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農泊で地域活性を実現 地元NPOの支援の効果とは?【これからの農泊第6回】

農泊で地域活性を実現 地元NPOの支援の効果とは?【これからの農泊第6回】

福島県二本松市の東和地域は農家民宿で人気の地域です。多くの農家民宿立ち上げの背景には、地域の過疎問題や合併による影響を憂慮した地元のNPO法人「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」の存在がありました。その支援を受けて農家民宿を始めた2つの例を見ながら、地域活性と農泊の密接な関係と、その影響や効果をお伝えします。

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二本松に農家民宿が多くある理由

福島県二本松市の東側の旧東和町。名峰安達太良山を望むこの地域は、2005年に市町村合併によって、近隣の町と共に二本松市の一部となりました。東日本大震災後、計画的避難区域に隣接したこの地域は、起伏に富んだ土地条件にあり、過疎化が進んでいます。
一方で、農家民宿が24軒あり、教育旅行や外国人観光客を含めた個人旅行など、さまざまなニーズに対応して人気の地域になっています。
これらの農家民宿の立ち上げに大きく寄与したのが、NPO法人ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会(以下、ゆうきの里)。地域活性のために地域の資源を最大限に生かしたさまざまな取り組みをし、その一つとして農家民宿を支援してきました。その実情を、2つの農家民宿の例を見ながら探ります。

移住がきっかけ「農家民宿ゆんた」の場合

農家民宿ゆんたのオーナー 仲里忍さん

農家民宿ゆんたの仲里忍(なかざと・しのぶ)さんは、ゆうきの里の支援で東和地域に移住。新規就農をかなえ農家民宿を始めた一人です。

移住地として東和を選んだ決め手とは

仲里さんは沖縄の高校を卒業後、大阪の専門学校を経て大阪市の設計事務所に就職しました。「阪神淡路大震災後すぐの4月に入社して、とても忙しかった。都会での生活にも疲れてしまい会社をやめました」
その後、各地を転々としながらいろいろな職業を経験する中で「農業がしたい」と思い始めたといいます。「ほかの地域も移住先として考えて相談機関に行ったりしましたが、なかなか縁がつながらなくて」
ある日移住に関する雑誌でゆうきの里が農業研修生を受け入れている情報を見つけ、すぐに連絡を入れ、東和地域に足を運んだそうです。

「当時の理事長の大野達弘(おおの・たつひろ)さんが親身になって僕の状況や希望を聞いてくれた。有機農法を教えてもらえることや、アルバイトを紹介してもらえることが決め手でした。大野さんのところで住み込みで研修させてもらえることになり、軽トラまで譲っていただきました」
そして、2008年に移住。半年の研修を経て独立就農しました。

補助金の存在が農家民宿立ち上げのきっかけに

農家民宿ゆんたのテラス(画像提供:株式会社百戦錬磨)

古民家を利用した何かをしたいと思っていた仲里さんは、「復興六起」という被災地を対象にした起業支援金を得たことをきっかけに、2013年農家民宿ゆんたを立ち上げます。
「設計事務所にいたことが役に立ちましたね。空間づくりが好きなので、大工さんと相談して本棚や薪(まき)ストーブ、テラスなどおもてなしの空間を作り上げることができました」

現在の仲里さんの暮らしは、まさしく「百姓」。稲刈りシーズンはライスセンターでのもみ摺りの仕事、秋はリンゴの収穫の手伝い、冬場はスキー場でのアルバイト……。人手不足の地域で、40代で若手の仲里さんは引っ張りだこの人材となっています。
緩やかに農業と農家民宿、その他の仕事で生活を成り立たせる生き方も、この東和地域に根付き受け入れられている様子でした。

「夏は毎日収穫があるから、民宿と両立するのはとても大変」と言いながらも、宿泊客の受け入れは楽しいとのこと

農家民宿ゆんた

【関連記事】外国人に人気の農泊体験に密着 農家の日常を“非日常”体験に【これからの農泊第5回】

お蚕小屋がいろりの部屋に 「農家民宿まとば」の場合

外国人観光客に人気のいろりがある農家民宿まとば。もともと蚕を育てていた建物の一角を改装して作ったものです。
高槻英男(たかつき・ひでお)さん、キヌ子さん夫妻は、もとは会社勤めをしながら農業をしていた兼業農家。昭和初期にこの土地に来た英男さんの祖父がこの地で農業を始めました。

「場所が余ってっから、なんか面白いことをしたくて作ったんだ」と言う高槻英男さん(写真中央)とキヌ子さん(写真左)

先代からいろんな作物を試して、一番収入が安定したのは養蚕。1970年代には地域に働き盛りの人がたくさんいたこともあり、地域ぐるみで規模を拡大し、一大生産地に成長しました。
しかし、平成になると中国産の生糸が大量に輸入されたことや地域の高齢化もあり、次第に日本の養蚕は衰退。地域の人々がどんどん養蚕をやめていく中で、英男さんの先代は2003年頃まで続けたそうです。

