ボランティアが2000人、手伝いに来たくなる農場の秘密とは

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ボランティアが2000人、手伝いに来たくなる農場の秘密とは

連載企画:農業経営のヒント

ボランティアが2000人、手伝いに来たくなる農場の秘密とは
最終更新日:2021年03月31日

栽培や売り方などで特色のある農家をたくさん取材してきたが、今回のようなケースは初めてだ。農場を支えているのは、無償で栽培を手伝ってくれるボランティア。その数は年間で延べ2000人。どうしたらそんな営農の形をつくることができるのか。東京都町田市で農薬や化学肥料を使わずに野菜を育てている竹村庄平(たけむら・しょうへい)さんにインタビューした。

「このままだと行き詰まる」就農時の売り上げは200万円に届かず

農場を訪ねると、ボランティアに支えられているという営農の姿をすぐに確認することができた。場所は小高い山の斜面にある小さな畑。ボランティアの人たちがスコップで地面を掘り、菊芋を収穫していた。
取材時間は2時間余り。筆者と竹村さんのやりとりを聞きながら、ボランティアたちは黙々と作業を続けていた。ときおり自分に関連した話題になると、竹村さんに促されて会話に加わることもある。だがそれが終わると、作業を再開。竹村さんもそれを気にする風もなく、取材対応を続けていた。
竹村さんは現在、37歳。何カ所かに散らばっている農地を合わせると、面積は1.5ヘクタール。約50種類の野菜を中心に、コメも作っている。売り先は6割を個人が占め、ほかに保育所などの施設にも販売している。2020年の売り上げは420万円で、2021年は500~550万円を見込んでいる。

竹村庄平

「人の役に立ちたい」と思って就農した竹村庄平さん

学生時代はバックパッカーとして海外旅行するのが趣味で、いずれ外国で仕事したいと思っていた。そこでメーカーでエンジニアとして25歳まで働いた後、海洋土木の会社に転職してシンガポールに駐在した。ところが現地で2年ほど過ぎたころ、「日本で農業をやりたい」という思いが募り、会社を辞めて帰国した。
背景にあったのは、20代前半から自然食品店の野菜を食べるようになり、ずっと悩まされてきたアトピーの症状が軽くなった経験だ。竹村さんにとって、農薬を使わずに作物を育てることが就農の前提だった。30代を前に「何か人の役に立つことをしたい」と思うようになったことも背中を押した。
シンガポールから戻ると、有機農家のもとで栽培技術を学び、実家のある町田市で畑を借りて2014年に就農した。31歳のときのことだ。
スタート時の面積は0.1ヘクタール強。栽培する品目を増やしながら徐々に畑を集め、0.6ヘクタールまで広がった。当初はこの面積があれば、売り上げは400万円いくと見込んでいたが、実際は200万円にも届かなかった。
「このままだと行き詰まる」。そう思った竹村さんは2018年に倍の1.2ヘクタールに一気に拡大した。以前から借りるよう勧められてはいたが、無理に広げる必要はないと思って断っていた畑を、引き受けることにした。このとき急拡大を支えてくれたのが、大勢のボランティアたちだった。

菊芋

収穫したばかりの菊芋

手伝いに来たくなる農場をつくる

ボランティアには、謝礼を一切払っていない。それどころか、作業が終わると、野菜を買って帰る人もたくさんいる。そんな独特な営農の仕組みはどうやってできあがったのだろうか。
「近くに中学の同級生が大勢住んでいる。彼らが勝手に手伝いにきてくれるだろう」。最初はそんな軽い気持ちで、声をかけてみたという。
かなりの数の友人が畑に来てくれた。ところが、作業が終わると「食事おごれよ」と言われる。彼らからすれば「手伝ったんだから当然」という気持ちだったろうが、竹村さんはそれに応えていては続かないと考えた。
そのうち、竹村さんがボランティアを求めていると口コミで伝え聞き、謝礼や食事を求めずに、手伝いに来てくれる人が現れるようになった。彼らの目的は畑で作物に触れ、育てること自体にあった。そのことを楽しいと思い、作業が終わると、それだけで満足して帰っていった。彼らの多くは、同じように農作業が好きな知り合いを誘って連れてきてくれた。

