かつては不人気だったタイ米
お米にまつわる平成史を振り返ると、平成5(1993)年の米騒動が記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。
記録的な冷夏によってお米が不足し、タイ、中国、アメリカからお米を緊急輸入しました。そのとき、タイからは長粒米が入ってきましたが、粘りのある短粒の日本米に慣れている日本人の嗜好(しこう)に合わなかったことや、炊飯器を使った炊き方や調理法に適さなかったことで、嫌厭(けんえん)されました。
長粒米の本来の調理法は、鍋にたっぷりの湯を沸かし、お米をゆでてザルに取る「湯取り法」。パラパラとした長粒米ならではの調理法です。長粒米は日本の炊飯器ではおいしく炊けず、パラパラのごはんは煮物やおひたしなど和食のおかずには合いません。当時、「ピラフや炒飯(チャーハン)に合う」という情報を得て実践した方もいましたが、「タイ米はおいしい」という声は少数派だったようです。
一方で、日本政府からの要請を受けてタイが輸出した長粒米は備蓄在庫だったことから、タイではお米の在庫がなくなり米価が高騰。低所得層がお米にありつけないなどの問題も起きたと言われています。
輸入した米はタイでも人気がない品種だった!?
当時の日本でタイ米が受け入れられなかったのは食文化の違いと言われていますが、理由はそれだけではありませんでした。
タイのお米事情に詳しい、タイ国立カセサート大学のウィーラシット・サンパモンコンチャイ名誉教授は、「日本に出した米があまり良い米でなかったため、日本ではタイ米に対して悪いイメージがついてしまった」と言います。
サンパモンコンチャイ名誉教授によると、タイの稲作は一年に二回栽培する二期作の場合、一期作のお米よりも二期作のお米のほうが品質は落ちます。品種もさまざまで、最も人気の品種は「カオ・ドゥ・マリ105」という最高級の香り米。タイの長粒米の中では比較的粘りがあり軟らかめです。しかし、日本に送られたお米は「二期作のお米だったうえ、日本人は好まない硬い品種だった」といい、タイでもあまり人気がなかったそうです。
タイではパサパサの古米が人気
さらに、タイでは、冷蔵保管は一部の高級米だけで、常温保管が一般的。玄米を常温保管すると酸化臭が出やすく、虫が発生しやすい。そこで、タイでは白米の状態で保管するのが主流です。
一方で、日本の備蓄米は、玄米の状態で15度以下、湿度60〜65度で保管されています。粘りのあるお米を白ごはんで食べる日本と、パサパサとしたお米をスパイスや味付けの強い料理や調理法で食べるタイとでは、お米の価値観や好み、扱い方などがそもそも違うのです。
日本では新米はおいしい、古米はおいしくないというイメージがありますが、サンパモンコンチャイ名誉教授は「新米はべたべたするからタイではお粥(かゆ)にすることが多い。長粒米は新米よりも古米のほうが人気で、価格も高い」と指摘します。
江戸時代は長粒米を食べていた日本人
現在では、日本でもエスニック料理を中心に長粒米は好まれるようになりました。それどころか、飲食店でビリヤニやインドカレー、タイカレーなどを食べる時に、日本米が出てくると「がっかりする」という人もいるほどです。さらに、日本では1989〜1994年の「スーパーライス計画(※1)」をきっかけに長粒米が栽培されるようになりました。生産量は多くありませんが、現在でも「プリンセスサリー(香り米)」「サリークイーン(香り米)」「ホシユタカ」「華麗舞」などが栽培されています。
長粒米が受け入れられるようになったのは、外食産業を中心に食文化が多様化してきたことが理由に挙げられますが、実は江戸時代までは長粒米が食べられていたと言われています。それが、赤色で長粒の「大唐米(だいとうまい)」。日本作物学会紀事(※2)によると、当時は「下級米」として庶民に広く食べられていました。大唐米は炊飯すると「炊き増え」するという点で好まれていましたが、味の評価は低かったそうです。明治時代に入ると、「普通米に赤米が入ると等級が下がって品質劣化につながる」と見なされて駆除され、神事用以外は作られなくなっていきました。
