「就農希望者が来ない」40億売り上げたカリスマ経営者の戸惑いと次の飛躍

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「就農希望者が来ない」40億売り上げたカリスマ経営者の戸惑いと次の飛躍

連載企画:農業経営のヒント

「就農希望者が来ない」40億売り上げたカリスマ経営者の戸惑いと次の飛躍
最終更新日:2020年07月16日

農業法人の野菜くらぶ(群馬県利根郡昭和村)社長の沢浦彰治(さわうら・しょうじ)さんは、農業界で広く名前を知られた経営者だ。有機栽培で野菜を作り、加工を手がけ、生産者をグループ化するなど業界をリードする手を次々に打ち、事業を拡大してきた。そんな沢浦さんでも戸惑う経営環境の変化がある。グループに加わろうとする新規就農者がめっきり減ったのだ。

40億円の売り上げを実現した仕組みとは

沢浦さんは生まれが1964年。地元の農業高校を卒業し、20歳のときに実家で就農した。経営を飛躍させるきっかけになったできごとは二つある。一つは20代半ばのとき、栽培していたコンニャク芋の相場が暴落したことだ。
このとき打った手が、コンニャク芋の製品への加工だ。原料のままだと相場に左右されるのに対し、加工すれば値段が安定する点に目をつけた戦略だった。いまは厳しく衛生管理した自社工場で製造しているが、スタート当初は実家にあった釜とミキサーを使った手作りのコンニャクだった。
もう一つは販売先の要望に応えるため、有機栽培を始めたことだ。コンニャクでうまくいくと、販売先はほかの野菜も無農薬で作るよう求めてきた。自分だけでは作りきれないと思った沢浦さんは、仲間の3人の農家と一緒に野菜を共同で販売するためのグループを立ち上げた。これが、各地の農家の野菜を仕入れて販売する野菜くらぶの前身になった。

有機で栽培・加工したコンニャク

コンニャク芋をはじめとしたさまざまな野菜の栽培や加工を手がける部門は、グリンリーフ(群馬県利根郡昭和村)として1994年に法人化した。その2年後には販売部門も野菜くらぶとして法人化した。現在、関連会社を合わせて売上高は約40億円と、野菜の農業法人では有数の規模にまで成長した。
野菜くらぶの特徴は既存の農家だけでなく、新規就農者が育てた野菜も積極的に仕入れてきた点にある。そのため、就農を希望する人が栽培技術を学ぶための研修制度を作った。品質を重視する売り先を野菜くらぶが確保することで、農家が栽培に専念できる環境も整えた。以前この連載で紹介した塚本桂子(つかもと・けいこ)さんもこの仕組みのもとで就農した。
グループの農家は群馬だけでなく青森や福島、静岡、長野など各地にいて、人数は2020年6月現在で84人。塚本さんのように生き生きと栽培に向き合う人を取材してきた筆者としては、後に続こうとする人がまだたくさんいると思っていた。だが、沢浦さんは数年前から次のように話すことが多くなった。
「うちで研修して就農したいという人が少なくなった」

塚本桂子さん

なぜ研修希望者は減少したのか

野菜くらぶに出荷している84人のうち、研修を受けて就農した人は13人。4、5年前に最後の2人が就農して以降、研修制度を使って新たにメンバーに加わった人はいない。就農について相談に来る人もほとんどいなくなった。
なぜ希望者が減ったのか。そう聞くと、沢浦さんは農業次世代人材投資資金(旧青年就農給付金)のことを挙げた。新規就農者に年150万円の給付金を最長で5年間交付する制度で、2012年にスタートした。この制度の定着と、希望者が減ったことに何らかの関係があると沢浦さんは考えているのだ。
では両者には具体的にどんな関係があるのか。そうたずねると、「なぜだろう」と自問しながら黙ったままだったので、取材では少し話題を変えて研修生を受け入れる際の方針についてたずねてみた。
沢浦さんによると、就農希望者が訪ねてくるとまず「貯金は150万円ありますか」と聞く。農業を始めると、機械や資材への投資が必要になるからだ。就農した当初は売り上げが少ないので、一定の蓄えが必要という面もある。150万円という金額は農水省の給付金と同じだが、直接の関係はない。

