ラディッシュの可愛さに一目惚れ!京都の飲食店に試験販売
ぷっくりまん丸で鮮やかな赤色が特徴のラディッシュは家庭菜園で人気の野菜の一つだが、料理法と言えばサラダの色添えくらいしか思い浮かばない人も多いのではないだろか。ラディッシュを地域の特産品として産地化を目指している農家は関西では皆無だ。
「まず、ハウスのラディッシュを見てください」と、野村さんに案内された。頑丈そうなパイプハウスの中で土の中からまん丸でぷっくりした赤いラディッシュが顔を出していた。思わず「可愛いですね」と声が出る。
「でしょ」と野村さんの満面の笑顔が返ってきた。ハウスを頑丈にしているのは、雪の重みに耐えるためだと言う。町全体の83%が森林を占めているこの地域は、雪が降ることが多い。

雪の重みに耐えるように設計されているパイプハウス
野村さんとラディッシュとの出会いは、彼の父親がたまたま家庭菜園で育てていたことがきっかけ。野村さんは、土から顔を出したまん丸な赤いラディッシュを見て一目惚れをしてしまった。

土から顔を出したラディッシュ
野村さんは大学卒業後、東京の食品卸の商社に就職。その後、生まれ育った京丹波にUターンで転職し、実家から京都市内の食品流通会社に通った。この頃から農家を継ぐ人が居ない京丹波で農業で地域を盛り上げたいと考えていたそうだ。しかし、当時は農家になるというより、京丹波の特産品である黒枝豆や京野菜などの農作物を販売して京丹波を盛り上げられないかと考えていたという。
「京丹波は京野菜の産地なので野菜を仕入れて販売できる卸会社をできたら農家の所得も上がって地域として盛り上がるかなと考えていました」
地域を盛り上げるために模索していた野村さんだったが、ラディッシュに一目惚れし、栽培をしてみようと決めた。勤めていた会社の取引先からも「ラディッシュが欲しいんだけど」という声を聞くことが多かったことも背中を押した。ラディッシュの現状を調べてみるといくつかのことが分かってきた。
まず、関西でラディッシュをメインに栽培しているところがほとんどなく、競争相手が少ないこと。京丹波は中山間地域で狭い農地が多く、ハウスを持っている農家が多いので、1年に何度も栽培できる、回転も速いラディッシュ栽培は向いていることなどだ。日本でメジャーではないラディッシュをゼロから栽培し、産地化を目指すというのは冒険だったが、未知の世界へのチャレンジはやりがいや希望が詰まっていた。
「収穫には人手が掛かりますが、収穫は簡単ですし、軽いので地域のママさんや高齢者の人でも仕事になると考えました」
野村さんは会社に勤めながら20年近くホウレンソウ農家を続けた祖父のハウスでラディッシュの栽培を開始し、テスト的に販売を開始した。
「京丹波の祖父の農地でラディッシュを栽培して、自分で袋に詰めて会社に配達をしていました」と野村さんは当時を振り返る。こうして、最初はサラリーマンをしながらラディッシュ農家としての一歩を踏み出した。
ここでしかできない大粒のラディッシュを栽培して世の中に広めよう!

大粒の京丹波ラディッシュ
最初に栽培したラディッシュは、飲食店がサラダの飾りつけの用途がほとんどだった。「ラディッシュにはもっと可能性があるはず」。より活用の幅広さが見込めるラディッシュの品種を探していたところ、ラディッシュに力を入れている種苗会社に出会う。
「元々、日本のラディッシュの品種は小粒でしたが、ヨーロッパは品種改良が進んでいていろんな品種があるんです。ある種苗会社で大粒のラディッシュのタネに出会ってから、大粒のジューシーなラディッシュを栽培できるようになりました」
栽培方法も研究した。野村さんの祖父が栽培していたのはホウレンソウだったため、土が堅くラディッシュには向かない。柔らかくふわっとした土にしなければ、カタチのいいラディッシュには育ちにくく実割れなどの原因にもなった。
「うちのハウスのすぐ近くに本しめじを栽培している工場があるんです。そこの廃棄菌床を手に入れることができました。それを畑に入れると飛躍的に土がふかふかになりました」
ラディッシュは通常2.5センチくらいであるが、野村さんのラディッシュは4センチから5センチある大粒でジューシーだ。ほどなくして、本格的にラディッシュ栽培を開始した。販売先は京都を中心とした飲食店である。

