全量、秋川農業協同組合(JAあきがわ、東京都あきる野市)が近くで運営している直売所で販売している。直売所のメインの農産物は日の出町で栽培が盛んなトマトで、とくに野口さんのトマトは人気商品。昼過ぎに直売所に行くと、棚いっぱいにあったトマトがすべて売り切れていた。

収穫したてのトマト

棚いっぱいにあった野口さんのトマトは昼過ぎに売り切れていた

実家で就農したのは、27歳のとき。もともと農業を仕事にするつもりはなく、やるとしてもいつか会社勤めをやめた後のことだと思っていた。母方の祖父が大工だったこともあり、興味があったのは建築関係の仕事。高校や専門学校で建築について学び、東京都中央区にある建築事務所に就職した。
父親が体調を崩したことが、実家に戻るきっかけになった。3棟のハウスで1000株のトマトを育てており、ハウスの中が高温になる夏場は大変な重労働。野口さんは当時、東京都墨田区に住んでいたが、母親から「お父さんが体をこわした」などの連絡がたびたび入るようになり、就農を決めた。
そのころ、野口さんが農業に対して持っていたイメージは「とにかく大変」というものだった。建築事務所での仕事のかたわら、週末には実家に戻って手伝うこともあったので、作業がいかにきついかよくわかっていた。
それでも、前向きな気持ちで就農できる理由はあった。「父が作るトマトはおいしい」という思いがあったからだ。野口さんが農業を始めると、ほどなくして父親も体調が回復した。こうして父親の栽培技術を学びながら、経営を発展させるために新しいことに挑戦する日々が始まった。

父親の隆昭さんと

GAPの認証取得で収益性向上、新たに始めた作物とは

野口さんによると、営農のさまざまな局面で判断が必要になったとき、意思決定する比率は「自分と父で6対4」という。仕事のやり方や栽培品目の選定など全般にわたり、父親から経営のバトンを引き継ぐ過程にある。
新たに取り組んだことの一つが、農業生産工程管理(GAP)の認証の取得だ。農機具や農薬、肥料などを適切に管理することで、事故を防いだり、農産物の安全性を確保したりするためのルールで、国内のGAPは農林水産省のガイドラインに準拠した内容になっている。2018年度から東京都が運営する「東京都GAP」の認証制度が始まったのを受け、野口さんは2019年に認証を取得した。
GAP認証を取得する理由には、小売店の要望に応えたり、輸出につなげたりするなどさまざまなものがあるが、野口さんの場合はもっと切実な事情があった。資材置き場にいろんな農薬が整理せず置いてあったのだ。農薬にはカラフルな色のものが多く、子どもたちがうっかり触ってしまうのを心配した。
父親一人のときはそれでもよかったが、自分も営農に加わる以上、いつまでもその状態を放置するわけにはいかなかった。「まず農薬をカギのある棚に入れよう」。父親をそう説得することから始め、他の資材の置き場や作業の手順を明確にしていき、GAPの認証取得にこぎつけた。そのことが結果的には作業の効率を高め、収益性を向上させることにもつながった。

東京都GAPのステッカー

GAP認証の取得に先立ち、2018年からは新たな作物の栽培にも乗り出した。いまはトマトが生活を支えてくれている。だが、他の多くの地域でも栽培が盛んなトマトに比重を置きすぎるのはリスクがあると考えた。
そこで選んだのがパッションフルーツだ。アイスクリームにそえて食べたり、ジュースに加工したりする果物だ。南国の作物というイメージが強いが、日の出町で以前試しに作ってみた農家がいたので、栽培が可能なことはわかっていた。何より、実際に食べてみておいしかったことが決め手になった。
パッションフルーツに話題が及んだとき、野口さんは「日の出町の新しい特産品にしたい」と強調した。自分一人で栽培し、他の農家と差を出そうとは考えないのだろうか。そのほうが、野口さんにとって得とは思わないのか。そう質問してみると、「思わない」という答えが返ってきた。
理由をたずねると、「日の出町を知っている人が少ないから」。立川市の高校に通っていたときも、墨田区に住んでいたときも「日の出町ってどこ?」と聞かれることが何度もあった。隣接するあきる野市の人からさえ、「知らない」と言われたことがあった。「その悔しさはいまもある」という。
地元で就農したのをきっかけに、野口さんは「知名度の低さを何とかしたい」と思うようになった。パッションフルーツという意外な作物を選んだ背景には、そんな事情もある。いまは直売所でトマトほどたくさんは売れないが、軌道に乗れば仲間の農家にも勧めたいと考えている。

営農の柱にするのを目指すパッションフルーツ

家のシンボルをモチーフにマークを作成、親子の事業承継

「父にとっては俺の就農がゴールだが、自分にとってはスタートにすぎない」。野口さんはそう話す。そのスタートダッシュを加速させるため、東京都GAPの認証を取得し、パッションフルーツを導入した。そして2020年には次の一手を打った。農園のマークを作ったのだ。
マークの中心に据えたのは、樹齢100年超のケヤキの木。野口家のシンボルだ。そのケヤキを、トマトとパッションフルーツの木が両側からはさむデザインにした。制作したのは、農業関連のデザインを手がけるコトリコ(東京都西多摩郡瑞穂町)代表の江藤梢(えとう・こずえ)さん。野口さんが目指す方向について議論を重ね、営農の姿を象徴する形に仕上げた。
マークを作った理由は「格好つけたかったから」。目立ちたいという意味ではない。「見た目が良くないと、この地域で農業をやろうとする後継者が出てきてくれない」と思ったからだ。パッションフルーツを地域の特産品に育てることで、日の出町を盛り上げようというのと通じる発想だ。

江藤梢さんに依頼して作ったマーク

もしかしたら、これまでと違うことに次々に挑戦する野口さんと父親の関係は良くないのではないかと思う人もいるかもしれないが、決してそんなことはない。取材にもところどころで隆昭さんが同席し、GAPの話題になるとにこにこしながら「仕事がすごくスムーズになった」と話していた。
そこで野口さんに「受け入れてもらえているんですね」と聞いてみると、「父はかなりの頑固者」と強調した。仲が険悪になるほどではないが、農園の経営を巡って意見がぶつかり合うことは結構あるのだろう。
自分が納得できない限りこれまでのやり方を守ろうとする父親と、そんな父親を説得しながら前進しようとする息子。世代を超え、時代に合わせて営農の形を少しずつ変えていく良き農業の姿がそこにあるように感じた。

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「食と農」の現場を日々取材する記者が、田畑、流通、スマート農業、人気レストランなどからこれからの農業経営のヒントを探ります。
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