今は、蚕のエサだった桑の葉を加工用に栽培

農家民宿を始めたきっかけは震災

英男さんは東日本大震災前の2010年に定年退職し農業に専念していましたが、民宿を始めたのは震災後の2013年3月。きっかけは、ゆうきの里の事務局からの相談でした。
「原発事故の影響などを研究するために研究関係者がたくさん来るようになったが、除染関係者が長期契約で宿泊場所を抑えてしまい、宿泊場所がない。民宿をやって受け入れてもらえないか」 

同時期に東和地域で20軒ほどの農家民宿ができました。ゆうきの里が窓口となり、スケジュール調整や受け入れ人数の割り振りをしてくれていたこともあり、スムーズに宿泊者を受け入れられたと言います。
現在は研究目的の人は宿泊していないとのことですが、都市部の旅行会社などのツアーで、田植えツアーや稲刈りツアーなどの団体を受け入れることもあるそうです。

外国人観光客の受け入れも“ありのまま”で

高槻さんご夫妻と宿泊者(画像提供:株式会社百戦錬磨)

最近では、ゆうきの里の事務局の紹介で、「STAY JAPAN」という農泊の紹介サイトに情報を載せるようになり、外国人観光客も訪れるように。7月はドイツ人とタイ人の2組の利用があったと言います。
「皆さん全然日本語が話せないんですよ。たまたま近所に英語ができる人がいるから、初日に予定だけ聞いてもらって、その他は身振り手振り。あとはコレ(スマホの翻訳アプリ)と片言の英語でどうにかなりました。意外と難儀ではないですよ」

「こんなふうにお膳を出すと喜んでもらえるんですよ」とキヌ子さんが再現してくださいました

宿泊代金が発生しているお客としてのおもてなしをしていますが、高槻さん夫妻のサービスはそれにとどまりません。民宿の経営者としてではなく一人の地域の人間として宿泊者に接し、必要とあらば観光に連れて行くなどしているそう。
「私たちの本業は農業だし、銭勘定だけで民宿やっているわけじゃないしね。わざわざ遠いところから来てもらって、喜んでもらえるならそれでいいかなと思っています」

客室は良い意味で“普通”。高槻さん宅の日常に宿泊者が溶け込める雰囲気です

農家民宿まとば

ゆうきの里が農家民宿に取り組む背景

紹介した2例を支えたゆうきの里。どのように農泊がこの地域に広まったのか、事務局の熊谷千恵子(くまがい・ちえこ)さんに話を伺いました。

地域のさまざまな課題に立ち向かう人々の存在

旧東和町と周辺地域が合併の協議を始めた2003年ごろから、地域の過疎問題や合併による影響を憂慮した地元の人々によってゆうきの里の活動が始まり、2005年10月にNPO法人となりました。
旅館業・飲食業の許可取得支援、看板の整備、料理講習会、先進地視察、パンフレットの作成、ホームページ等の作成、民宿の体験メニューづくりなど、事務局が中心となって農家民宿の立ち上げの支援をしてきました。

先進地域への視察の様子(画像提供:ゆうきの里)

「過疎地域であるため、多様な交流から発展させ、訪れてよし、住んでよし、帰ってみたい、と思う故郷を作りたいという地域の人びとの思いを形にしようとしたことが、グリーンツーリズムに取り組んでいくきっかけになりました」

そんな中、2011年に東日本大震災が発生。農家民宿まとばの例に見られるように、グリーンツーリズムとしての需要ではなく、研究者たちの宿泊の需要のため、急きょ地域で農家民宿の立ち上げを行うことになりました。最初は戸惑っていたものの「福島の農業の再生や復興の力になれれば」という思いが地域に広がり、協力者が増えたと言います。

地域への農家民宿の貢献

民宿の看板の作成の支援もしています(画像提供:ゆうきの里)

「二本松市の一定の地域の農家に宿泊できる場所が複数できたことで、今までの温泉旅館などとは異なる一味違った魅力が市外に発信できている」と熊谷さんは語ります。農家の収入が増えたり地域商店街が活性化したりなど、経済的な効果はもちろんあります。
 そして「何よりも民宿をしている方々の元気が地域に活力をもたらしている」ということが最大の効果とのこと。地域を愛する人々が訪れる人々を心からもてなし喜ばれることで、改めて自分たちの地域に誇りを持ち元気になっているのです。

課題は「次世代の育成」

農家民宿のオーナーを対象とした料理教室の様子(画像提供:ゆうきの里)

今後の課題は、農家民宿のオーナーの高齢化。現在のオーナーの高齢化に伴う早めの世代交代を視野に入れ、新たな農家民宿の育成や農業体験等のコーディネートやインストラクターの育成が急務とのこと。これまでも地域の特色を生かした農家民宿の提案をしてきましたが、更に「他地域との差別化を図り、選ばれる農家民宿となるよう、アイデアの競争化の推進と民宿の自立を促していきたい」と熊谷さんは今後の展望を述べました。

【取材協力】NPO法人ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会
 

今回までの6回のシリーズを通じ、農泊は「地域ぐるみ」での取り組みがその魅力を増す大きな要因となることを感じました。農泊が地域活性の方策の一端にとどまらず、国内外問わず多くの人々に自分たちの魅力を発信するきっかけになっています。
地域の宝を磨き、どのように地域の外にいる人に届けるか、それぞれの努力と工夫が求められています。
 

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