歴史をさかのぼると、日本のお米は昔から「白色」で「短粒」で「粘りがある」というわけではありません。お米の好みは、時代背景、気候、栽培技術、食べ方、価格など、さまざまな要因によって変化すると言えそうです。
※1 お米の需要喚起を目指して農林水産省主導で行われたお米の新品種開発。
※2 第73巻2004年「わが国における赤米栽培の歴史と最近の研究情勢」(猪谷富雄・小川正巳)
タイで広がる日本米
お米のおいしさを左右する大きな要因の一つは、食べ方。和食を食べるならば、粘りのある日本米が合い、香りや味が強いタイ料理を食べるならば、パラパラとした長粒米が合う。そう思うのは、日本人だけでなく、タイ人も同じようです。
タイでは日本食レストランの出店数が増え続け、2018年度は店舗数が3000店の大台に乗り(「日本貿易振興機構(JETRO)バンコク事務所」発表)、同時に日本米の需要も広がりつつあります。
「日本の料理を食べるときは日本米のほうがおいしいのは当たり前。日本での留学経験が長かったが私だけでなく周囲のタイ人も同様です」とサンパモンコンチャイ名誉教授。「日本米は糯米(もちごめ)に似ているので最初は慣れないタイ人もいますが、慣れればおいしいと言います。私の家族も週に1回は日本食レストランに行くし、コンビニのおむすびも食べますよ」
現地の家電売り場を見ると、日本製の炊飯器には長粒米と日本米の炊き分け機能が備わっていました。炊飯機の普及によって長粒米を湯取り法で調理する家庭や飲食店は減っているといいます。
日本食レストランではタイ産日本米が主流
とは言え、現地で日本産日本米を使った飲食店は主に日本人が経営する高級すし店。多くの日本食レストランで食べられているのは、タイ産日本米。タイ北部のチェンライ県では、日本企業による日本米の栽培も行われています。
日本産日本米はタイ産日本米に比べて高く、広がり方は鈍いようです。スーパーや百貨店のコメ売り場でお米の価格帯を見ると、日本産日本米は5キロ480バーツ(1652円)〜900バーツ(3097円)で、長粒米(うるち米)の3〜5倍。一方で、タイ産日本米は5キロ200バーツ(688円)〜425バーツ(1462円)で、長粒米(うるち米)の2倍程度。タイ産日本米の存在が日本食の普及に一役買っている側面は大きそうです。
※為替レートは2018年12月1日時点。
ところが、タイ産日本米を食べてみると、一般的な日本産日本米に比べて粘り気が少なく硬い印象。そこで、ある現地日本企業の中食では、現地で提供するごはんに、タイ産日本米とカオ・ドゥ・マリ105のブレンドを採用することで、タイ産日本米だけでは出せない粘り気を出しています。とくに日本を何度も訪れているタイ人の富裕層には粘り気は受け入れられているといいます。
「タイでますます増えていく日本米」
東南アジアを中心に稲作や米食の文化を調査するなど稲に詳しい農学者・佐藤洋一郎さんは、「タイ東北部には糯米を主食にする文化があったので、タイの多くの人たちは主食としての糯米を知っています。日本米は“糯米とうるち米の間の子”と、なんとなくわかるでしょう。カオ・ドゥ・マリ105はタイで人気が高く、タイの人たちは粘りのある日本米に対して意外に親和性があるということも言える。これからますます日本米は広がっていくでしょう」と話します。
前述のとおり、タイでは長粒米において古米が好まれているため、冷蔵保管が基本の日本と違って常温保管だったり、新鮮さを重視する日本と違って精米年月日が半年以上も前のお米を販売していたりと、日本米の本来の味を引き出せない管理状況になっているのが現状です。
日本米らしい粘りのあるお米を提供していくためには、熱帯性気候のタイだからこそ、お米の低温管理、飲食店でのお米の消費期限の徹底、さらには高温に強く食味の良い品種の開発も必要になってきそうです。現在、タイで生産されている日本米は日本の「ササニシキ」「あきたこまち」「コシヒカリ」由来のお米がほとんどですが、日本でも独自で開発された長粒米品種が栽培されているように、タイでも粘りのある日本米が開発・栽培される日が来るかもしれません。
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