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耕作放棄地を解消して「有機の里」づくりへ! 新規就農者を呼ぶ基盤整備の立役者とは

耕作放棄地を解消して「有機の里」づくりへ! 新規就農者を呼ぶ基盤整備の立役者とは

大原三千院などの観光スポットで知られる京都市左京区の大原地区。この地では筆者が営むつくだ農園をはじめとして、多くの若者が耕作放棄地や遊休地を借り受けるなどして新規就農しています。今では多くの若手農業者が有機農業を実践する地域ですが、かつては耕作放棄地が目立つ時期もありました。そんな大原地区が変わったのは、一人のキーマンの登場がきっかけ。今回は大原地区の農村風景復活の立役者に話を聞きながら、基盤整備をきっかけに耕作放棄地の解消を達成し、「有機の里」を目指す道のりを紹介します。

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地域のふるさと像を未来につなげるために何が必要か

大原は四方を山に囲まれた盆地状の地形で、かつて暴れ川だった高野川を避けるように山手側に11の集落が点在する土地です。大原地区全体で約80ヘクタールある農地は、山裾から地域の中心部を流れる高野川の川べりまで広がっています。谷筋ごとに設けられた棚田にはそれぞれ古くからの呼称があり、筆者が営農している農地は「つくだ」と呼ばれ、この呼称から農園名をつけています。現在、大原では筆者の他にも10人余りの若手農業者が有機農業を営み、「有機の里」とも呼ばれています。

しかしこの大原地区でも、1990年代に入った頃には全国の例に漏れず、農作業はすっかり機械化。京都市の中心部まで車で20~30分と市街地にもアクセスの良い立地ですので、多くの農業者はサラリーマンとの兼業農家となり、耕作放棄される農地も目立ちつつありました。

この状況を憂い、地域を変革へと導いた人がいます。大原地区の戸寺町で生まれ育った農業者の宮﨑良三(みやざき・りょうぞう)さんです。「チームワークよろしくね」と口癖のように筆者たち新規就農者に語りかける宮﨑さんは、和製英語混じりなところがチャーミングでもあり、おしゃべり上手。同世代の地域住民はもちろん、若手農業者からの信頼も厚く、常に地域の将来を気にかけています。

農家の長男に生まれた宮﨑さんは、「本音では農業が嫌いで、昔の人ぷんを使うような農業がいやでしょうがなかった。農業から逃げてばっかりいましたわ」と言いつつも、サラリーマンとして生活しながら、実家の農地で米を作り続けてきました。
転機となったのは、農業委員を引き受けたことでした。
「使命感を持って地域にお返しせなあかんという思いがわいてきたのがきっかけやった」と当時を振り返ります。京都市農業委員会では、月に1度定例総会が開催され、地区内の農地の売買や転用についての承認報告がなされます。宮﨑さんは1997年から4期12年間にわたり農業委員を務め、この間に大原地区の農地の実情を思い知ったといいます。

耕作放棄地の増加は地域の本来の姿ではない 農業クラブの設立

「農業委員をやってよくわかったのは、大原の農地を転用したいという申請が多いこと。地価も結構安いので、景観への配慮もなく開発される事例が出てきたりして……。これはどうにか食い止めなあかんなと思った」と宮﨑さんはいいます。しかし「農地を守りたいと思っても私一人の力ではどうにもならない」と仲間集めの呼びかけを始めたとのこと。1年後、宮﨑さんと同世代の人や既に定年を迎えた人、合わせて10人ほどの仲間が集まりました。
「半年ほど週に1度、現状や将来についてミーティングをフリートーキングでやった。話せば話すほど、『大原の農地を守っていかなあかん』という同じ思いを共有できた」(宮﨑さん)。1998年秋から始まったこの話し合いの場から「大原農業クラブ」に発展し、翌年4月に15人で発足しました。当時の活動を宮﨑さんが振り返ります。
「もちろん地域の実態をよく知らなあかんということで、約1年かけて、大原地区の農地を全部踏破した。地域全体にどれだけの農地があって、どういう状況か。休耕田、作物、水の状況、木が生えているような農地もある。地図をもらって、農地を色分けして」。メンバーは毎週土曜日に集まり、地域の農業の実態を知るための調査をしたと言います。

その結果「大原地区の地域らしさは『農村らしさ』にあるはずであり、そのためには農地を耕作できる状況で次の世代に渡していかなければならない」と考えた宮﨑さん達。地域の土地改良を行うための農業者の団体「土地改良区」を組織し、行政とともに基盤整備事業の導入に向けた地域計画の策定を進めていくことになりました。

朝市の開設と農業振興

また、大原農業クラブでは「農地の有効活用をするためには販売場所が必要ではないか」という意見が上がります。これを受け、1999年、販売拠点の創出として「大原ふれあい朝市」がスタート。使われなくなっていた木材製材所跡地を会場に、1軒1軒の農家がテーブルごとに生産物や加工品を並べる対面販売の形で始まりました。
「最初の朝市は全体で100万円を超える売り上げでびっくりした」という宮﨑さん。地域の人や親戚縁者がこぞって宣伝してくれ、2回目と3回目は不振だったもののすぐに100万円台を回復し、好調な滑り出しでした。
さらに思わぬ効果も。「大原の野菜や米がおいしいという評判が口コミで広がり、その辺からやれるなという自覚が出てきた。冬場は農産物がないから休もうという計画やったけど、お客さんに背中をどんどん押されてね。無理に加工品作ってでも朝市を成り立たせたのが、結果的には良かった」と宮﨑さんは言います。

