そば専門で市場を切り拓く、異色の農業法人
群馬県渋川市赤城町、標高500メートルを超えるこの地で、約320ヘクタールという広大な面積でそばを専門に栽培してる株式会社赤城深山ファーム。同社が生産したそばは、一般的な市場流通に乗ることはなく、全て自社で加工され、自ら開拓した全国約300を超える蕎麦屋に直接届けられます。
驚くべきは「そば専門」を貫きながらも、取引価格の決定権を同社が握っているという点。なぜ、買い手から選ばれる存在になれたのか。その道のりは、決して平坦なものではありませんでした。

赤城の麓に広がる赤城深山ファームのそば畑
蕎麦屋からそば農家へ
赤城深山ファームの歴史は、創業者である眞佐実さんが都内で営んでいた一軒の蕎麦屋から始まります。
1975年から1990年にかけて、町の蕎麦屋として地域の人々の胃袋を支えていましたが、眞佐実さんはバブル崩壊の兆候と共に、ある大きな時代の変化を肌で感じ取ります。それは、後に日本の食文化を大きく変えることになるコンビニエンスストアの台頭でした。
「いずれ、レンジで温めるだけで、数百円でカツ丼が食べられる時代が来る。そうなれば、昼休憩のサラリーマンは蕎麦屋ではなく、皆そちらに流れていくだろう」
町の蕎麦屋が、大手資本が展開する安価で便利な中食産業に太刀打ちできなくなる未来を予見した眞佐実さんは、経営が立ち行かなくなる前に、自ら店を畳む決断を下します。次の道に選んだのは造園業でした。
「日本の『ものづくり』の技術、特に庭園を造るような伝統的な技術は、決してなくならないだろう」という見通しのもと、40歳で新たなキャリアをスタートさせたのです。

赤城深山ファームの事務所
再び「そば」の舞台に戻ったきっかけは、造園業の顧客であった製粉会社の社長との何気ない会話でした。「最近、品質の良いそばがなくて困っているんだ」。この一言をきっかけに、眞佐実さんは54歳にして造園業と並行してそば栽培に挑戦し始めました。
50アールから始まったそば栽培。赤城の地は、江戸時代の火山噴火で堆積した水はけの良い「軽石層」を持つ、そば栽培に適した土地だったこともあり、同社が作るそばは品質が良いとすぐに高い評価を得たといいます。その結果、作ったら作った分だけ製粉会社も買い取ってくれることとなり、規模拡大に繋がりました。
しかし、順風満帆に見えた経営を揺るがす事態が訪れます。国の農業政策の変更が引き金となり、そばの市場価格が暴落。「産地によっては、1俵(45キロ)1万5000円だったものが、1000円にまで下がった」と当時を振り返ります。
「このままでは、いつか足をすくわれる。自分たちで価値を届け、自分たちで価格を決められるようにならなければならない」
そこから、自社で製粉から販売まで一貫して行う道へと舵を切りました。

そばの花。赤城深山ファームでは、夏そば(150ヘクタール)と秋そば(170ヘクタール)を栽培している
独自の販売戦略と品質へのこだわり
なぜ、あえてそば専門なのか?リスクを逆手に取った経営戦略
農業ではリスクヘッジの方法論として複数の品目を手掛けることが一般的ですが、赤城深山ファームはあえて「そば専門」を貫きます。一見、リスクが高いように思えるこの選択こそが、他社には真似のできない強みを生み出しています。
「そば専門に絞ることで、必要な農機具への投資を効率化できます。そして何より、そばの品質向上だけに全ての資源を集中できるのです」
農機具への投資効率が良いという象徴的な例が、乾燥機です。そばは特に他の匂いを吸着しやすいため、他の作物を同じ乾燥機にかければ、繊細な香りを損なう可能性があります。
「うちの乾燥機はそばしか通しません。この徹底したこだわりが、品質の差になると信じています」
複合経営によるリスクヘッジを選ばず、単一品目に特化することで品質を極限まで高める。その品質を武器に、市場価格に左右されない高単価での直販モデルを構築する。これが、同社が導き出した答えでした。
価格交渉の源泉。元蕎麦屋の哲学が宿る品質
では、全国の蕎麦職人たちが「高くても買いたい」と唸る高い品質は、いかにして生み出されるのでしょうか。その根底には、眞佐実さんが店主時代に培った「ソバはナマモノ」という哲学が宿っています。
香りを閉じ込める「早刈り」と「袋取り」
そば本来の豊かな香りを最大限に残すため、一般的な収穫期より早い黒化率70〜75%で収穫を行います。さらに、収穫したそばはコンバインのタンクに貯蔵せず、通気性の良いネット袋に直接取る「袋取り」を徹底し、熱による風味の劣化を防ぎます。