ボランティア

畑で作業を楽しむボランティア

この過程で「来てもらうのではなく、来たくなるようにすべきだ」と考えるようになった。畑の最寄り駅まで送迎するようにしたのはその一環だ。
新しい人が来たら、ゆっくりと時間をかけて畑を案内する。ほんの少し作業しただけで「もう疲れた」と言う人もいるし、教えた通りに収穫できず、作物を傷つけてしまう人もいる。それでも竹村さんは文句を言わない。
ボランティアに来てくれる日を、竹村さんからは指定しない。反対に「明日行きたい」と言われれば、本当は休もうと思っていた日でも畑に出る。それが雨の日だと、倉庫で世間話をしている時間ばかりで、作業はほとんど進まなかったりする。それでも相手が望むなら、受け入れる。
ボランティアが新しい作物に挑戦したいと言ったら、「いいよ」と言って畑の一区画を空ける。この場合も、収穫した作物は農場の販売用。ボランティアたちは初めての作物を育てることを純粋に楽しむ。昔ながらの東京野菜のノラボウナやショウガ、ひよこ豆などはそうやって作り始めた作物だ。

ノラボウナ

ボランティアの希望で作り始めたノラボウナ

こうして、ボランティアが支える農場の形ができあがっていった。中心となって作業してくれるメンバーは10人で、それぞれ年に50回ほど畑に来る。ほかにも試しに来てくれる人が大勢いて、延べ人数は合計で年2000人にのぼる。竹村さんは「今後も1500人を切ることはないだろう」と話す。
販売のことにも触れておこう。売り先は個人が中心で、竹村さんが一軒一軒配達する。何が届くかを買う側が決められない「お任せセット」ではなく、購入する野菜をその都度選ぶことができる方式だ。
具体的には、どの地域に何曜日に配達するかを決めておいて、前日の晩に「明日こんな野菜を出せます」とメールなどで伝える。この作業におよそ2時間。翌日の午後4時まで注文を受け付け、必要な分を収穫して配達に回る。深夜に帰宅すると、再び次の日に配達する野菜を連絡。未明に就寝する。
作業をボランティアに任せ、取材に応じるシーンを冒頭で紹介したので、竹村さんの仕事はあまり多くないと思われてしまったかもしれないが、実際はかなりハードな毎日。栽培や配達、メールでの連絡、ボランティアの送迎や畑の案内などを合わせると、労働時間は月に400時間を超えているという。

ボランティアの「やりたい」を実現

個別に注文を受け付けて配達するのも、ボランティアの意向に応じて農場を運営するのも、根っこにあるものは共通。「農場に関わる人が望むものを、顔の見える関係で提供する」ことだ。最近は農場でとれた大豆やコメでみそを作り始めたが、これもボランティアが「やりたい」と言ったからだ。
だからこそ、ボランティアたちは自主的に気持ちよく作業する。それを知ることのできる場面が、取材の最後にあった。インタビューがひと区切りした後、竹村さんたちとレストランに昼食をとりにいった。農場に残ったのは、弁当を持ってきていた一人の女性。しばらくして畑に戻ると、その女性が何をしているかが遠目にわかった。一人黙々と作業していたのだ。
何をしているのかと聞いてみると、淡々とした様子で「収穫した菊芋の土を取っていた」と答えた。人が見ていなくても作業することは、彼女にとって当然のことなのだろう。別の女性は「ふつうのこと」と話した。
「ボランティアに支えられる」と書くと、善意に助けられている農場を想像するかもしれない。もちろんそこに善意はあるが、同じくらい重要なのは、畑に集う人たちが謝礼とは違う形で大切な何かを手にしているという点だ。ほかの農家が簡単にまねできるような営農の姿ではない。だがそこにはやはり、農業が等しく持つ、人を豊かにしてくれる価値があると思った。

菊芋の土を取るボランティア

一人で菊芋の土を取っていたボランティア

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「食と農」の現場を日々取材する記者が、田畑、流通、スマート農業、人気レストランなどからこれからの農業経営のヒントを探ります。
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