数々の賞を受賞
数多くのブドウ農家さんが口を揃えて「あの人が日本一だよ」と言う、ブドウ作りの名人が長野県の上田市にいます。その名は飯塚芳幸さん。
50年以上の歴史を誇る、長野県の「うまいくだものコンクール」では、7度の県知事賞を受賞。2018年には緑白授有功章(農業及び農村の振興・発展に関して特に功績ある人が選ばれる表彰。公益社団法人・大日本農会による)を受賞しています。その圧倒的な実力は、高級百貨店やフルーツ専門店で「飯塚さんのぶどう」として特別に売り場が設けられるほど。
きっと、さぞかし豊かな土地でブドウを作っているのだろう……。勝手にそう思っていましたが、飯塚さんの畑がある場所は元々水田地帯。決してブドウ作りに恵まれた環境ではなかったのです。
そんな状況でも品質のいいブドウを作り、ブドウ農家から「日本一」と認められる飯塚さん。そのブドウ作りには、いったいどんな秘訣があるというのでしょうか。3回の記事にわたり、紐解いていきます。
飯塚さんが農家になるまで

▲飯塚果樹園には数多くのトロフィーが
──まずは、飯塚さんの経歴から教えていただけますか? 飯塚果樹園の6代目とうかがったのですが、元々ご実家がブドウ農家だったのでしょうか。
ブドウはね、俺が中学1年生のころに、親父が植えたんですよ。そこがスタートだね。その前は、田んぼとりんごを栽培してたの。当時の主力品種は国光(こっこう)や紅玉(こうぎょく)で、フジはまだ「東北7号」って言われてた時代なんだけど、色が真っ赤にならなくて。
だから、親父も苦労をしてたんだけど、このあたりは非常に雨が少ないんですよ。雨が少ないってことは、日照量が多い。昼夜の寒暖差もうんとある。気候的には「あの山梨よりも、ブドウには適した環境なんじゃないか」ってことになったんだよね。
そこで、塩田町(現・上田市)の普及センターが中心になって、「ブドウを植えなさい」と笛を吹いたわけですよ。
──当時の品種というと、巨峰ですか?
巨峰もあったけど、いっぱい色んな品種を植えましたね。デラウェアにナイヤガラ、モヌッカに巨鯨(きょげい)、オリンピア……。それを町中で、もちろんウチも植えてね。
一時は町で試験場みたいなものを作って、どの品種が適するかなんてことをやっていた時期もあったんだけど、じきに撤退しちゃってね。ウチは最終的には、デラウェアと巨峰と、ポートランドなんかを作っていたんですよね。
──そこで、飯塚さんは家業を継いで……。
いや、俺はね、高卒で長野県農業技術大学園(現在の長野県農業大学校)に入って、そこを卒業したあとはJAの営農指導員をやっていたんですよ。今は合併してJA松本ハイランドって名前になってるけど、山形村(当時)の農協で野菜の営農指導員をやってたんですよ。
──ブドウじゃなくて野菜だったんですね!?
まったくブドウとは関係ないです。大手の種苗会社の依頼を受けて、品種同士を交配させて、F1品種の種を採取する仕事をしてましたね。トマトやナス、ピーマン、玉ネギが主だったかな。あとは長芋の切片繁殖が担当だったかな。
そういう仕事だったもんで、その頃は「どうやったらいい種をたくさん取れるか」なんてことを研究しましたね。
土作りに力を入れ、粘土質の畑を改良
──全く違う仕事をされて、そこから家業を継いだんですね。上田市はブドウ作りに適した土地とのことでしたが……。
確かに気候は向いてたかもしれないけどね、ここの土地はすごく粘土質なんですよ。ブドウの栽培に向いてないんだ。周りを見ても田んぼしかないでしょ。ブドウやってるのはウチだけしかないだよ。
──確かに、長野といえばブドウの産地なので、飯塚果樹園も畑のなかにあるのかと思っていました。
全然違うからびっくりするよね。だけど、この保野(ほや)って自治会の中で、最初は36軒かな。ブドウ栽培を始めたんだけど、強粘土だもんで、水はけが悪くて、雨が降ればびちゃびちゃ。乾けばガチガチになって根が張らない。
そんなわけで「ろくなものができねぇや」ってなって、結局残ったのは2軒だけ。もう1軒も今年で辞めちゃったから、保野の中ではもうウチしか残ってないんですよ。
──そんなうまい話はなかったんですね。家業を継いだ時はどのような状態だったんですか?
