学生時代に就農、中山間地域で多品目野菜を育てる
冬は氷点下の気温が続く、宮城県北部の登米市。北上山地に接する東部の旧東和町で、「木漏れ日農園」を営む鎌田さんを訪ねました。鎌田さんは、約90aの畑で年間80~90品目の野菜を、無農薬・有機栽培で生産して5年目になります。大学在学中に、耕作放棄地だった畑を手作業で開墾し、就農しました。
「この土地でしかできない農業がやりたい」と、登米市の伝統野菜16種も栽培しています。作り手の高齢化により途絶えてしまいそうな野菜の地種を、地元の農家から譲り受けました。たった10粒の種から増やした品種もあります。いまでは、「野菜だけで主役になる一皿ができる」と、取り引きのある飲食店か評判の商品になりました。
冬場は、フリル状の「ハンサムレタス」など葉物や、根菜などを作ります。真摯な野菜作りが評価される一方、様々な“顔”を持って通年収益を確保しようと奮闘しています。
通年収益確保のための挑戦
野菜作り以外の事業を収入の柱とするために挑む鎌田さん。「まだまだこれからです」と話しながらも、それぞれの取り組みを教えてくれました。
林業
冬の間に鎌田さんが持つ“もう一つの顔”は「木こり」。チェーンソーを手に山に入り、薪を切り出したり、ナンテンの葉など料理に添えるつまものを刈ります。
一人前の木こりになるためには3~5年の歳月が必要だとされますが、鎌田さんは大学3年生の時から、将来の多角経営を見据えて修業を重ねていました。県内の鳴子温泉にあるNPO法人で、温泉宿の建て替えプロジェクトを通してノウハウを学びます。鎌田さんが取り組むのは、伐採や搬出を自ら行い森を整備する「自伐型林業」。少ない初期投資で持続的な収入を保ちつつ、倒木のない山づくりをする、地域の環境の守り人となります。
養鶏(畜産)
鎌田さんが選んだもう一つの柱は、通年で販売ができる採卵養鶏。昨年、近所の養鶏家から、廃鶏に出そうとしていた15羽の「ボリスブラウン」を譲り受け、育て方を研究しました。
野菜クズなどを与えながら長期的に採卵できる手ごたえを感じたため、本格始動に向けて純国産鶏の「もみじ」など40〜50羽の追加を計画しつつ、2棟目の鶏舎を建てているところです。鶏糞は堆肥として、野菜作りに活かしています。将来は、短角牛を林で放牧して、山の草木や牛ふんで堆肥を作り、森林を豊かにする本格的な「農林畜産業の複業経営」を目指しています。
養蜂
2年前から、土着のニホンミツバチを使って養蜂もスタートしました。「ニホンミツバチの蜜は、“百花蜜”と呼ばれます。単一の植物から取られるセイヨウミツバチとは違い、山のさまざまな植物から作られるため、味に奥深さやコクがあり、なんといってもその土地ならではの味が楽しめるといいます。
昨年には初めて、少量ながら飲食店や産直市場へ販売しました。
デザートの原材料として使った飲食店の客からは、「(いままで食べたハチミツと)全然違う」と、高い評価を受けました。現在は4箱の養蜂箱を、5倍の20箱を目標に拡大中。「ハチたちは、とてもめんこいですよ」と、口元を緩ませました。ハチが受粉してくれるお陰で、野菜の実のつきが良くなったと感じることもあるといいます。
さらに、狩猟免許を取得し、11月から3月は高齢化のため害獣駆除の人手が足りない町で、ハンターとしても活動を行っています。
複業で豊かな農業を
「食える農家になる」。そう決意したのは、鎌田さんが高校2年生の頃でした。
実家は、鎌田さんで6代目という歴史ある農家。
教師の父と東和町出身の母は、農業を継がなかったものの、幼い頃から鎌田さんを東和町の畑山で遊ばせました。農業や林業に親しんで成長した鎌田さんは、だんだんと耕作放棄地が増えていく故郷の姿に心を痛めます。「誰もやらないなら、自分がやらないと」。そんな思いが強くなり、農家になると宣言したところ、「百姓なんて儲からないからなるな」と、米農家だった祖父母に強く諭されます。
職人気質の祖父母が手塩に掛けた米は、60~65点が標準とされる「食味値」で80点以上を取る質の高いもの。優れた米農家である祖父母の口から、後ろ向きの言葉が出ることが、悔しかったといいます。真面目にモノづくりをする農家が儲からないという現状を変えるため、まずは自分のような若者でも稼げることを証明しよう-。それも、不利とされる中山間地域で。気付けば、「それでもやるから!」と口にしていました。
全国の農業事例などを調べていくうちに、「農林畜産業の複業経営」というスタイルの成功事例に出合います。
農業と林業や畜産業を組み合わせることで、収入周期が異なる複数の収入源を持て、リスク分散が可能になります。広大な里山に隣接する東和町で農業の形として、理想的だとひらめきました。農業経営学を学ぶために東北大学の農学部へ進学しました。
大学では地域の生産者と消費者を繋ぐイベントを主催したり、西日本を一周して各県の山間地農業を見たりと、農業に浸かる充実した日々を送りました。高校時代に出会った、理想の副業経営を行う牧場にも訪れ、「その土地や自分にしかできない農業をしなさい」とエールを貰います。周囲の友人が就職活動を始める4年生には、草だらけだった耕作放棄地を借り受けて開墾し、大学に通いつつ念願の農業を起こします。居酒屋のアルバイトで得た人脈を活かして仙台市内の飲食店や直売所に売り込み、就農初年度から販路をしっかりと確保するなど、目標の達成に余念はありませんでした。
鎌田さんが描くビジョンは、本格的な「農林畜産業の複業経営」のため、3年後に農園を法人化すること。基盤を作り、10年後には全国から希望者を受け入れて研修と独立支援をし、日本各地に送り返すことで全国の山間地を元気にすることだといいます。まずは来年以降、林業と畜産業の担当として、登米市に移住予定の2人を農園に迎える予定です。
「日本の中山間地域では、今後も耕作放棄地は増えていきます。ということは、就農希望の若者にとって最も農地を見つけやすいのが里山なんですよね。覚悟を決めれば必ず豊かな農業ができることを、自分がロールモデルになって現地から伝えることで、若い人を里山に呼び込みたいんです」。10代の頃から変わらない夢を追って、着実に前へ進む鎌田さん。その背中を追って、歩みの後ろにできた道を次世代が続く日も遠くはありません。
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