珍しい野菜で飲食店中心の販路、コロナ禍でも売り上げ回復
さいたまヨーロッパ野菜研究会(以下「ヨロ研」)は発足が2013年。さいたま市の外郭団体とシェフ、若手農家などがチームを作り、地元で育てた野菜を使った料理でレストランや生産者を盛り上げるために活動をスタートさせた。
チームの発足に際し、シェフが農家に栽培を求めたのは、イタリア料理やフランス料理などで使われているが日本にはまだ定着していない珍しい野菜。地元の種苗会社が種を提供し、栽培方法を指導した。
課題は売り先となる飲食店の開拓。当初はレストランが見たことのない野菜の調理の仕方に戸惑い、販売量が増えなかった。だが新たなメニューを開発するレストランなどが登場し、メディアにも取り上げられたことで売り先が拡大。販路のレストランは埼玉県内を中心に約1200店まで増えた。

さいたまヨーロッパ野菜研究会の農家がつくったさまざまな野菜
そこをコロナが直撃した。レストランを中心に販路を増やしてきただけに、影響を免れることはできなかった。森田さんは混乱が最も大きかった時期のことを「4月は飲食店がどんどん休業していった」とふり返る。ヨロ研に参加している13人の農家の4月の売り上げは前年比で半減した。これが影響のピーク。
5月は前年比7割に戻し、6月は同9割まで回復した。飲食店が徐々に営業を再開したこともあるが、大きかったのは食品宅配のオイシックス・ラ・大地も販路に持っていたことだ。休校や在宅勤務により家庭で調理する機会が増えたことで、宅配の需要が急増。レストラン向けの販売が減った分をカバーし、売り上げをほぼ前年並みに戻すのに貢献した。
4月が野菜の端境期だったことも影響を小さくした。4月の売上高は、例年でも6月の半分くらいしかない。もし4月ではなく、6月に緊急事態宣言が出ていたら、打撃ははるかに大きくなっていただろう。

コロナの影響について語る森田剛史さん
販売の頼みはシェフの腕、信頼関係が生んだ取り組みとは
インタビューがここで終わっていたら、「コロナで減った飲食店向け販売を宅配でカバー」という内容の記事になっていたかもしれない。だが筆者の理解がそういった単純なものにとどまるのを防ぐため、森田さんはコロナによる混乱の中で自らが感じたことを丁寧に説明してくれた。
一つは「オイシックス向けの販売が増えたので、売り上げの落ち込みをカバーできたのはあくまで結果論」という点だ。森田さんは「そのことを『狙ってやった』などと偉そうに言うつもりはない」と話す。
森田さんがこう強調する背景には、取引先のレストランへの配慮がある。「オイシックスのおかげで助かったという部分ばかりが前面に出てしまうと、あまりいい気持ちがしない飲食店もいるかもしれない」と思うからだ。
ヨロ研は地元の飲食店とともに発展してきた。そうした店の中には依然として売り上げを回復できていないところもある。自分たちが最悪期を脱したから、それで問題はなくなったとするわけにはいかないのだ。

ヨロ研の野菜をたっぷり使ったピザ(埼玉県朝霞市のイタリア料理店「ラグーナロトンダ」)
しかも、この配慮にはチームの存在意義に関わる深い意味がある。オイシックスの売れ筋は、白菜の小ぶりの品種などが中心。スーパーでよく見かける品種ではないが、家庭で調理の仕方に迷うような野菜ではない。
これに対し、ヨロ研がメインで扱ってきたのは、日本の食卓にはもともとなかった珍しい野菜だ。それを消費者においしく提供するための媒介役を務めてきてくれたのが飲食店。シェフがプロの腕をふるって調理の仕方を工夫してくれたおかげで、栽培を増やすことができたのだ。
今回はそうしたつながりを改めて確認することができる取り組みもあった。イタリア料理店を運営するノースコーポレーション(さいたま市)が、ヨロ研のメンバーの野菜をたっぷり使った弁当を販売してくれたのだ。同社の社長は、ヨロ研の会長を務める北康信(きた・やすのぶ)さんだ。
弁当の名前は「埼玉の生産者応援弁当」。約10種類の野菜を使った弁当と、袋詰めにした2種類の野菜をセットにした。消費者に予約販売しただけではなく、埼玉県庁やさいたま市役所の職員などにも営業をかけて販売。4月半ばから5月いっぱいまでの期間中に、合計で1850セットを販売した。

ノースコーポレーションが企画した「埼玉の生産者応援弁当」
さまざまなリスクに直面する農家の実情
森田さんが力説したのは、「ヨーロッパ野菜を作り、地産地消で地元を盛り上げる活動をないがしろにするつもりはまったくない」という点だ。もし、売り上げを増やすことだけを追求するなら、もう少し家庭でも扱いやすい野菜を育てたほうが有利かもしれない。だがそれはメンバーの本意ではない。
もちろん、販売リスクのことを考えれば、売り先を分散する必要はある。そこで、特色のある野菜を減らすことなく、オイシックスが求めるようなタイプの野菜もこれまで以上に作るようメンバー間で話し合っているという。森田さんが言うように、「どちらも大切にしていくことが必要」なのだ。
今回の取材では、リスクに常に向き合う生産者の置かれた状況についても考えさせられた。4月以降、森田さんはさまざまなメディアの取材を受けた。その都度、違和感を抱いたのは、「コロナで困っている農家の姿」ばかりを前面に出して伝えようとするメディアの姿勢だったという。

森田さんが育てたオクラ「ダビデの星」
筆者もメディアの仕事をしている以上、今回のような事態のもとで厳しい状況を取材したいという事情はわかる。だが重要なのは、もう少し農家に寄り添って考えてみることだろう。森田さんは「余った野菜を廃棄したときは気分が落ち込んだが、そんなに悲観的だったわけではない」と話す。
考えてみれば、農家はコロナ以前にも毎年のように襲う天候不順で経営を左右されてきた。この点について、森田さんは「異常気象が当然のようになっている状況にこそ危機感を持つ必要がある」と強調する。
そうしたさまざまなリスクに直面しながら、生産者は日々対処法を考え、生産を翌年につなぐ道を模索している。その全体を考えることなく、コロナによる混乱だけに注目すると、農家の実情を見誤るのではないかと思った。