酪農を学んだアメリカのまねをしないと決意
新得町の市街地の奥に、標高455メートルの新得山が鎮座している。そのふもとから中腹にかけての88ヘクタールが共働学舎新得農場で、約65人が働き、共同生活を送っている。メンバーの中には、自治体から交付される障害者手帳を持つ人が16人ほどおり、持病を抱えていたり、社会生活に困難を抱えていたりする人もいる。この農場では酪農とチーズ作りを柱にしつつ、野菜の生産や加工、工芸品作り、カフェや売店の運営など、さまざまな活動がなされている。
共働学舎は、代表の宮嶋さんの父・眞一郎(しんいちろう)さんが、障害や社会生活上の悩みを抱える人も含めて一緒に働き生活する拠点として、1974年に長野県で立ち上げた。そのモットーは「自労自活」、つまり自分たちの生活は自分たちで面倒をみるということだ。
共働学舎が新得町に新たな拠点を設けることになり、78年に宮嶋さんたち6人が30ヘクタールの放牧地に入植したのが、新得農場の始まりだ。

共働学舎新得農場代表の宮嶋望さん
入植する直前まで、宮嶋さんはアメリカで4年間、酪農を学んでいた。900エーカー(360ヘクタール)もある牧場に2年間住み込みで働き、その後、ウィスコンシン大学の畜産学部に編入学する。2年学び、学士の資格を取った。
日本に帰ってくる飛行機の中で、宮嶋さんは「絶対にアメリカのまねはしないと決めた」という。
実地と大学で酪農をみっちり学んだのに、なぜまねをしないと決めたのか。一番の理由は、日米の規模の違いだ。働いた牧場の主は、360ヘクタールでも「うちはアメリカでは小さい。だから付加価値をつけなければやっていけないんだ」と話していた。当時の日本農業はアメリカの後追いに熱心で、規模を追い求め、アメリカ製の農機を買うのが良いことという風潮があった。だが、宮嶋さんは量産体制を整えてアメリカと競争しても到底かなわないと、自身の体験から痛感していたのだ。
「それからずっと、どうやったら世界で生き残れる酪農をできるかと考えた」(宮嶋さん)

カフェと売店を兼ねる「ミンタル」
流行に流されないものづくりを標榜
「アメリカのまねはしない」という決意は後に、量産体制ではなく付加価値を追求するという、今に引き継がれる方針へと結実する。それを後押ししたのは、現実の困難さだった。牛は、当初の6頭から徐々に増やしていった。ところが。
「牛の数が増えるより、人間の数が増える方が早かった。ふつうの家族経営だったら生活できるくらいの頭数を飼っているのに、そこに7家族とか10家族がいる。これでは生活が成り立たない」(宮嶋さん)
宮嶋さんは、新得農場に「行ってもいいですか」と聞かれると、断らずに受け入れてきた。そのため、メンバーがどんどん増えていったのだ。
その対策として考えたのが、国産のチーズ作りだった。
「同じ60頭の乳牛を搾るのに、60人いるとするなら、6人でやっている家族経営の10倍稼がないといけない。それができるか試算をして、チーズだったら10倍稼げると、捕らぬタヌキの皮算用だけど、分かった。稼げるんだったら、投資してやろうというのが僕の発想」と宮嶋さんは説明する。
新得農場が得意とするのは、熟成期間が長いハードタイプのナチュラルチーズだ。熟成させないフレッシュチーズの方が製造期間が短く、当時から酪農家の間では人気があったが、あえて選ばなかった。理由は「メンバーが超スローペースだから。サイクルが早いものには手が出せなかった」(宮嶋さん)。
流行に流されず、作るのに時間がかかり、皆が手を出さないもの――。それを追求した結果、1年間表皮を磨きながら熟成させるハードタイプのナチュラルチーズに行きついた。