俺が家に入った時は、三反くらいだったかな。親父が植えた巨峰があったんだけど、なぜか黒くならねぇだよ。赤熟れにしかならなくて。
──それは困りますね……。理由はわかったんですか?
うん。粘土質で水はけの悪い土地だから、湿害に強い「1202号(ムルベートル×ルペストリス 1202)」って台木を使ってたんだけど、これはイブリッド・フランと似ていて、台勝ちする台木なんですよ。
そうするとね、色が来ねぇだ。元々黒くなりにくい台木だったってわけだよ。ただ、土壌の問題もある。色々調べたところ、湿害にも干ばつにもまぁまぁ強くて、浅根の台木ってことで、「5BB(テレキ5BB)」を入れて。
──台木の問題だったんですね。それで解決したんですか?
それでも、水はけが悪いとやっぱり木なんて大きくならねぇだよね。根が広がらないから。そんなわけで、「もうこんなところでブドウなんか作ったってダメだ」と。

▲粘土質の土との格闘は今も続いている
──そんな状況からのスタートだったんですね……。そこからどうやってブドウ作りを?
「端から掘ろうよ」って言って、親父と一緒に暗渠排水(あんきょはいすい)をしっかり作って、水はけをよくしたんですよ。そしたら少しはよくなったけど、それでも強粘土だから、排水から半径1mくらいはいいけど、それ以上になると水が引かねぇだ。
水って縦移動はするけど、横移動はほとんどしないんだよね。だから、暗渠の近くは浸透しながら来るけど、ちょっと遠くなると届かない。だから、場所によって樹の成長やブドウの品質に差がうんとついちゃう。どうすりゃいいんだって。
──うーん、こまめに排水を掘るとか……?
そしたらお金もうんとかかるし、ブドウの根っこも切っちゃうし……。現実的じゃねぇんだよね。そこで思いついたのは、田んぼの畦(あぜ)。畦の土ってのは非常に水はけもいいし、柔らかいんだよね。ウチは水田転作の畑なんで、畦は身近にあったんだよね。
畦には草が生えてるじゃないか、じゃあ草を生やそうってなったわけ。草の根っこを使えば、土を柔らかくしていくし、通気性もよくなるんじゃないかと考えたんだよね。
──なるほど。
じゃあ、根量が多くて、深く張る草はなんだと。ただ、夏草じゃダメなんだよね。ブドウの作業ができなくなっちゃうから。
──草をかき分けながら作業するわけにはいかないですもんね。
そうそう。じゃあ冬草の典型的なものはなんだと考えたら、麦だよね。今もブレンドキャスターの中に肥料と一緒にライ麦の種を入れて、ばぁっとまいちゃうようにしてるの。
ライ麦は根量が多くて。6月を麦秋(ばくしゅう)って言うんだけど、そこで枯れちゃうじゃんか。そうするとあとは根っこが残るだけで。その根っこも夏から秋にかけて腐っていくから、穴になって、水の通り道になるよね。毛細管現象で下から水を吸い上げるし、余分な水はそこを通って暗渠に流れてくれるわけ。
──ライ麦を利用して、土壌を改良していったわけですね。
そうそう。何年も何十年もかけてね。今ではもう雨の翌日に畑に入っても、ほとんどわからないぐらいになってますよ。
ブドウ作りで一番大事なのは、水を地面に停滞させないことだよね。水って不思議なもんで、停滞させると腐るんだよね。水の中に含まれている有機物が腐っちゃうから。そうすると根っこにいい影響があるわけないんだよね。だから、水はけをよくしておかなきゃいけない。
飯塚さんのブドウ作りは、まずは水はけの改善から始まりました。次回は飯塚流・ブドウ栽培の秘訣について迫ります。