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江戸っ子が惚れた鶏が蘇る 農と食の仕事人の傑作・東京しゃも開発秘話(2/2)

江戸っ子が惚れた鶏が蘇る 農と食の仕事人の傑作・東京しゃも開発秘話

牛豚肉が原則タブーだった江戸時代、鶏、中でも軍鶏(しゃも)を使った料理は、日本の食文化において孤高の地位を占めていました。食糧が豊富になり、食文化の幅が広がった今日でもその地位が揺らるぐことはありません。
引き締まった肉質とコクのある味に惚れ込んだ人たちの間で、昔ながらの軍鶏に最も近いとされ、有名になったのが「東京しゃも」です。
現代の食肉需要に応えて開発されたこの鶏は、養鶏の専門家と料理家、農と食の仕事人が一体となって生み出したドラマチックな傑作です。

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プロフェッショナルが協同して開発

選ばれた養鶏家

そこから遡ること10年余り。一人の技官が、食肉の一大消費地である東京の市場に向けて、純系に限りなく近い軍鶏を作るという企画を農業政策の幹部に通し、開発が始まりました。その当初から協力し、現在も東京しゃも生産組合の組合長を務めているのが、あきる野市で浅野養鶏場を営む浅野良仁(あさのよしひと)さんです。
浅野さんは農業について独自の信念を持ち、ブロイラーでなく日本原産の鶏を飼育して良質な玉子を生産。小規模ながら知る人ぞ知る評判の養鶏家でした。

弱虫を抜擢して交配

技官は喧嘩するヒナを外し、大人しいヒナだけを集めて育て何代も交配させるという改良作業を繰り返し、理想の軍鶏の実現に挑みました。
「鶏はパッと目が合うと、どっちかが引っ込みます。この順番が決まらないと育たないんです。だから目を逸らす方を選んで掛け合わせる。オスの中でいじけるやつをメスの中に入れると瞬間に威張るからね、おれはオスだって。それくらい敏感なものですよ」
そう笑いながら語る浅野さん。苦労したと言いながら、子育てを楽しんだ親のような充実感が伝わってきました。

江戸の軍鶏の味を知る老舗料理店

「東京しゃも」の開発事業を助けたのは、中央区人形町にある老舗鶏料理店「玉ひで」です。創業250年超。江戸時代から代々本物の味を引き継いできた同店は、軍鶏の味を厳しく審査。それについても浅野さんは感慨深げに語ります。
「先代店主はいい江戸っ子でね、よくうちに来ていろいろ教えてくれたんだ。われわれは江戸時代の軍鶏なんて知らないので、改良しようにも目標がない。だから来てもらって、足の色から何からみんな文句言われてね、それで作ったのが今の東京しゃもなんです」。

生産組合が指定した卸問屋、小売店のみで流通

現在、生産農家は秋川、青梅、あきる野の多摩地域で4軒。ローテーション数は5軒。浅野さんが2軒分を担当しています。
浅野養鶏場の鶏舎には生後1カ月のヒナから出荷直前の体重3キロほどの成鳥がケージの中でずらりと並んでいます。目つきは多少優しいものの、引き締まった筋肉質の身体、精悍なその立ち姿は軍鶏そのものです。
平飼い(地面を歩けるように飼育していること)できないため、地鶏には区分されず、東京都の銘柄鶏(餌を工夫したりして、味を高めたもの)として認定。生産組合が指定した卸問屋、小売店のみで流通させ、伝統を背負った東京しゃもの価値を守り続けています。

浅野養鶏場

http://asano-poultry.com/

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