効率以上に有利販売や高付加価値化を目指そう
水田の中にところどころ宅地が点在するエリアに、るシオールファームはある。本社を訪れると、若い従業員たちが収穫したばかりのネギの調製作業をしていた。すぐ隣には、レストラン「Vege Rice(べじらいす)」があり、とれたての野菜やこだわりのコメなどを使って、野菜をふんだんに用いた料理を出している。自社で賄えない分は近隣の農家からも調達し、地産地消の拠点とした。
取材に訪れた日はレストランは定休日だったが、併設している直売ブースは営業していて、親子連れや女性客が次々と車で乗りつけ、野菜や加工品、総菜などを買い求めていた。レストランと直売ブースを合わせた売り上げは、年間6000万円ほどになり、同社の売り上げのおよそ3割を占める。
「2008年に社長になって、農家の単位はヘクタールやなくて、円、つまり売り上げやなと思った。企業である以上は、売り上げで語らなあかんと。いかに投下労働力を抑えるか模索するのも間違いじゃないけど、それよりも有利販売や高付加価値化を目指そう、そしてお客さんに喜んでもらえる農業をしたいと思った」
有限会社るシオールファームの今井敏(いまい・さとし)さん(冒頭写真)はこう振り返る。それまでは、いかに農地を集め、効率のいい作業をするかを追求していた。
「滋賀県で俺が百姓じゃなきゃ誰が百姓やというくらい、面積を集めたろうと思ってた。そのときは、収穫がゴールやった。でも社長になって、時代は変わったと気づいた」

ファーマーズキッチンべじらいすの野菜を豊富に使った料理(画像提供:有限会社るシオールファーム、以下いずれも)
夢を持って就農、直後に米価下落が始まる
非農家出身の今井さんは、就農当初から時代の激変を肌で感じてきた。就農のきっかけは、後にるシオールファームを設立する徳地好雄(とくち・よしお)さんの娘婿になったことだ。結婚の許しを得ようと会いに行ったとき「家業の農業を手伝ってほしい」と言われた。周囲の農家は裕福で、今井さんいわく「夢を持って」1993年に就農した。
就農したまさにその年に、戦後最悪の凶作で「平成の米騒動」が起き、米価が跳ね上がった。しかし、間もなく一転して下落が始まる。
「それから米価が上がっていかへんのを目の当たりにして、ああ、農業のピークって俺が入るまでやったんやなと感じた」
かつては販売努力をしなくてもコメは高く売れた。「10枚中7枚の田んぼでコメを作ったら、生産調整分の3枚は小麦や大豆の捨て作りをしても、サラリーマン以上の所得があった時代」(今井さん)だったのだ。捨て作りというのは、農家が転作奨励金をもらうために大豆や小麦の種をまいた後、ろくに管理をせずに放置することをいう。
「けど、これからは10枚田んぼを預かっているなら、10枚ともで利益を上げていかないと、自分らが経営者になったときに苦労するなって」
将来をこう予見した今井さんは、作業の能率を徹底して追い求めるようになる。
女性客に気軽に来てもらおうと50品目まで増やす
転作作物の生産効率を上げるべく、農家10人で主に地域の生産調整を請け負い、小麦や大豆などを作付けする有限会社共同ファームを1998年に設立した。このとき今井さんは29歳の若さで代表に就いている。
「1+1が2なら意味はない。1+1が3になるように、最低限の人数で効率的に回せるようにした。省力で低コストということを、やってきたんやね」
けれども、2008年に徳地さんから経営を譲られてるシオールファームの社長になり、それまで以上に経営者として物事を考えるようになったとき、現在の生産から販売を一貫して担う「生販一貫体制」に方向転換した。経営の柱であるコメに関して、価格が下がり、物流費や人件費は上がり続けるという将来が見越せたからだ。
「ほんなら、生活必需品であるコメをお客さんに喜んでもらう嗜好(しこう)品に変えていこう。お客さんに直接買ってもらおう」
そう決めた今井さんは地元の女性を顧客にしようと狙いを定め、それまでのひと山何十万円という売り方を、コメ1キロ400円、キュウリ3本100円といった売り方に変えていった。
「最初は農舎にあった小屋を改造して店舗を作ってん。で、コメを直接売ろうと考えたけど、お客さんが勇気を出して店に来ても、置いてあるのが8000円や9000円のコメだけじゃ、ビビるやろ。ターゲットにしたい女性の消費者に気軽に来てもらえるように、品目を増やしていった」
顧客の要望に応じて品目を増やし、それが収益に結び付くという好循環が続いて、今の50品目まで増えたのだ。

べじらいすに併設する直売ブース
フィードバックでより高品質な商品に
今井さんは、多品目を栽培するとコストもかかるし、ノウハウの蓄積に時間がかかるのも確かだとしつつ、直売をするスタイルに変えた効果をこう話す。
「農業法人の究極のあり方は、地域の人に喜んでもらうことやん。従業員もお客さんの声が生で聞けて、ちょっと硬かったとか、ちょっと酸っぱかったっていう指摘が生産現場にフィードバックされる。だから、よりええもんが取れていく」
売り場で消費者の声をじかに聞き、改善につなげることで、さらに喜んでもらえる。そのための生産の工夫も欠かさない。
「お客さんをもっと喜ばしたいと思って、高い肥やしを使うようにした品目もある。スイカがそうで、うちのスイカは相場の2倍くらいの価格で売れていく。コストをかけた分、価格が上がっているから、コストをかけずにそのままの価格で売る方がええかもしれん。けど、『生販一貫』をしている理由は、やっぱりお客さんが求めてる農産物のあり方を生産現場にフィードバックしたいからやん」

自社の農産物を使ってさまざまな加工品を製造している。「玉ねぎドレッシング」は、べじらいすで提供するために開発し、タマネギの含有量が20%以上と高いのが特徴で、今では人気商品になっている
29歳で生産調整を請け負う会社の社長になり、39歳でるシオールファームの社長に就いた今井さんは、50歳になった2018年、直営レストランのべじらいすをオープンさせた。40代の半ばだったころ、もともと営業していた直売所の売り上げが4000万円ほどで安定し、それ以来、農家と消費者を結ぶファーマーズキッチンを作るという新たな構想を温めてきたのだ。

べじらいす内観
人材育成のため20代の6人に別会社の経営任せる
今は65歳までには経営を委譲しようと、若手の人材育成に力を入れている。
「農業界で世間が社長やと認める年齢って、せいぜい50歳手前の髪の毛に白いものが混ざったころ。29歳で俺が『社長です』と言っても『ハイ、ハイ』という感じで、坊主が何言ってんねんという反応やった。でも、29歳からるシオールファームの社長になる39歳までの間に経験したことって、自分にとってはすごいプラスやったと思う」
その経験があるからこそ、将来の経営陣にも力を付けてほしいと、子会社として株式会社ROPPO(ロッポ)を2021年に設立し、20代の6人に運営を任せている。同社では特殊なフィルムを使ってトマトへの養分補給をコントロールする「アイメック農法」で高糖度トマトを生産する。

アイメック農法で栽培するトマトは、甘くて濃厚な味で人気がある
「『間違ってもいいから、6人で運営せえ』と。自分が経営を譲るときに、彼らが30代でいきなり経営の矢面に立つよりも、今の間に経験を積ませたい」(今井さん)
地域の消費者を喜ばせ、ファンにするるシオールファームは、次の時代を見据えて変化を続けている。

ファーマーズキッチンべじらいすの前で従業員と共に