自分らしく働けるコミュニティーを求め、たどり着いたのが農業でした
福島県喜多方市でアスパラガス農家を営む桑名洋行(くわな・ひろゆき)さん夫妻は同県郡山市出身。高校卒業後、東京都内の大学に進学。そのまま約20年間エンジニアとして働いた後、農業を生業(なりわい)にすることを決意し家族で喜多方市にやってきました。夫婦ともに非農家出身でありながら農業を選んだ背景にはどんな理由があったのでしょう。
「エンジニアとして働く中で感じたのは、能力があってもコミュニケーションを図ることが苦手で、スキルを生かせずストレスフルな状態でいる人が想像以上に多いということです。ストレスなく働くことができ、穏やかに暮らせるコミュニティがあればたくさんの人の居場所になるのではと考えた先に見えたのが農業でした」。
と、話す桑名さんは、おぼろげながらもいつかは起業したいと考えていたとのこと。まさか自分が農業をやるとは思ってもいなかったと笑顔で当時を振り返ります。
「幹部候補として転職したものの、会社と合わなかったこともあり具体的に就農を検討しはじめたのが2017年1月のことです。転職のきっかけも同じ理由だったため、エンジニア職としての限界を感じていたのかもしれません」。
エンジニアと農業は「計画・準備・作る・売る」が共通しており、農業に関する技術的なことを除けば今までの経験、知識を十分生かすことができると考えられることや、自然相手の農業は答えが一つではない面白さ、地域農業に貢献できることも就農への後押しになったそうです。
奥様の理解・協力もあり、就農に向けて動き出した桑名さん。全国の候補地を検討するなか、喜多方市を選んだのはなぜでしょう。
「移住・就農相談会に出向き、さまざまな自治体の話を聞くなかで一番丁寧かつ、熱心だったのが福島県喜多方市でした。農業をやるなら産地化されているものが良いとキュウリ、トマト、アスパラガスを提案されました。そこで夫婦2人で相談し、アスパラガスに決めました」。
喜多方市といえば東北でもトップクラスを誇るアスパラガスの産地です。高品質なことから市場でも高値で取り引きされ、ベテラン生産者から新規就農者まで多くのファーマーが活躍しています。いずれは規模拡大を視野に入れてはいたものの、夫婦2人で作業をするとなると初めから大規模ほ場での営農は難しく、かつ、作業効率も悪くなると考えた桑名さんは、単価が高いアスパラガスに活路を見出し、就農に向けた移住の準備を進めます。
「農業をやると聞いたときは正直不安もありました。でも、子育てをするならいずれは田舎と考えていたのでワクワクする気持ちもありました。雪が好きなわたしが条件として出したのは、雪国であること。長野や富山も候補地としてあがったのですが、喜多方市に決めたのは夫が言うように市の担当者の丁寧なガイドがあったからです」。と、奥様。
奥様とお子さん2人の家族4人で喜多方市に移住した桑名さんは2018年3月から同市熊倉の『株式会社 喜多方キラリファーム23』で2年間の長期研修をスタート。アスパラガス栽培のノウハウや経営などを学びます。
“常識の根拠を知り、時には疑うことの大切さ”を知る
『株式会社 喜多方キラリファーム23』で指導を受けるなか、桑名さんは自身のマニフェストとも言える営農スタイルにたどり着きます。それが、“常識の根拠を知り、時には疑うことの大切さ”です。
「教えを乞うだけでなく、時には疑い、根拠を自分で調べて理論的に納得することの大切さを学びました。せっかく農業研修を受けるのだから一つひとつの行程に真摯に向き合い、糧にしていくことが栽培技術の習得につながっていくのだと思います」。
たとえば、アスパラガスの栽培工程に「立茎(りっけい)」があります。春の収穫を打ち切りそのままアスパラガスを伸ばし、夏そして翌年に収穫できるよう、養分を根に貯蔵させます。 冬まで茎や葉を枯らさないよう上手に栽培しなければ十分な栄養が根に蓄えられず、翌年の春芽の収量に大ダメージを与えてしまいます。
「会津地域では一斉立茎栽培をする農家が多く、収穫を打ち切り立茎本数を多くしてしばらく放置後、養分をたくさん吸収できるくらい立茎本数が多くなったら10〜15cm間隔になるよう間引いていくのが一般的だと聞いていました。ところが、研修先では順次立茎方法を採用し、収穫は打ち切らずにMサイズほどの茎だけを20cm間隔で残してあとは全て収穫していました。なんだこのやり方は? と、疑問に思い、調べてみると、親茎の間隔を広く取ることで風通しが良くなり、万が一病気が発生しても感染を最小限に抑えられることなど、いくつもメリットがあることがわかりました」。
