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乳⽜5頭と30年。“牛と暮らす”酪農のかたち -クリーマリー農夢

深江 園子

ライター:

乳⽜5頭と30年。“牛と暮らす”酪農のかたち -クリーマリー農夢

北海道の乳⽤⽜飼養⼾数は2005年の約8,200⼾から2024年には5,170⼾(北海道の酪農・畜産をめぐる情勢より)へと37%減少した。⼀⽅、飼養頭数はほぼ横ばいで推移しており、酪農家1⼾当たりの規模拡⼤が進んでいる。こうした状況の中、わずか5頭の搾乳牛と暮らす酪農家が、北海道旭川市にいる。合理化やスケールメリットばかりに目が行きがちな潮流にあって、あえてミニマムな酪農を実践する理由について話を聞いた。

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【牧場プロフィール】
クリーマリー農夢(北海道旭川市)
開業年:1994年
営農⾯積:6ha(加⼯室、直売所含む)
飼養頭数:搾乳⽜5頭(ホルスタイン)、育成1頭(ジャージー)
年間乳量:約5,500kg/頭(全量直販)

牛との暮らしを求めて

旭川市中⼼部から⾞で15分の⼭あいに、佐⽵秀樹(さたけ・ひでき)さんと妻の直⼦(なおこ)さんの牧場がある。クリーマリーとは、自家製乳製品を直売するような、山の小さな牧場のイメージだ。⽜舎は清潔な藁の匂いがして、5頭の⺟⽜たちは名前で呼ばれている。⻘草の季節には毎⽇放牧地で過ごし、豪雪の冬もパドックで⽇光浴を楽しんでいる。

降雪期以外は放牧地に出るのが日課の牛たち。毛並みが輝いている

佐⽵さん夫婦は、搾乳から加⼯まで、5頭の全ての世話を2⼈で⾏っている。加⼯は主に直⼦さんの仕事で、⽜乳やバターのほか、ヨーグルト、⽣クリーム、チーズを製造する。事業計画の段階から加⼯室を設けたのは、おいしい乳製品を自給するためだという。

直子さんが⼿間をいとわずチーズを8種もつくるようになったのも、もともとは家族のため。⽜乳とヨーグルトは、市内近郊100軒の顧客を3ルートに分けて週一回ずつ⾞で配達する。直売所ではチーズなどを販売していて、お客は季節限定のソフトクリームを片手に、放牧地の牛をのんびり眺めることもできる。

佐竹さんの牛の扱いは見るからにおだやかで、追い立てるような場面は見られない。牛舎でふと気になると、こまめに体をぬぐってきれいにする。搾乳の際は⼀頭ずつ順に搾乳室に⼊れて、乳房とその周りを温⽔シャワーで洗い、消毒した布でぬぐってから⾏う。

これにより、国の基準⽣乳1mlあたり菌数3000個以下に対して、農夢の生乳は年間通して1,000個以下。また、飼料はnon-GMOの配合飼料、道産ビートパルプ、旭川産⼩⻨を自家で圧⽚したものを、一頭一頭の様⼦を⾒ながら補う。⽜を飼う環境や扱い⽅によってストレスを減らす考えは、オーストラリアで⾝につけたものだ。2018年に日本でもスタートしたアニマルウェルフェア畜産協会の認証制度では、初年度に農場と⾷品の2つの認証を受けている。

上段が瓶入りの牛乳とヨーグルト。チーズも全て認証食品マーク付き

オーストラリアで考え始めた「おいしい牛乳」のつくりかた

酪農を経営面で見ると、一定以上の規模が必要だと言われる。佐竹さんは、なぜこんなにも⼩さな酪農を選んだのだろう。就農前の経験が背景にあるという。

⼦どもの頃から農業や酪農に興味があった佐竹さんは、⽟川⼤学農学部に進学。実習でさまざまな酪農形態に触れるうち、「飼い⽅が違うと何が変わるんだろう」と疑問を持つようになった。「⼤規模な酪農に憧れがあったので、アメリカやカナダの酪農を調べました。そのうち『北⽶よりオーストラリアの牧場は⼩規模だな』『そうか、放牧をしているのか』『餌代がかからないな』などと調べるうちに興味が湧いてきました」。子どもの頃憧れた最先端の⼤規模酪農ではないけれど、「個々の⽜を⼤切にする飼い⽅」があるのかもしれないと考え始めた。

⼤学卒業後、佐⽵さんは現地就農を⽬指してオーストラリアへ渡る。就職した牧場で、責任者として2年働く契約だ。2年⽬には研究室の同級⽣だった直⼦さんと結婚し、⽜が大好きな2⼈は⼀緒に働いた。雇い主の牧場主はよく、「⽜を常によく⾒てさえいれば、大丈夫」と言っていた。酪農志望者向けの無料の地域講座では、重機の扱いや修理法、⽜舎を建てる⼟⽊基礎工事、経営などを実地で学んだ。こうして現地就農のために学んだすべてが、開業にも大きく役立った。

