高校の同級生4人で始めたジュースの加工品づくり
烏合の手は2014年に発足した。「そのころは30代前半。社会人として一定のキャリアを積んだので、何か地域のためにできないかと思い、活動を始めました」。代表の斉藤貴広(さいとう・たかひろ)さんはそう振り返る。
きっかけはその前の年の忘年会。烏山高校の同級生の4人が集まり、近況報告をしているうち、地域貢献をしようという話で盛り上がった。
では4人で何をやるか。斉藤さんは1級建築士で、デザインのスキルがある。東京で造園の仕事をしているメンバーは、造園で使う植物を育てる農地が地元にある。もう一人のメンバーは、家庭菜園を長年やっている。そしてもう一人は、ユズを原料に使うジュース工場を埼玉県で運営している。
そこで出した答えが、自分たちでつくった野菜や果物でジュースなどの加工品をつくること。造園業のメンバーが農地を提供し、家庭菜園をやっているメンバーが中心になって作物を栽培、斉藤さんが瓶に貼るラベルのデザインを手がける。ジュースの製造場所は言うまでもなく、埼玉県の工場だ。
グループ名はあえて「寄せ集めのメンバー」であることを示そうと、「烏合の衆」をもじって「烏合の手」にした。ジュース工場を運営している小堀利郎(こぼり・としろう)さんを除けば、本業以外の活動になるからだ。「烏」の字は市の名前にかけ、「手」には「手づくり」という意味を込めてある。
いまつくっているジュースは5種類ある。トマトとユズのジュースは原料をそれぞれ自分たちで栽培し、梨とリンゴのジュースは原料を地元の農家から仕入れている。スパイスなどを外部から調達してコーラもつくっているが、その味を調えるために果汁を入れるユズはやはり自分たちで育てたものだ。
年間の生産量はそれぞれ約400本。地元のレストランやカフェ、売店などで販売しているほか、那須烏山市のふるさと納税の返礼品になったこともある。
ビジネスとして育てるために効率を追求してきたわけではないので、必ずしも収益性は高くない。それでも続けることができたのは、地域のために頑張っているという充実感があるからだ。毎年ジュースができるのを楽しみにしてくれている飲食店や消費者の存在がそれを支えている。
ニンジンやサツマイモを諦め、トマトの加工から始めたわけ
烏合の手が2014年にメンバーの畑を借りて栽培を始めてから、これまでの歩みを振り返ってみよう。彼らがまず気づいたのは、販売用に栽培を始めたとたんに直面するさまざまなハードルだ。
1年目に試しに栽培してみたものの、2年目には諦めた品目がいくつもある。例えばニンジンを育て、ジュースを試作してみたが、どうしてもおいしく仕上げることができなかった。
彼らが最初にこだわったのは「いろいろなものを混ぜず、できるだけ自然な味にすること」だった。そこでニンジンだけを原料にジュースにしてみたが、販売にたえうる味になってくれなかった。
サツマイモは、予想以上に大量にできてしまった。ジュースではなく、干し芋にしようと思って育てた品目だ。あまりに量が多く、すべてを加工しようと思うと手間がかかりすぎるため、これもすぐに栽培をやめた。
ジンジャーエールにしようと思い、ショウガも育ててみた。冷製スープをつくってみようと考え、ジャガイモや枝豆も栽培した。だが一度にいろいろな品目に手を出してみて感じたのは、栽培と加工品の製造をともに軌道に乗せることの難しさだった。
そうした中、唯一手応えを感じることができたのがトマトだった。まず大きなトラブルもなく栽培がうまくいった。ジュースを搾って飲んでみると、4人の感想はともに「おいしい」。これなら消費者に受け入れてもらえると思い、トマトジュースから販売をスタートさせた。
ただし、それだけで「地域に貢献する」という目標を達成することはできない。そこで斉藤さんたちは作戦を変え、自分たちではつくれない品目を地元の農家から仕入れることにした。
その結果、品ぞろえに加わったのが梨とリンゴだ。梨は傷がついていたり、糖度がやや低かったりするものを分けてもらった。リンゴは収穫適期が過ぎてしまい、うまく育たなかったものを融通してもらった。
ユズのジュースもつくることになったのは、こうした活動を市が評価してくれたためだ。那須烏山市はユズ園を所有しているが、管理が十分には行き届かず、収穫もされない状態が続いていた。
そのユズ園の管理を、烏合の手に任せてくれることになったのだ。やってみると、伸びすぎた枝の刈り込みなどをすれば、きちんとユズを収穫できることがわかった。ユズを使ったジュースづくりは小堀さんの本業であり、烏合の手にとっても自信の一品に仕上がった。
烏合の手の活動が農業にとって持つ意味
地域を盛り上げるために始まった烏合の手の活動は、すでに8年目になった。これから活動をどう発展させるのか。その点をたずねると、斉藤さんは「もっと若いメンバーを加えたい」と答えた。
斉藤さんは現在、42歳。設計事務所は母親と2人で経営しているが、斉藤さんが任される仕事が増え、以前と比べて格段に忙しくなった。事情はほかのメンバーも同じで、4人だけで活動を広げるのは難しくなっている。
そこで期待しているのが、毎年7月に開かれる「山あげ祭(まつり)」だ。大勢の観光客でにぎわう祭りの期間中、烏合の手は斉藤さんの事務所をカフェにして開放し、自分たちの畑でとれたトマトやジュースを提供してきた。
2021年は前年に続き、新型コロナウイルスの影響でカフェを開くことはできなかった。だがコロナが収まったあかつきには、地元の若者と直接交流できるこうした場を活用し、グループの将来について意見交換したいと思っている。
最後に、烏合の手の活動が農業にとって持つ意味を考えてみよう。
斉藤さんたちが感じたのは、販売用に作物を育てることの難しさだ。栽培が軌道に乗ったトマトも、ジュースにするのが前提なので、形や傷を気にしないですむ。斉藤さんは「生食用に販売しようと思えば、見た目も重要になる。それがどれだけ大変なことかがわかった」と話す。
これは、家庭菜園や市民農園で野菜づくりをしている人の多くも感じていることだろう。プロの生産者に対するリスペクトは、農業の大切さを実感し、応援しようと思うきっかけになる。
一方、農家の側から見れば、市民グループのこうした活動は、自分たちの農産物を地元の人にアピールするためのチャンスになる。量はそれほど多くないので売り上げを押し上げる効果は小さいが、地元のファンが増えれば長い目で見て農場の運営にとってプラスに働く。
烏合の手の存在は、こうした取り組みが一時の思いつきで終わらず、息の長い活動に発展する可能性があることを示している。各地の農家がそんな仲間を見つけることができれば、きっと営農の大きな励みになるだろう。