農地に油が流れ込んで営農停止
「頭の中が真っ白になりました」。鵜池さんは被災した当時をこう振り返る。当時、九州北部では1時間当たり最大100ミリを超える大雨が降った。大町町では浸水した鉄工場から大量の油が出て、水と混ざって辺りの住宅や農地に流れ込んでいった。
鵜池さんもその被害に遭った一人だ。当時の経営は水田でのコメや大豆が3.5ヘクタール、施設で土耕するキュウリが20アールだった。このうち水田作で利用する田植え機やコンバイン、トラクターのほか、乾燥調製施設など一連の機械が油を含んだ水につかり、使い物にならなくなった。これで水田作を再開することはあきらめた。
農業をやめるという気持ちも
キュウリを土耕栽培していた施設にも油を含んだ水が入り込んだ。営農を再開するには、汚染された土を取り除くことが必要となった。ただ、鵜池さんはすぐには決心が付かなかったという。
「正直、農業をやめて、サラリーマンになることも頭をよぎりました」。鵜池さんがそうした心境になったのは、キュウリづくりでは休む暇がほとんど取れなかったからでもある。
20アールあったキュウリ施設のうち10アールは父が、残り10アールは鵜池さんがそれぞれの責任で経営をしていた。10アールでは一年を通して人を雇うことができるだけの稼ぎにはならない。だから年間通して、自分が毎日のように畑に出なければならず、ほとんど休みを取れなかった。
被災したときはちょうど子どもが生まれたばかりだった。だから今まで以上に家族との時間をつくりたいと思うようになった。おまけに施設の建設費の償却が終わったばかりだった。
「やめ時かな……」。そんなことが頭に浮かんでは消えたものの、これまでの経歴を振り返って「やはり自分にはキュウリづくりしかない」と思うようになった。それはやがて積極的な思いに変わり、再びキュウリをつくる気持ちを固めたのは被災してから3カ月後だった。
「ゆめファーム全農SAGA」で養液栽培への移行を決める
とはいえ、施設の復旧には2年程度かかる見込みだった。それまでの間、知人の紹介を受けてある場所で働くことにした。JA全農がキュウリを作る施設で高収益を上げることを実証するため、佐賀市に設けた「ゆめファーム全農SAGA」だ。
軒高が5メートルある同ファームは総面積が1ヘクタール、栽培面積が86アール。栽培棟は半分に分けて、土耕栽培区とロックウールを利用した養液栽培区を用意している。前者がキュウリの栽培で一般的な摘心誘引仕立て、後者がハイワイヤー仕立て(つるおろし栽培)となっている。JA全農は高収量を上げるためのさまざまな工夫を凝らした同ファームで、栽培を始めてから1年目にはいずれの栽培区でも、全国最多の反収約55トンを上げることに成功した。
ハイワイヤー仕立てに感じた魅力
鵜池さんはもともと土耕栽培をしてきたため、土耕栽培区を担当することになった。それが1年目を終えるころには養液栽培区の担当に変えてもらう。高収量という点でハイワイヤー仕立てに可能性を感じたからだ。
それまでは、ハイワイヤー仕立てでは摘心誘引仕立てと比べると高い収量を上げられないと思っていた。でも現場で両方を比較しながら見ていると、軒高が5メートルある空間を活用して根域や環境を適切に制御すれば、摘心誘引仕立てよりもキュウリの生育を促せると感じるようになった。
ハイワイヤー仕立てに興味を持ったのは、雇用型経営にするためでもあった。摘心誘引仕立ては習得するまでに長い月日を要する。対してハイワイヤー仕立ては初心者でも早くにその作業に慣れる。後者を採用すれば、通年でそれなりの人数を雇用できる。ひいては経営者が休みを取れることにもつながる。
従業員の給与を上げたい
鵜池さんはゆめファーム全農SAGAで1年半働いた後、2021年度の補助事業で同ファームを参考にした45アールの施設を建てた。軒高は5メートルにして、ハイワイヤー仕立てで養液栽培をしている。2021年12月に定植したばかりである。
目指す反収は50トン。ゆめファーム全農SAGAを除けば、おそらく日本では誰も成し遂げたことがないであろう数字である。取材した3月下旬時点では「目標の数字に向けて順調に来ています」と鵜池さん。
鵜池さんは従業員の給与を上げたいと思っている。そのためには遠くない将来、いまと同じ規模の施設をもう一つ建てるつもりだ。従業員の農作業の習熟度を上げながら、労働生産性を高めていく。