一夜にして16万房が落果。絶望の台風被害
前回の記事で紹介したビジネスモデルの転換へと至る過程には、同園の存続すら危ぶまれる絶望的な試練がありました。
バブル崩壊後の負債を抱えていた当時は、経営陣が数ヶ月間給与を受け取らず、なんとか従業員に給与を払い続けるほどの“冬の時代”でした。そんな窮状に追い打ちをかけたのが、2005年9月に発生した台風14号の直撃です。
当時、入社5年目だった加藤さんは、ぶどう栽培を担当していました。しかし、暴風により開園前の果物はほぼ全滅。4ヶ月かけて育てた約16万房のぶどうが、一夜にして廃棄せざるを得ない状況になってしまったのです。
「一歩間違っていたら今はなかったなという時代もありました」と、当時の危機的状況を会長を務める2代目の平田克明(ひらた・かつあき)は振り返ります。しかし、その口から悲観的な言葉は一切出てきません。
「やめるわけにいかないから、前に突き進むしかなかった。でも、農業を素晴らしい産業にするという夢に向かって作り上げていくのが一番の目的だから、苦しいと思ったことはないんです。失敗しても、それを乗り越えてやっていくのが楽しくてしょうがなかった」(克明さん)

手塩にかけて育てたぶどうが台風により全滅
ピンチをチャンスに変えた多角化
絶望の台風被害から生まれたドライフルーツ事業
16万房の落ちたぶどうを前に、彼らはただでは転びませんでした。
加藤さんの提案で、「ジャムやジュースにするだけでは到底使い切れない。外国産はあっても、国産のものは珍しいドライフルーツにしよう」と開発に乗り出したのです。
加工場にあった食品乾燥機を使い、数ヶ月で試作品を完成させました。そこから、泥臭い営業活動が始まります。当時、テレビ番組「マネーの虎」で知られていた高橋がなりさん(SOD・国立ファーム創業者)に直談判し、「じゃあ持ってきなよ」と1万袋(約700万円)の受注約束を取り付けました。
さらに、新宿伊勢丹や日本橋三越などの有名百貨店へ直接売り込みをかけます。最初はまったく相手にされないという厳しい洗礼を受けながらも、何度も通い詰めたことで信頼を勝ち取り、徐々に高級市場での売り場を獲得していきました。

ドライフルーツの加工の様子
ホテルへの直営業と「お着き菓子」需要の発見
さらに、ドライフルーツを「お土産」というカテゴリーに切り替えたことが、その後の大きな飛躍に繋がりました。
当初は健康志向やティータイム用、ウイスキーのお供として売ろうとしていましたが、日本人にはドライフルーツを日常的に食べる文化が根付いていないことに気づいたのです。そこで包装を「1粒分を個袋に入れる」など一新したことが功を奏しました。
このお土産用のドライフルーツを武器に、星野リゾートなどの各施設へ営業をかけます。もちろん最初は相手にすらされなかったといいますが、何年も通い詰めた結果、最終的には星のや本館などのオリジナル商品として製造する「OEM契約」を結ぶことに成功しました。現在では67件ものOEM契約を結んでいるといいます。
また、長野県の有名温泉地の旅館では、「お着き菓子(チェックイン後、温泉に入る前に血糖値を上げるためのお菓子)」としての需要も開拓しました。その結果、一気に数千から1万単位での大量注文を獲得する大きな柱となっています。
この事業拡大の中で、自社の果物だけでは足りず、長野県の農家から仕入れを開始。2008年に長野県に工場を設立し、2015年には長野駅に直営店もオープンしました。現在は、長野県でぶどうの生産を行う自社農場にも乗り出しているといいます。
ドライフルーツ事業もまた、自ら価格決定権を持つ6次産業化の成功モデルとなりました。

果実企画が展開する信州星の実シリーズ
農業の常識を覆す「世襲禁止」。「5人の社長」が躍動する組織
若手が定着しなかった冬の時代からの脱却
現在でこそ、従業員には多様なバックグラウンドを持つ若者が集まっていますが、過去には苦い経験もありました。
「昔は20代の若い子が5人くらい入っても、3年後には全員辞めてしまいました。休みが不定期でしんどい割に、特別高い給料がもらえるわけでもなかった」と、加藤さんは当時の状況を振り返ります。
この状況を打破するため、まず採用のターゲットを県内から「全国」へと広げました。結果、環境や生命産業に興味を持つ優秀な若手が、新潟や千葉、高知など県外からも集まるようになったといいます。
「完全実力主義」と次々と誕生する子会社社長
さらに、優秀な人材が長く定着し、企業として永続するために、農業界の常識を覆す「世襲の禁止」と「完全実力主義」を導入しました。
同園のマネジメントの最大の特徴は、「各品目の担当者に、独立した農家のように全権を委ねる」ことです。何を植えて、いくらで売るかも自分で決めさせ、社長は一切指示を出しません。日々の現場作業を通じて経営者感覚を養わせているのです。「ちょうど狩り」の提案やドライフルーツ事業を手掛ける会社の代表も務める加藤さんに至っては、社長よりも高い給与を得ているといい、社員にとって明確な目標となっています。
さらに、現場で経験を積んだ優秀な社員は新規事業を任され、子会社の社長に抜擢されます。現在、体験事業の「株式会社イチコト」や、ドライフルーツ事業の「株式会社果実企画」など、社内にはすでに5人の社長が存在しています。

