コロナで飲食店向けの売り上げは7割減、宅配セットの需要が増加
とても有名な生産者なので、プロフィールの紹介はごく簡単なものにとどめたいと思う。帝人を退職し、土浦市で就農したのが1999年。現在の栽培面積は約6ヘクタールと、野菜の有機農家としては大規模の部類に入る。
久松さんの存在を際立たせているのは、たくさんの品目を安定して育てる技術に加え、SNS(交流サイト)などを使った発信力だ。「キレイゴトぬきの農業論」(新潮新書)などの著書を通して有機農業の意義や営農戦略について理詰めで解説し、若手農家を中心に幅広く支持を集めている。
農業界へのコロナの影響は、消費者が食事をする場所の変化を反映してすでに明暗がはっきりしている。「巣ごもり消費」の一環で家での食事が増える一方、飲食店で食べる機会は減った。久松さんの場合、影響はともにあった。個人向けの宅配と飲食店という二つの販路を持っているからだ。

飲食店向けに出荷する野菜
飲食店向けは、2020年3月のはじめごろから落ち込み始めた。「宴会がキャンセルになった」などの理由で注文がストップすることが増え、常連客に支えられるような小さな店にも影響が及び、3月末には注文がほぼゼロになった。
その後、状況に多少の変化はあったが、本格的な回復の糸口はつかめないまま1年が過ぎた。コロナ前は毎週安定して10~15店から注文があったが、いまは1~3店がせいぜい。営業を縮小するだけでなく、閉店した売り先もあった。2020年の飲食店向けの売り上げは、前年比で7割減った。
これに対し、個人向けの宅配セットは需要が急増した。久松さんはコロナ前、宅配セットの市場の拡大について懐疑的に見ていた。共働き世帯が増えたことで、家でゆっくり調理する時間的な余裕がある人が減ってきたからだ。だが、コロナでいい意味で予想が外れ、売り上げは4割増えた。
飲食店向けの減少と個人向けの増加を相殺すると、全体では1割の増加になった。伸び率は個人向け宅配のほうが小さいが、販売量はもともと飲食店向けより多かったので、コロナ禍のもとでも売り上げを増やすことができた。

出荷作業をしているスタッフと
新規顧客が増えた理由とは
個人向けの販売が増えた要因を詳しく見てみよう。
まず既存の顧客が購入量を増やしたのか、それとも新規の顧客が増えたのか。久松さんによると、答えは後者。しかもこれまでとは違い、既存の顧客の紹介ではなく、インターネットなどで自分で調べて購入を申し込んできた人が多かったという。コロナ禍が長引く中で、そういう客が定着した。
ここで重要なのは、野菜を宅配で売っている農家はほかにも大勢いる中で、なぜ久松さんを選んだかだ。この点について、久松さんは「ネットで『茨城県 宅配セット』などのキーワードで検索したとき、自分に関する情報が出てくることが多いからではないか」と分析する。
SNSを使った情報発信にいち早く取り組んできたこともあり、ネットを検索すると久松さんに関する情報がたくさん出てくる。インタビューも積極的にこなしてきた。自分で書いた書籍も複数ある。そうした努力の積み重ねで、久松さんの情報が消費者に届きやすくなっているのだろう。

個人向けの宅配セット
では顧客を増やすうえで、有機栽培であることに意味はあるのか。そうたずねると、久松さんは「あると思う」と答えた。実際、新しい顧客の中には、「有機栽培ですか」と問い合わせてきた人が少なからずいたという。
「恐怖心が強い人は、食材に関して有機を好む人が多いのではないか」。久松さんはそう指摘する。ここで「恐怖」の対象はコロナであり、守りたいのは自らの健康だ。「健康にいいという理由だけで有機野菜を選んでいる人は少ないと思うが、そういう要素がゼロの人もいないと思う」と話す。
久松さんは有機栽培で野菜を作ることに強いこだわりを持っている一方、「有機だから健康にいい」とは考えていない。農薬や化学肥料を使って育てた野菜でも、使用法が適切なら同じように安全という立場だ。
ただし、健康志向で有機野菜を食べようとする消費者を否定しているわけではない。「有機野菜を宅配セットで販売している生産者の中には、いいものを鮮度よく届けようと努力している人が少なくない。その意味で健康に資する」というのがその理由。久松さんらしい合理的な説明だろう。

コロナによる変化について語る久松さん
宅配セットのこれからの可能性についてはどう考えているか。「コロナ前に『個人向けの宅配にはポテンシャルがある』っていう若い新規就農者がいたら、『ふざけるんじゃない』って言ったと思う。でもいまは、正しいのではないかと思うようになった」。久松さんの考えの一番大きな変化だろう。
「多くの人がもう家で料理をしなくなってしまったと思っていたが、そんなことはなかった。共働きでそういう習慣が減っただけで、家にいれば料理を作り、家族で食事を楽しむ人はたくさんいる」。ライフスタイルが完全に変わったとは思っていないが、いまの状態は当面続くと考えているという。
もし個人向けの販売も難しくなったら
久松さんはコロナによる混乱のマイナスの影響を、現時点で回避することに成功している。では個人向けが伸びていなかったらどうなっていたのだろう。この質問に対する答えは「もし個人も飲食店もダメで、加工向けにしか売れなくなっても、対応できる自信はある」。
そう言い切る根拠は、2011年の東日本大震災のときの経験にある。茨城県の多くの農家は、原発事故による風評被害を被った。久松さんは当時、個人向けの販売がほとんどで、注文の減少に直面した。安全・安心を求めて有機野菜を購入する人が多い分、原発事故の影響は大きかった。

「変化への対応力が重要」と訴える
ピンチを乗り切るために取り組んだのが、飲食店向けの販売だった。食材に対してこだわりのある飲食店が望む野菜を、いかに素早く安定的に出荷するか。シェフの要望は店ごとにそれぞれ異なる。それにきめ細かく応えることで、個人向けの減少をカバーした。このノウハウは、売り先が加工向けに変わっても応用できると考えているのだ。
そして久松さんは、震災と今回のコロナの経験を経て「販路として、10年走ってくれる勝ち馬はない」と思うようになった。「勝ち馬」は売り上げが安定して増える売り先を指す。そういう状態が将来にわたってずっと続くような販路はないという意味だ。だからこそ局面が変わったとき、どこに活路があるかを見定め、突破する力が重要になる。
最後に若い農家へのメッセージを聞いてみた。「何もかもやることはできないから、最初は一つの販路でいい。でも必ず状況がガシャッと変わるときが来る。それを乗り越えることができれば、次の変化にはもう少し簡単に対応できるようになる」。コロナ禍の先を見すえるヒントになる言葉だろう。