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作業場に張った標語

貯金額を聞くと、次に農業がいかに大変かを説明する。「災害でひどい目に遭うこともあるし、必要なら24時間働かなければならないときもある。それが一生続くわけではないが、一時期そういうこともあると覚悟してほしい」。甘いことを言っても、本人のためにならないと考えているからだ。
沢浦さんがこういった話をすると、たいていは「やります。頑張ります」と言って帰って行くという。そして後から「やっぱり自信がありません」というメールが来る。そんなメールに対し、沢浦さんは次のように返信するという。「自信がないからという理由で諦めるのなら、それは正しい選択です」
就農希望者に明るい未来を示すのは簡単だ。自分自身が、農業で40億円のビジネスを築いた当事者だからだ。だが沢浦さんはあえて面接で厳しいことを話す。安易な気持ちで就農して挫折してほしくないと思うからだ。
沢浦さんはインタビューでこうした話をしながら、ふとこう漏らした。「いろんなことを説明すると、現実がみえて嫌になっちゃうんでしょう」

雪害に遭ったホウレンソウのハウス(2014年撮影、写真提供:沢浦彰治)

研修の希望者が減ったことと、年150万円の給付金の関係を改めて考えてみる。沢浦さんのもとで研修し就農しても制度的には給付金は出る。だが沢浦さんはできるなら給付金に頼らず、事前にお金をためて準備し、就農した後は必死に働いて生活を成り立たせてほしいと思っている。これは給付金を受け取るなという意味ではなく、就農する際の心構えの問題だ。
そうした沢浦さんの考えを知った相手は就農に尻込みしてしまうか、沢浦さんが望むほどがむしゃらに頑張らなくても、年150万円あればとりあえずやっていけると思ってしまうのではないか。沢浦さんは相手の雰囲気からそうした思いを感じ取っているのだろう。取材を通してそう思った。

中小企業に負けない給料の支払いを達成、新たな目標は

ここで確認しておくが、どんな営農の形を目指すかは本人が決めるべき問題だ。給付金のおかげで就農当初の窮状をしのぎ、その後も栽培を続けている新規就農者はたくさんいる。規模はそれほど大きくなくても、植物に向き合う喜びを日々実感しながら充実した暮らしをしている農家も大勢いる。
これに対し、他産業と農業の所得の違いを就農してすぐ知った沢浦さんが掲げた目標は、地域の中小企業に負けない給料をスタッフに払うことだった。その目標はもう達成した。いま目指している目標は、売上高を70億円に増やすことだ。沢浦さんはそれを「そう遠くないうちに実現できる」と話す。

常に前進し続けたいと思ってきた(2010年撮影)

自信の裏付けとなっているのが、営農環境の変化だ。沢浦さんが事業の拡大に力を入れ始めた1990年代は、農地を貸し借りすることが今ほど一般的になっておらず、売り上げを増やすには仲間を集める必要があった。野菜くらぶがメンバーを増やしてきた背景にはそうした事情もあった。
時代は変わり、農地は格段に借りやすくなった。そして野菜くらぶには栽培技術に優れ、農地を増やすことに意欲的な農家が大勢いる。彼らが安心して栽培に専念できる売り先をもっと増やし、加工品の開発に一段と力を入れれば、事業を大きくする余地は十分にある。それが沢浦さんが描く戦略だ。
「世の中が求めているのは、品質の高い農産物を安定して供給すること」。沢浦さんはそう話す。品質を支えるのはマネジメントの力であり、安定供給の前提になるのはボリュームだ。それを可能にする仕組みはできたという。
就農希望者が減ったという一見ネガティブなテーマから始まった取材だったが、いつの間にか事業の次の飛躍へと話題は移っていた。これから農業の世界に飛び込む若者たちは何を目指すのか。そんなことを立ち止まって考えるより、さらなる高みを目指そうという姿勢に強い印象を受けた取材だった。

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