酪農のあり方も日本と現地では⼤きく違った。⽣乳菌数などの品質をもとに乳価が決まり、融資を受ける際も優遇される。「⽣乳の”きれいさ”を評価するというのは、未知の考え⽅でした」(佐⽵さん)。ある時、⼀時帰国して食べた市販のバターの色や味に違和感を感じた。だが、近くの牧場で⽜乳を分けてもらってバターを⼿作りすると、オーストラリアと同じようにおいしかった。⾃分たちが⾷べたいのは、おいしい⽣乳からつくる乳製品だ。そしておいしい⽣乳とはきれいな⽣乳、ストレスの少ない⽜の乳だ。この時の体験が、後に自給的な暮らしにつながっていく。

残念なことに、オーストラリアでの就農は家族の事情で諦めることになり、夫妻は旭川に帰郷した。佐⽵さんは製薬関連企業の農業部⾨に勤めたが、激務で体調を崩してしまう。

12年後に会社を辞め、再び就農の夢を叶えようと現在の地域に⼀家で移住。地元小学校のPTA活動の縁で農地を譲り受けることができたという。1994年に、ようやく牧場としてスタートを切った。

開業当時の佐竹さん夫妻。農学部の同期で今も共に働いている

⼩規模ゆえの課題と⼯夫

農業には合理化やスケールメリットというダイナミックな一面もあるが、どこまでいっても工業とは違う。作物や家畜は機械のように制御できないからだ。例えば農夢では、組合に出荷せず直接販売するから、多い時は加工に回すことができても足りない時が問題だ。雌が仔を産めば乳が出るが、仔⽜にきちんとした値が付かないと、経費が利益を圧迫する。佐⽵さんの場合は、牛の状況によって、⿊⽑和⽜の精液をホルスタインに付けることで対応している。生まれた仔をF1⾁⽤種として1か⽉で育成牧場へ売り渡し、母牛の乳量を確保している。

「⼀番のネックは受胎計画です。実際、予定がずれたために乳量不足になったこともありました」そんな時も、配達先の多くは事情を理解して待っていてくれたという。顔の⾒える販売スタイルだからこその関係だ。

旭川の冬はマイナス15度を超えるが、近年は夏の暑さも目立って厳しくなってきた。開業当初は寒さに強いホルスタインが適していたが、佐⽵さんは最近、暑さに強いジャージー種の導⼊を決めた。純⾎雌の⼊⼿が困難だったため、ホルスタインの⺟⽜にジャージーの受精卵を移植。2025年1⽉、無事に雌の仔が生まれた。「今後は徐々に、⽜本来の性質に沿った牧草100%の飼い⽅にシフトしていきたい」と佐⽵さん。ホルスタインより⼩柄で乳量は少なめだが、草を⾷べて体をつくる能⼒と環境適応⼒に期待している。

初導入のジャージー雌「りーり」、生後9ヶ月。ジャージーは山間地放牧に適し、乳質も期待できる

我が家に合う、ミニマムな酪農

⼀頭⼀頭に責任を持ち、⽜たちの感覚に寄り添って暮らしたい。どうやらそこに、佐竹さんの思いがあるようだ。「朝晩搾乳していると、⽜とぴったり息が合う瞬間があるんです。牛とそんなやりとりがある時間がとても⼼地いい」と佐⽵さんはいう。農地面積が限られていたこともあるが、一頭ずつ名前で呼んで家族のようにかわいがるにはこの規模がいい。その分、加工と直販で成り⽴つ⼯夫をすればいい。

2026年には、隣接する9ヘクタールの農地を譲り受けるそうだ。「今は休耕地なので、また開業時のように⽊の伐採から始めなければなりません。体⼒的には⼤変ですが、楽しみでもあります」確かに、今後100%グラスフェッドを⾒据えるなら牧草地は多い⽅がいい。

牛舎と佐竹さん夫妻

夫妻の仕事は体力的に決して楽ではないし、⽜の世話には休⽇がない。けれど、それも含めて暮らしのリズムになったと佐⽵さんはいう。「⽜たちと暮らすのは楽しいですよ」。最近、両親を⾒て育った次男が後継ぎを希望していると聞いて、その魅力の一端が想像できた。

記者の眼

佐竹家の牛たちは毛並みがつやつや輝き、無邪気な眼をしている。思わず「かわいい」と言うと佐竹さんは「かわいいでしょう!」と満面の笑みになった。製品の味だけで牛の心身の健やかさがわかるほどの味覚は持ち合わせないけれど、この牛たちに会って牧場のファンになる気持ちは、十分に理解できた。

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