日本酒において二番手だったお米
「“Rice is the essence of it all” 原料に勝る技術なし」。京都市伏見区の「松本酒造」の日本酒「澤屋まつもと」の裏ラベルには、そう書かれています。
兵庫県加東市東条地域、秋津地区内の西戸(さいど)で作られた山田錦だけを使った日本酒、同地区の古家(ふるけ)で作られた山田錦だけを使った日本酒など、同じ品種でも栽培地域によって仕込みを分けた商品からは、原料であるお米を重要視している姿勢が感じられます。さらに、「酒米の育った環境まで、酒米の身分証明ができる日本酒」というコンセプトのもと、IDでナンバリングした田んぼ別の日本酒も造っています。「澤屋まつもと」に限っては2015年から「純米大吟醸」「純米吟醸」などの特定名称酒表示を廃止しました。
「これまでの酒蔵は考え方とか技術とか、そういう売り文句ばかりで、一発目のフレーズに『米』がなかった。だから日本酒を飲む人たちの価値観の中で、日本酒においての米は二番手になっていました」。そう話すのは、松本酒造取締役で杜氏の松本日出彦(まつもと・ひでひこ)さん。「使っている米の品質はやはり大事。だから、造り方で推していくよりも、米の品種名と産地を表記して、とにかく米で推しています。酒に使っている産地の米の認知度や価値が上がっていき、他の酒蔵でも同じような動きが出てくれば、日本の各産地が盛り上がってくるのではないか……という仮定のもとでやっています」
日本では食というカテゴリーの中で相対的にお米というものに対する興味が薄れているからこそ、もはや大きなうねりを起こさなければお米の再興は実現しないと松本さんは考えています。
お米は “プリマドンナ”がうたう“舞台”
お酒は水とお米が原料。水に米麹(こうじ)と蒸米を入れて、酵母を加え、お米のデンプンを麹菌が糖化していく過程でできた糖を酵母が食べてアルコールに変わります。お米と水だけで調理するごはんと違って、日本酒は麹や水や酵母、酒母などさまざまな要件が重なってきます。では、使うお米の違いは日本酒の味にどれほど影響があるのでしょうか?
「割合で言えば、お酒の85%は水。米は15%しか影響しません」と話すのは、松本酒造・製造部特別顧問の勝木慶一郎(かつき・けいいちろう)さん。たった15%というと、お米の影響は少ない印象を受けますが、勝木さんは「今は明確に言うことができないというのが正直なところですが……」と言いつつも、「産地や品種によっては明確に違います」と断言します。
日本酒においてのお米とはどのような立ち位置なのでしょうか。この疑問に対して、勝木さんは「オペラ」にたとえて説明します。
「オペラのプリマドンナ(主役女性歌手)は日本酒で言えば酵母。でも、プリマドンナはどこでも良い歌を歌えるわけではありません。酵母がいくら歌を歌いたくても、劇場が良くないとダメ。ミラノのスカラ座、パリのオペラ座というような良い舞台があるからこそ、良い歌を歌える。スカラ座やオペラ座は日本酒で言えばお米です。造り手は、良い技術、良い酵母、良い麹を使う、良い酒母を使うから良い酒ができると勘違いしがちですが、良い酒をもたらす理由は、目の前にあるお米(舞台)においていかに演出するかということなのです」
一流料理人も良くない材料でおいしい肉ジャガは作れない
しかし、一般的に味の8割は香りが決めていると言われています。舞台(お米)はプリマドンナを輝かせる縁の下の力持ちではあっても、やはりスポットライトを浴びるのはプリマドンナ(酵母)なのでしょうか。
「味の違いの由来は、お米の品種や産地なのか、作り手の技術なのか、作り手の考え方なのかを整理して考える必要があります」と松本さん。「たしかに酵母や米麹による表現の影響が出てくると、原料(お米)の違いはマスキングされて見えにくくなります。品種による味の違いに対する米の要素が占める割合はどれくらいかを考えると、そんなに大きくはない。大きくはないけど、必ず違いはある。もっと言えば、米の同じ品種で同じ村の中でも植わっている場所で確実に違いはあります」(松本さん)