さくらんぼを担当する八木原さん。その他にも、りんごなど別の品目も担う
ボトムアップを生み出す明確な基準と失敗を許容する風土
若手から次々と多角的な事業アイデアが生まれる背景には、独自の明確な評価基準があります。
提案される企画は、「お・ひ・さ・ま」という4つの基準を満たす必要があります。
『お』オリジナルか
『ひ』必要とされるか
『さ』採算性はあるか
『ま』満足度は高いか
これを満たせば、トップダウンではなくボトムアップで予算がつき実行に移されます。
さらに重要視しているのが「か・じ・つ(考える、実行する、作り上げる)」という行動指針です。『考える』だけでやらない人が多い中で、『実行する』まで行けば50点。そこから多くの失敗を乗り越えて『作り上げる』まで行くのが本当に大変ですが、失敗しても他の部門がカバーして支えるというバックアップ体制が、社員の挑戦を後押ししているといいます。
小さく試す。2ヶ月で撤退した「宝探し企画」のリアル
同園の文化を象徴する失敗のエピソードがあります。それが、子供向けアトラクション「キッズ果物探検隊」です。
山の立地を生かし、果物狩りで園内を巡る途中にコンパスで宝探しをしたり、双眼鏡で文字を探したり、紙と糸で木の高さを当てるといった仕掛けを用意しました。ファミリー層の満足度をさらに上げようという狙いでしたが、なんと開始からわずか2ヶ月で撤退という決断を下します。
理由は「子供たちは果物を採ること自体にテンションが上がりすぎて、宝探しどころではなかった」ため。「これだけ果物に集中して楽しみたいんだ」という顧客の真のニーズに気づき、すぐに見切りをつけたのです。
この企画にかかっていた予算は約3万円。アイデアが出たらまずは少額の予算を立てて小さく実行に移し、現場の反応を見て難しそうなら撤退する。このスピード感と「失敗しても大丈夫」を推奨する風土こそが、新しいヒット企画を生み出す土壌になっています。

従業員の提案から生まれた「ダッチオーブンの森」。薪割り、火起こし、料理といったアウトドア体験が気軽にできる
従業員のアイデアから次々と生まれる新規事業
同園の強みは、こうした新しい事業がすべて現場の従業員のアイデアから生まれている点にあります。
例えば、薪割りから楽しむレストラン「ダッチオーブンの森」や、収穫体験とスイーツ作りをセットにした「イチゴディスカバリー」といった果物狩り以外の体験プログラムも従業員から生まれ、形にされました。さらに、染め物などの里山体験を提供する子会社「株式会社イチコト」も若手の提案から誕生し、自ら社長として事業を牽引しています。
また、失敗を恐れない文化の極めつけが、紙製のいちごヘタ入れやさくらんぼの種入れ「Eピック」の開発です。大量に消費されるプラスチック製のヘタ入れに疑問を持った加藤さんが、コロナ禍で来園者が減少した空き時間を逆手に取り自発的に開発しました。特許申請も行い、現在では全国のいちご農園やさくらんぼ園へ販売する新たなビジネスへと成長しています。

紙製のいちごヘタ入れ「Eピック」。さくらんぼ狩りの柄と種入れとしても活用する
果物狩りをベースとしたポートフォリオの完成と次なる挑戦
前編で触れた通り、「脱・食べ放題」のチケット制を導入したことで、収穫体験という付加価値を生み出し、実質的な果物の単価を「過去の3倍」にまで引き上げることに成功した同社。これにより利益率が劇的に改善しただけでなく、お客様一人当たりに用意する果物の数が減ったことで、生産にかかるコストと労働時間も大幅に削減されました。
こうした経営改善と多角化の結果、加藤さんが就職した2000年当時と比べて、農園全体の売上高は「倍」に成長。さらに、かつては数万人だった来場者数も、現在では年間15万〜16万人を誇るまでになりました。果物狩りの収益をベースに、飲食、体験、加工事業がそれぞれ利益を生み出すポートフォリオが完成したのです。
農業が単なる一次産業にとどまらず、多角化を通じて若者が自己実現を果たし、次代の経営者へと成長できる魅力的なビジネスであることを、平田観光農園の事例は証明しています。
取材協力
平田観光農園
















