開店の理由は「お客さんの顔を近くで見たい」
銀座三越から徒歩2、3分の距離にある観音山フルーツパーラー。店内に入ると、入り口付近には果物のほかジュースやゼリーなどの加工品が陳列してある。奥の客席を埋めるのは女性ばかり。ほとんどがパフェを食べている。
「もっとお客さんの顔を近くで見たいと思ったんです」。柑香園の会長・児玉典男(こだま・ふみお)さんは、店内のテーブルで向かい合うと、こう切り出した。この言葉の意味について説明する前に、児玉さんが柑香園の経営を引き継いでから歩んできた道をざっとたどりたい。
市場出荷では儲からない
柑香園の屋号ともなっている観音山フルーツガーデンは、和歌山県紀の川市にある14ヘクタールの園地でかんきつ類を主体にイチジクや梅、スモモ、ブドウなど数多くの果物を栽培している。児玉さんが社長に就任したのは35歳。10年くらいして市場出荷から直売に転換していく。理由は「市場出荷では儲からないから」。
「たとえばスーパーなどでのミカンの店頭価格が100円とするじゃないですか。その場合農家の手取りはせいぜい20円、多くても30円ですよ。残りはJAや卸売り、仲卸、スーパーの取り分。しかし中間業者も人件費や物流費がかかるから仕方ない。農家が儲かるには直接消費者にお買い上げいただく以外にないと考えました」(児玉さん)
品質のために機械ではなく人手で選果
そのために児玉さんが始めたのがネット通販、さらに「年間通して顧客を囲い込む」ための加工品の製造と販売だ。
同時にこだわったのが品質。たとえば果実の選別では変わったことをしている。機械ではなく、人手でさばく。「選果機を使うと、ラインの途中でボンボン落下したり、果実同士がぶつかったりする。その衝撃で果実の呼吸が活発になって、クエン酸を消耗する。更に数日後にはエグみが出て味が悪くなっている。農家は『煮えた味』といいます。それは甘いだけのぼけた味なんです」(児玉さん)
こうした取り組みが評価され、顧客名簿には40万人以上が名を連ねるほど取引が増えていった。年商は2020年度で6億円を超える。2021年度には7億円の着地を見込んでいる。
売り上げは伸びるものの、児玉さんには不満があった。商品の送付先から、住んでいる地域のイメージは浮かぶ。ただ、いったいどんな人が、どんな表情で食べているのかは見えてこない。
「デパートや県の物産館で催事をしましたが、その場限りでお客さんのお顔が日常的に見えないわけです。私は農業が衰退している原因は農家がお客さんから遠くなり消費者情報がほとんど届かないからだと考えています。だからもっと生産者が消費者に近づく必要があると常々思っていました」(児玉さん)
そんな思いから2018年、初めてのフルーツパーラーを紀の川市の果樹園内で開店した。新設した出荷場の2階が空いていたので、そこを店にした。すると7万人が訪れるほど人気となった。「いまはたくさん食べる時代ではなく、おいしいものを少し食べたい時代。それにマッチしたんでしょう」。そう児玉さんは分析している。
フルーツパーラーを地域と産地間連携の中核に
紀の川市の本店の実績を受けて、各地でフランチャイズの加盟店となる相談が相次ぎ、一部は受けることにした。結果、観音山フルーツパーラーは和歌山と東京のほか、山梨、京都、兵庫、岡山と計6都府県に9カ所ある。このうち、直営する和歌山県の本店と南紀田辺店、銀座店以外はすべて加盟店が運営している。観音山フルーツガーデンは加盟店に調理や店舗運営などのノウハウを教えて、開店後には食材となる果物を提供する。
加盟店にはできるだけ地場産の果物を使ってもらう。その後は観音山フルーツガーデンと加盟店との間で互いが仕入れた果物を融通し合える仕組みをつくるつもりだ。
「卸売市場から仕入れてきた果物を使ったパフェを出していたら、選ぶ場は市場しかないので金太郎飴みたいで面白くない。特定の時期に特定の産地から生産者自身が最もおいしいと思う果物を融通し合うことで、初めてうちらしいパフェが全国で提供できるようになると思ってます。フルーツパーラーを地域や産地間連携の中核にしたいと思っているんです」(児玉さん)
もっとお客さんの顔を近くで見たい──。そんな思いが発端となって始まった観音山フルーツパーラー。その思いに共感する人たちが各地で登場して、急速に店が広がりつつある。12月には大阪と広島での出店が決まっており、さらに東京や神奈川でも出店の話が持ち掛けられている。今後の展開が楽しみだ。