農業試験場の試験データなどをもとに調べ、自身が納得してから実行する桑名さんは研修先よりも少し太めのアスパラガスを残し、親茎の間隔をより大きく取る立茎を実践。その理由は、親茎数が少ないと全体的な収量は落ちるものの、親茎が太いことで収穫物も太くなることです。アスパラガスは一般的に太いと高値になるため、桑名さんのような個人経営の農家でも売り先を確保できれば効率よく利益を得ることができます。
また、親茎が太くなるとその分枝が広がり、親茎同士が絡まったり枝が通路に飛び出したりで作業の邪魔になることがあります。桑名さんはあえて親茎の数を落とし、間隔を広くとることで、デメリットの低減と作業の効率化を図っているというわけです。
この、親茎の間隔を大きく取った独自の栽培方法を武器に2020年4月、念願の独立就農を果たした桑名さん。露地とハウス、それぞれ15aのほ場からスタートしたアスパラガス栽培は2年目を迎え、9月までの収穫は露地栽培とハウス栽培を合わせて約1.7tが見込まれています(2021年7月取材時)。通常アスパラガス は1kg /千円程度で取引されるため、1.7tは決して多くない収量ですが、単価の高い太い親茎のアスパラガスを栽培することで、薄利多売を脱却することができます。
「アスパラガスは生態など解明されていない部分がいまだに多い作物で、今、常識とされる栽培方法や土壌管理が5年後は変わっているかもしれません。そこに面白さがあるのがアスパラガス栽培です」。
と、笑顔で話す桑名さんは、栽培技術を磨くために今も勉強の日々を送っています。農閑期となる冬は、現金収入を得るために除雪作業やスキー場で働く人が多い喜多方市の農家ですが、桑名さんはあえて副業はせず、冬の時間を勉強に充てています。その実直な姿勢の背景には、農業を生業にすると決めたときから変わらぬ「覚悟」がありました。
「売れるもの、おいしいもの、高品質なものを作り、販売先を確保することで薄利多売から脱却することができます。労働力が限られている個人経営の農家だからこそ、そこにはこだわっていきたいですね。消費者はシビアですから少しでも品質が落ちるとリピートはしてくれません。楽しみにしている方々のためにもさらに技術を磨き、おいしいアスパラガスを作っていきたいです」。
桑名さんのアスパラガスは若い世代の農業従事者を中心に農業を盛り上げる活動「農カードプロジェクト※」で購入できます。初出店から高く評価されたアスパラガスはリピーターが急増中。今では全国にファンの輪が広がっています。
※桑名さんはNO.112
田舎暮らしを侮るなかれ。新規就農者は生活費の蓄えを!
桑名さんは、移住するなら子どもたちが就学前のタイミングが望ましいと考えていました。転校に伴う環境の変化を避けることがその理由です。
「家族での移住は妻や子どもたちの人生にも大きく影響することになります。学校や生活基盤など、不便なく過ごせる環境を考えました。自然いっぱいのこの環境で楽しく過ごす子どもたちの姿を見ると、思い切って移住して良かったと実感しています。わたし自身はエンジニア時代に比べて家族との時間が増え、充実した日々を送っています」。
一般的には、首都圏よりも地方では生活費を抑えられるとされています。しかし、実際に生活すると決してそうとも言い切れないと、家計を預かる奥様は話します。
「地方は車社会なので、車の購入費や車検などの維持費がかかります。また、物価も思ったより安くはありません。さまざまな給付金制度はあるものの、それだけではまかないきれませんし、それは農業に使うべきお金ですので、ある程度の貯蓄は必要だと感じました」。
せっかく独立就農を果たしたのに、金銭的な理由で志半ばで離農する人が一定数いるのも事実です。農業収入が安定するまでの生活費を給付金や融資額とは別に準備することで農業に集中できることの大切さを夫妻は教えてくれました。
「気候や鳥獣害に左右される農業は正直、大変な年ばかりかもしれません。昨夏は梅雨明け後の2週間雨が降らず、根株が枯れたり、冬はせっかく生き残った根株をイノシシに掘り返されたこともありました。それでもへこたれないこと、何事も前向きにとらえること。自分で自分を褒めること。去年より今年、今年より来年と、少しずつでもステップアップしていくことが大切だと思います」。
アスパラガスは地中に数メートルにもおよぶ株と根を残したまま、長いものだと数十年も長生きする永年作物です。桑名さんの農業人生もまた、アスパラガスのように長く、たくましく続いていくことでしょう。
アスパラガスをはじめ、キュウリ 、トマトなど高品質な農産物の産地である喜多方市は行政の支援、ベテラン生産者のもとでの研修など、農業人を育成する「土壌」が備わっており、新規就農者からの人気が高い地域です。ぜひ、あなたの「やる気」をこの地で生かしてみませんか?
【取材協力】
桑名洋行さん・明日香さん
2017年、福島県喜多方市へ移住。2020年にアスパラガス農家として独立。以降、たくさんの人に愛されるおいしいアスパラガスを全国へお届け。