ハードタイプのナチュラルチーズを中心にさまざまなチーズを製造・販売している
ヨーロッパのコピーではない日本の風土に根差したチーズ作り
チーズ作りは、フランスのチーズの権威、ジャン・ユベールさんに教わった。伝統的なチーズの製法にのっとりつつ、単なるヨーロッパのコピーではない、日本の風土に根差したチーズ作りを目指している。
そんな新得農場のチーズは国際的なコンテストで入賞を重ねていて、2021年11月にも「ワールドチーズアワード2021」(スペイン開催)で「さくらのアフィネ」が金賞を受賞したばかりだ。新得農場を代表するチーズに、桜の香りをほのかに付けたソフトタイプのチーズ「さくら」があり、これまで数々の国際コンクールで高い評価を受けてきた。このさくらを1カ月熟成(アフィネ)させたのが、さくらのアフィネだ。
ほかにもクマザサの酵素や栄養成分の働きで白カビ独特のにおいを抑えた「笹(ささ)ゆき」や、北海道の一部に自生するすがすがしい香りを持つヤマモモ科の落葉小低木、ヤチヤナギを使った清涼感ある口当たりの「ヤチヤナギ」など、地域資源を生かした商品が多い。
営利事業として成り立っている農福連携
新得農場は、今ではチーズ作りを目指す若者たちが学ぶ場になっている。チーズ作りの先駆であるのに加えて、障害者などが農業分野で活躍する「農福連携」の先駆けという顔も持つ。ただし、今盛んに言われている農福連携と、新得農場の農業には違いがある。
最も大きな違いは、一般的な農福連携では補助金で成り立つところが多い一方、新得農場は約2億円の売り上げがあり、営利事業として成り立っていることだろう。今はやりの農福連携は、どうしても、補助金を受け取るためのしくみ作りが先行しがちだ。
「否定はしないけれども、僕らがやっていることとはどこか、違うんですね」と宮嶋さん。
もともと新得農場は支援者の寄付で成り立っていたが、そこから一歩踏み出し、チーズ工房などを将来への投資として、融資も募りつつ建設した。チーズを核にした農場運営が奏功し、メンバーの経済的な自立が可能になり、「自活」を実現している。
「作ったものを、お金を出して買っていただけるということは、自分自身のやったことを認めてもらったということ。自分の得意なものを提供して、お金をいただいて、衣食住という必要なものを得る。そういう、人間の間の助け合いのしくみを持っていたい」(宮嶋さん)
障害者福祉は、ともすると自活という視点を忘れがちだ。宮嶋さんは、ケアされる側の「生きている手応え」「自分の存在意義が認められたという感覚」への配慮が必要だと指摘する。

木造の畜舎。飼育するのはすべて、チーズ作りに適したブラウンスイス種
経済的な自立を実現
メンバーのおよそ半分は、さまざまな困難を抱えている。新得農場では、障害者も健常者も扱いは変わらず、自主的にできる仕事をこなす。朝食後のミーティングで、それぞれ何をするかを自己申告し、夕食後に何をしたかを報告する。
「メンバーには、身体障害者や精神障害者、知的障害者もいる。障害者自身が自分のできることで、ほかの障害者のできないことを手伝うことができる。だから、僕らがことさら手伝わなくても、生活できるしくみができている」(宮嶋さん)

新得農場のメンバーが作る工芸品の数々。ミンタルで
チーズ作りのため、工房や畜舎建設などの投資を続けた初期のころ、周りから「大丈夫か」とさんざん言われたそうだ。現状について「成功と呼ぶには、もうちょっとやらないといけないことがある」という宮嶋さんに、新得農場の今後をどう思い描いているのか聞いてみた。
「その土地の個性を十分に生かした発酵食品を作る。そして、それが受け入れられるような食習慣を、日本人の生活の中に作っていく。こういうことができて、お客さんにおいしいと思って買ってもらえれば、僕らの農業は続く。そういう風にしていきたい」
笑顔でこう話す宮嶋さんの傍らのテーブルでは、30代くらいの若手メンバーたちが日々の作業について熱心に打ち合わせている。共働学舎新得農場のこれまでと今、そしてこれからの可能性を強く感じる取材になった。