原料(お米)の位置づけについて、松本さんは日本酒を肉ジャガに例えて説明してくれました。
「同じ肉ジャガでも、甘い肉ジャガや、しょっぱい肉ジャガなど、いろいろな肉ジャガがあります。でも、どこで栽培されたどういうジャガイモを使うのか、どう育てられたどういう牛肉を使うのかが重要だと思うんです。傷む寸前のジャガイモとパサパサの牛肉を使って一流料理人が究極においしいレシピで作った肉ジャガと、最高においしいホクホクのジャガイモと絶妙に熟成した牛肉を使って近所のおばちゃんが作った肉ジャガだったら、後者の肉ジャガのほうが絶対うまい。日本酒も同じです」
とは言え、松本さんが言いたいのは、日本酒のベースであるお米の重要性であり、お米の質さえ良ければ酒造りの技術がいらないと言うことではありません。松本さんによると、従来の酒造りは、品質の良くないお米でもいかに良い酒を造るかを考えて技術を磨いてきた面もあるということですが、これからの酒造りはお米が育った気象条件や品質などを熟知した上で精米や仕込みのアプローチを変えて行く必要があるのだと言います。
「良い舞台装置、良い演出者、良い歌い手がかみ合って初めて良い舞台になるように、お米と造り手がかみ合ったときに、ものすごく良い酒になる。私たち日本酒の造り手はお米を選んでいると思いがちですが、お米が造り手を選んでいるのです」と勝木さんが強調するように、お米の個性やポテンシャルを引き出して生かすのは造り手次第なのです。
「お米の違いで生まれるささいな違いに大きなロマンをイメージする」
実際に、松本酒造の「澤屋まつもと 守破離(しゅはり)」3種類を飲み比べてみました。酒米はそれぞれ、兵庫県JAみのり管内産「山田錦」、富山県南砺(なんと)市産「五百万石」、岡山県赤磐(あかいわ)市産「雄町(おまち)」。精米歩合は少しずつ違うものの、酵母と水は同じ。山田錦はお米の味が濃くコクがあり、五百万石は少しフルーティーかつジューシーでほのかな酸味があり、雄町は甘さも酸味も控えめできれいな味わいがあるなど、それぞれ味わいが違いました。
「お米の違いで生まれるささいな違いに大きなロマンをイメージする。それが、私たちがやっている本質です。違いがあるからこそ、もっと本質的に美しいものだったり、よりおいしく感じる要素だったり、お酒を造っていく上でまだ見えてない何か、これから見つけていかなければいけない何かが見えてくるんじゃないかと思っています」と松本さん。
兵庫県・東条産「山田錦」の精米歩合を高めアルコール度数を13%と低めに造った「Kocon」は、「松に古今の色なし」という禅語から名付けた日本酒。ラベルには、松が描かれています。松の葉はすべて同じ緑色に見えても、新しい葉もあれば古い葉もあるように、実はそれぞれに違いがありながらも松として存在している。日本酒にも同じようにさまざまな表現や味わいがある。松本酒造の姿勢を体現したような商品名とデザインです。
松本さんは「売れる日本酒が正解だとするならば、みんな同じような酒を造ります。酒店へ行って、『今一番売れている酒はなんですか』と聞いて、『こういうお酒やで』って言われたような日本酒を造る。けど、私はそこにはまったく興味がありませんでした」と言います。「そんなことよりも、ほんまにおいしいお酒とか、お米からお酒を造る意味とか、自分が思うことをどう日本酒に落とし込んだら飲み手に感じてもらえるか。その挑戦を自分の中で続けています」
今年の春からは、松本さんみずから西戸で山田錦の栽培をスタート。お米の種もみから日本酒までを一貫して手がけることで、「日本酒の本質が田んぼの稲穂にあることを追究する」と松本さん。土壌や気象条件、水温、肥料など、田んぼを丸ごと熟知した上で、そこで育ったお米をいかにピュアにダイレクトに表現できるか。“お米の個性を味わう酒”を造る挑戦は、次のステージへ進み始めています。
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