耕作放棄地を実験場に
■金子信博さんプロフィール
農学博士(1988年、京都大学農学部林学)。専門は土壌生態学で、土壌の無脊椎(せきつい)動物(ササラダニ、トビムシ、ババヤスデ類、フトミミズ類)の多様性や生態系などを研究。著書に「土壌生態学入門―土壌動物の多様性と機能」(2007年、東海大学出版会)、編著に「実践土壌学シリーズ2 土壌生態学」(2018年、朝倉書店)がある。横浜国立大学大学院環境情報研究院教授、福島大学農学系教育研究組織設置等準備室教授などを経て、2019年より福島大学農学群食農学類教授。 |
2021年9月中旬、晴天の下、二本松市の「あだたら食農Schoolfarm」で「不耕起草生栽培」を学ぶ実習が開かれた。福島県内外から親子連れやサラリーマン、家庭菜園を楽しみたい人、地元の農家まで、さまざまなメンバーが22人集まった。不耕起草生栽培は、農地を耕さず、農地に生える雑草を生かしながら作物を栽培する方法をいう。無肥料、無農薬の自然農法に近い。
50アールの農地は20年以上も耕作放棄地になっていたのを、地域住民が2020年秋に畑に整備し直し、2021年、あだたら食農Schoolfarmを開いた。二本松市内で長年有機農業で野菜とコメを栽培する農家が、指導役を務める。農地は、畑を耕運する「耕起区」と、不耕起草生栽培をする「不耕起区」に区切られている。前年の秋にライ麦を植え、それをすきこまず倒して緑肥にした。その上から大豆やトマト、ナスなどを植えている。
この日は白菜や大根、カブといった秋冬の野菜の種まきや苗の植え付けと、大豆の収穫をした。参加者は、耕起区と不耕起区の両方で作業をし、土の様子や生育の度合い、収量の違いなどを身をもって学べる。あだたら食農Schoolfarmには52人が登録していて、実習は月に1度開催され、金子さんたち事務局が週1回管理に訪れる。
土の中に地上の10倍の生物
耕起区と不耕起区を歩いてみると、足元から違いを感じる。不耕起区は、ライ麦を倒したうえに作付けしていて、土がフカフカしている。ライ麦の残渣(ざんさ)に加えて、生えてきた雑草を刈って、その場に緑肥代わりに置いてあるので、土がほぼ露出せず、何かに覆われた状態だ。
金子さんが土の上に折り重なるライ麦の繊維の表層の部分を手で払うと、徐々に土に返ろうとしている繊維に混じって、土のような茶色の塊がここかしこにある。「これはミミズのふんで、団粒構造が発達している。土壌の空隙(くうげき)率が高まっていて、春先より土がやわらかくなって、水はけと水持ちがよくなってきた」と金子さん。
ライ麦を緑肥として使ったのは、土の炭素不足を補うためだ。不耕起区の一部にはさらに大豆を植えて、マメ科植物の根に共生する根粒菌を使って土中に窒素を固定している。
この日は大豆の収穫をしたが、豆以外の葉や茎は、畑に戻す。秋野菜の種をまくために雑草を刈り払うけれども、播種(はしゅ)した上に刈った草を横たえていた。
「皆さん雑草をとると、無意識に畑の外に出しちゃう。僕はそれがよけいな労力をかけずに使える大事な肥料で、マルチの材料でもあると思っている」(金子さん)
不耕起区の収量は、今のところ耕起区の3分の1程度だ。だが不耕起区の方が、病虫害は出にくいという。それは「不耕起の方が、病害虫の天敵生物が多くなるから」と金子さんは解説する。
「土の中には、面積比で考えると草原や森林の地上部にいる生物のおよそ10倍の量の生物がすんでいる。夏の暑い盛りに朝、散歩すると、田んぼの畦なんかにサラグモが小さな網を無数に張っている。エサはどこにあるかというと、土の中にある。土中から地上に出てきて羽化する小さなハエを網で捕まえて食べている。土を耕すと、ハエの幼虫のような生き物が減っちゃうので、有機農業といっても耕してしまうと実は自然をうまく使っていない」
アグロエコロジーの理屈を学べる場に
自然農法の課題というと、科学的な裏付けに乏しい、収量が安定しないなどを思いつく。金子さんも「これまでサイエンティフィック(科学的)にしてこなかった」としつつ、一方で科学者が自然農法を相手にしてこなかった面もあると指摘する。
「自然農法で自然を利用して、耕さないし肥料もやらないのに、本当にうまくいっている人もいる。なのに、ほとんど誰も研究しない」
研究すれば、生態学的に面白いに違いないと金子さんは考え、土壌生物の研究の傍ら、自然農法を実践する圃場(ほじょう)の分析なども手掛けてきた。実際に生態学の分野では、自然農法のしくみの説明になるような理論が少なからず出てきているという。
アグロエコロジーを学べる場を作ったのは、金子さんが「アグロエコロジーに興味を持っている人のかなりは、大卒者だろう。そんな人たちが理屈を学ぶところがあってもいい」と思ったからだ。金子さんはここを「実験的に試してみる場」だと位置づける。
「私は農業の素人だから『絶対に失敗します』と伝えてある。有機農家に指導してもらいながら、不耕起区でも栽培をして、失敗の理由を共有していくことをモットーにしている」
あだたら食農Schoolfarmを興味のある人が気軽に学べる場にしつつ、所属する福島大学農学群が2023年に大学院を開設する際に、アグロエコロジーのコースを作れないかとも考えている。
「アグロエコロジーはホリスティック(全体的)な話なので、ここに菌根菌(※)がいるというだけで終わらずに、この菌根菌が植物と共生するためには土をこう扱う、肥料も植物質の堆肥(たいひ)をちょっと与えればいいといった話が全部つながらないといけない」(金子さん)
※ 陸上植物の8割の根に共生する微生物で、植物の根との共生体である菌根を形成する。
あだたら食農Schoolfarmは、条件不利地での営農継続のために支払われる中山間地域等直接支払交付金の加算措置(より前向きな取り組みに対する支援)を財源に運営されている。事務局の根本敬(ねもと・さとし)さんは、立ち上げの経緯をこう振り返る。
「今は、農的暮らしをしてみたいという消費者が相当いる。かつ農村では高齢化で担い手が足りず、一生懸命担い手の育成をやっているけれども、農業ですぐ食えるかというとそう甘くない。だったらここで、耕作放棄地を解消しながら、あまり農業をやったことがない人が趣味を兼ねるものとして、あるいは本格的に農業をやりたい人のトレーニングとして、運営ができればと考えた」
金子さんから不耕起草生栽培のやり方を聞いた当初は「そんなことできるの?」と半信半疑だった。が、今では収穫したトマトを、自身が代表を務める農業組織でジュースの原料に使う。今後は、収穫物を売るための直売所を設けたいと構想を膨らませている。
もともと物質循環を専門とする金子さんは、基本的に畑にあるものを使えば生産はできると考えている。
「私たちが食べる分の養分を農産物として土から出すとしたら、どのくらい補ったらいいのか。土の中にバクテリアやカビ、それらを食べる動物がどれくらいいて、1年間活動すると、どのくらいの窒素が出てくるか。こうした食物連鎖と、植物が窒素源とする無機態窒素が植物からどのくらい生成されるかを、研究として計算しているところ」
アグロエコロジーの実験場はまさに今、金子さんと地域住民、参加者たちが一緒になって作り上げている最中なのだ。