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ボランティアが2000人、手伝いに来たくなる農場の秘密とは

吉田 忠則

ライター:

連載企画:農業経営のヒント

ボランティアが2000人、手伝いに来たくなる農場の秘密とは

栽培や売り方などで特色のある農家をたくさん取材してきたが、今回のようなケースは初めてだ。農場を支えているのは、無償で栽培を手伝ってくれるボランティア。その数は年間で延べ2000人。どうしたらそんな営農の形をつくることができるのか。東京都町田市で農薬や化学肥料を使わずに野菜を育てている竹村庄平(たけむら・しょうへい)さんにインタビューした。

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「このままだと行き詰まる」就農時の売り上げは200万円に届かず

農場を訪ねると、ボランティアに支えられているという営農の姿をすぐに確認することができた。場所は小高い山の斜面にある小さな畑。ボランティアの人たちがスコップで地面を掘り、菊芋を収穫していた。
取材時間は2時間余り。筆者と竹村さんのやりとりを聞きながら、ボランティアたちは黙々と作業を続けていた。ときおり自分に関連した話題になると、竹村さんに促されて会話に加わることもある。だがそれが終わると、作業を再開。竹村さんもそれを気にする風もなく、取材対応を続けていた。
竹村さんは現在、37歳。何カ所かに散らばっている農地を合わせると、面積は1.5ヘクタール。約50種類の野菜を中心に、コメも作っている。売り先は6割を個人が占め、ほかに保育所などの施設にも販売している。2020年の売り上げは420万円で、2021年は500~550万円を見込んでいる。

竹村庄平

「人の役に立ちたい」と思って就農した竹村庄平さん

学生時代はバックパッカーとして海外旅行するのが趣味で、いずれ外国で仕事したいと思っていた。そこでメーカーでエンジニアとして25歳まで働いた後、海洋土木の会社に転職してシンガポールに駐在した。ところが現地で2年ほど過ぎたころ、「日本で農業をやりたい」という思いが募り、会社を辞めて帰国した。
背景にあったのは、20代前半から自然食品店の野菜を食べるようになり、ずっと悩まされてきたアトピーの症状が軽くなった経験だ。竹村さんにとって、農薬を使わずに作物を育てることが就農の前提だった。30代を前に「何か人の役に立つことをしたい」と思うようになったことも背中を押した。
シンガポールから戻ると、有機農家のもとで栽培技術を学び、実家のある町田市で畑を借りて2014年に就農した。31歳のときのことだ。
スタート時の面積は0.1ヘクタール強。栽培する品目を増やしながら徐々に畑を集め、0.6ヘクタールまで広がった。当初はこの面積があれば、売り上げは400万円いくと見込んでいたが、実際は200万円にも届かなかった。
「このままだと行き詰まる」。そう思った竹村さんは2018年に倍の1.2ヘクタールに一気に拡大した。以前から借りるよう勧められてはいたが、無理に広げる必要はないと思って断っていた畑を、引き受けることにした。このとき急拡大を支えてくれたのが、大勢のボランティアたちだった。

菊芋

収穫したばかりの菊芋

手伝いに来たくなる農場をつくる

ボランティアには、謝礼を一切払っていない。それどころか、作業が終わると、野菜を買って帰る人もたくさんいる。そんな独特な営農の仕組みはどうやってできあがったのだろうか。

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