赤城深山ファームの貯蔵庫
そばに負担をかけない「段階的乾燥」
収穫後の乾燥も細心の注意を払います。一般的には、1台で1回で終わらせてしまう乾燥調製。同社では、急激な熱風は品質を損なうため、「加温」と「休止」を3回繰り返す独自の乾燥方法を実践しています。そばにストレスをかけず、ゆっくりと水分を均一にすることで、最高の状態に仕上げていきます。

手前の3台を使い、3回に分けて乾燥調整を行う。別で奥に3台があり、同時並行で2か所で行える。
業界の常識を覆した「5kg袋」という選択
業界では10kg単位の袋で販売するのが一般的ですが、同社では5kg袋をメインに採用しています。
「一度封を開けてから使い切るまでの時間が短い方が、品質の劣化を抑えられる」。生産者側の都合よりも、職人が最高の状態で蕎麦を打てることを優先する。この細やかな配慮が、職人からの厚い信頼に繋がっています。
こうした執念ともいえるこだわりが、一口食べれば違いがわかる、圧倒的な品質を生み出します。そば粉を持って車で営業を回るほど当初は苦労の連続でしたが、やがてその品質が評判を呼び、職人から職人へと口コミで評判が広がっていきました。
そば業界の時代の変化と生産技術
追い風となった、国産そばへの需要シフト
近年、赤城深山ファームの成長を後押しする、市場全体の大きな変化が起きています。それは、国産そばへの需要の高まりです。
これまで、日本のそば消費は、その約4分の3を中国や北米からの輸入に頼ってきました。しかし、世界最大のそば消費国であるロシアの情勢変化を受け、最大の輸入元である中国が日本への輸出を抑制。その結果、安価な輸入そばの流通量が大幅に減少し、国内の需給バランスが大きく崩れました。
輸入そばが手に入りにくくなった蕎麦店や消費者の目は、必然的に国内産に向けられます。しかし、国内のそば生産量は全体として減少傾向にあり、「需要は増えているのに、供給が追いつかない」という状況が生まれています。結果として、価格転嫁できない町の蕎麦屋さんはコロナの影響も相まって辞めてしまったところも少なくないといいます。
この国産そばへの回帰という大きな潮流が、高品質なそばを安定供給できる赤城深山ファームへの注文をさらに増加させる要因となっているのです。
全国平均1.6倍以上を誇る、卓越した栽培技術
赤城深山ファームの強みは、品質だけでなくその生産性の高さにもあります。しかし雄基さんは、そば栽培の奥深さをこう語ります。
「そばは、ある意味で非常に簡単な作物です。うちから種を少し持って帰って、プランターに蒔けば誰でも育てられます。家庭菜園なら朝顔を育てるくらいの気軽さでしょう」
しかし、本当の難しさは、その先にあるといいます。「誰でも作れる目玉焼きを、世界一美味しく作るのは大変ですよね。そばも同じで、ただ育てることと、高い品質で収量を上げることは全く別の話です。50kgの収量を100kgに引き上げる、ここの難易度が非常に高いのです」
全国平均収量が10アールあたり約60kgであるのに対し、同社が平均100kgという高い数値を叩き出せるのは、この「本当の難しさ」を克服する技術があるからです。それは、「徹底した土づくりと雑草管理」、「土地が持つ自然のポテンシャル」、そして「気候リスクを軽減する地理的条件」という3つの要素が掛け合わさった結果といいます。特に、種を蒔く前に雑草を徹底的に管理し、生育初期の競争に勝たせる土づくりが、収穫量を大きく左右する生命線となっています。

畑に直播き。雑草に負けないように育てることが重要
反収250kg目指し、栽培技術の探求に意欲
赤城深山ファームの挑戦に終わりはありません。雄基さんは「現在の10アールあたり100kgという収量は、まだベストではありません。品種のポテンシャルを考えれば、250kgまで引き上げられるはずです」と、栽培技術のさらなる探求に意欲を燃やしています。
そして、もう一つの夢が自社飲食店の経営です。「『この蕎麦はどこで食べられるの?』というお客様の声に、いつでも応えられる場所を作りたいです」。生産者だからこそ提供できる、究極の一杯を味わってもらう機会を創出しようとしています。

赤城深山ファームのそば粉を使った蕎麦
多くの農業者が直面する価格の壁。赤城深山ファームは、それをただ乗り越えるのではなく、「品質」という揺るぎない価値によって、自ら価格を創造する境地までたどり着きました。この挑戦には、農業経営の未来を自らの手でいかに豊かにできるかの答えが詰まっています。
















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