地域住民や消費者の他に、大原ふれあい朝市の人気のけん引役となったのが日本料理店「草喰(そうじき)なかひがし」店主の中東久雄(なかひがし・ひさお)さんを中心とした料理人たちです。「料理人がどういう訳か、我々が意図したことでないのに、集まってきてくれた。素朴な田舎の雰囲気が料理人の感性と合ったということと、農産物の味が濃いという評判もあり、大原の知名度も情報として活躍したと思う。大原でとれた野菜なんですと言ってお客さんに出すと受けが良かった、なんていう話も聞いた」と宮﨑さん。メディアにも「料理人が通う朝市」として取り上げられたこともあり、朝市を訪れるお客さんは増え、1回の朝市で15万円くらい売り上げる農家も出てきました。
「それぞれの農家が保健所の指導に従って加工所もちゃんと作ってね。餅に、さば寿司、漬け物、総菜、つくだ煮までありとあらゆるものを作ってきてね。15万円を月に4回売り上げたら60万円に届く。農家の女性たちが作る加工品がヒットし、女性のパワーを感じた」。宮﨑さんがこう話すように、課題となっていた売り先問題はもちろん、農業者の所得向上の問題も一気に解決されていきました。出店者の野菜が売れれば売れるほど、次の作付けでは「これまでよりもうひと畝多く」(宮﨑さん)作るようになり、若手新規就農者の出店にもつながってきました。

製材所跡地を利用した朝市会場の様子。若手農業者が増えてきた頃

若者の新規参入による遊休農地問題の解消

2008年竣工(しゅんこう)当時の直売所、里の駅大原

時を同じくして、筆者をはじめ、大原地区に就農する若者が増え始めました。これは、大原ふれあい朝市の成功によって直売機会に恵まれていたという点に加え、2008年に常設の直売所である「里の駅大原」が開設された事が大きな要因でした。
この直売所は、都市農村交流拠点の整備事業として、生産者と消費者をつなぐ目的で作られたもの。里の駅大原の運営会社として、地域住民が出資して「株式会社大原アグリビジネス21」を設立、その初代社長に就くことになったのも宮﨑さんでした。
直売所開設時は60人余りだった出荷者数は、1年もたたないうちに100人ほどに増えました。地域の中央部にできた里の駅大原は、国道から少し離れた立地にもかかわらず、多くの利用客でにぎわっています。

現在の大原の農業像 大原やさい研究会への期待

人気の定着した、販売力の大きい朝市と、常設の直売施設は、新規参入の有機農業者の格好の販路となりました。新規参入した若手の経営がうまくいけばいくほど、新たな農地を求めることとなり、耕作放棄地は2010年ごろにはほぼ解消されました。

このように順調に耕作放棄地の解消に向かっている大原ですが、農業を営む大原地域の人口は減る一方で、高齢化しているケースが多く、この先の農地利用を考えると地域住民だけが担い手として営農するのみでは再び遊休地となる可能性もあります。
「基盤整備は営農が条件。少子高齢化もあり、農家であっても営農しない土地持ち非農家が増えてきている。担い手不足は新規就農者の増加で改善されてきているが、大原の後継者が農業を続けるのかどうか。一部の人は『我が家も農業を』と脱サラして就農する事例もあるが、関心のある人は少ない」と、宮﨑さんは今後への不安も口にします。

その不安を和らげるのが、筆者のような新規就農者たちです。2018年には大原地区で営農する有機農業者や環境に配慮した農業を行う農業者が集まり、筆者を会長として「大原やさい研究会」を立ち上げました。
宮﨑さんは「地域の農業問題の解決や農業の振興を図る大原の農業の受け皿として、育っていってほしい」と我々の活動を応援してくれています。さらに、「これからの大原の農業を特色付けるのは有機農業。『有機の里』づくりを目指していってほしい」と地域の農業の特色づくりにも意欲的です。

大原やさい研究会による勉強会の様子。栽培や害獣防止策などについて勉強会を開催

耕作放棄地対策が新規就農者を呼ぶサイクルの起点に

2022年現在、新規参入によって大原で就農した農業者は12軒。それぞれの経営面積は増加傾向にあり、アルバイトを雇用したり、研修生を入れるなどして、経営規模も少しづつ大きくなっています。大原地域の農業者が耕作できなくなった場合には、若手農業者に農地のあっせんをし、それぞれが規模拡大するという形で農地利用が進んでいます。

整備された農地があり、販路の希望が持てれば、新規就農者の参入につながります。さらに、地域農業者が引退するタイミングがあったとしても、新規参入者の経営にバトンタッチできるため、農地が遊休化しないという、好循環のサイクルが生まれます。大原地区の事例では、宮﨑さんらが地域の農地を守らなければならないと発起し、大原らしい「ふるさと」の風景を将来につなぐために奔走し、取り組んできました。その結果、基盤整備事業の導入や大原ふれあい朝市の成功と里の駅大原の直売拠点整備につながり、さらには若者たちの就農の連鎖が、新しい地域農業の顔になるに至ったという、まさに地域変革の好事例といえるでしょう。

現在の大原ふれあい朝市の様子。里の駅大原の駐車場を会場に、毎週日曜朝6時からにぎわう

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