京丹波ラディッシュ(左)。右は一般的なラディッシュ
ラディッシュに三度惚れ!仲間を増やし地域の特産野菜に!
「出荷量が増えてきた矢先、コロナ禍になってしまって飲食店との取引が止まりました。どうしようかとなったんですが、野菜の個人宅配にラディッシュの赤が映えると言ってもらい、個人宅配の野菜の中にラディッシュが加わることができたんです」
野菜の個人宅配が増加し、宅配を扱っている他の企業からの引き合いも増えてきた。一気に一般消費者にもラディッシが認知され始める。そのことが契機となり、スーパー、百貨店など量販店へとつながった。

京丹波ラディッシュを収穫する野村幸司さん
2021年春には祖父の農地を引き継ぎ独立就農した。ラディッシュを栽培する農家も加わり、3農家で「京丹波ラディッシュ」という共通ブランドにし、生産、販売先を共有している。ラディッシュを栽培することで雇用機会を創出している。SNSも駆使し、京丹波のラディッシュ農家としてアピールしている。チームになったことでリスク分散ができ、商談がまとまることもあるという。「一番良いのは、技術の共有ができるので、栽培技術も上がったことでした」
ラディッシュの真っ赤な実に一目惚れし、料理によって変化するジューシーな味わいに惚れた。そして、フルーティーな甘さが増す春の始まりと冬を迎える旬の頃に、三度惚れしたそうだ。
筆者自身、野村さんに会うまではラディッシュはサラダの色添えくらいにしか利用できないのではと思っていたのだが、取材後に持ち帰った「京丹波ラディッシュ」を薄切りにし、塩コショウを加え、オリーブオイルで両面を焼き、葉もさっと炒めてみると「ラディッシュってこんなに甘いんだ」と驚かされた。加熱することでより甘味が増し、予想外のおいしさだった。
「秋冬の甘さは梨に近いです。蕎麦屋で大根おろしのようにラディッシュをおろして使用してくれているところがあるんですよ」
生はもちろん、ソテーにしても揚げてもすりおろしてもおしい。大玉なので料理の主役にすることもできそうだ。「京丹波ラディッシュ」の袋についているQRコードからレシピを見ることができる。
「生産者、卸業者、飲食店、販売店、そして消費者と一緒に作り上げていきたいんです。自分が関わったら愛着が湧くでしょ。ラディッシュというお神輿をみんなでわっしょい、わっしょい担いでいる感じです」
生産量や供給量で勝負する世界ではなく、みんなのものとして京丹波に根付いてほしいと野村さんは考えている。野村さんは、自らをラディッシュ農家と名乗ることもある。
「ラディッシュ農家というと、皆さんに覚えてもらいやすいんです」といって野村さんは笑う。
ラディッシュに特化して栽培しているのは関西では唯一無二だ。更に驚くようなプレミアムなラディッシュを開発中だそうだ。
野村さんは、ラディッシュだけでなく、黒豆、黒枝豆、賀茂ナスなどの京野菜も栽培しており、現在、常勤が10名、非常勤が10名。年齢層も20代から70代と幅広い。そのうち女性が9割だという。
「農業は、生産して出荷して終わりではなく、そこから広がる世界があるはずです。めっちゃおもろいビジネスチャンスあるんだと思ってもらえるようなことを目指しています。その先に地元の盛り上がりがあると思うんです」
野村さんのやりたいことはまだまだ始まったばかりである。どんな世界が広がっていくのか楽しみだ。
写真提供 野村幸司さん