地産地消はいいことだけど……
地産地消はどんな街でも歓迎される活動です。それに反対する人はいません。
「とても良い活動ですね!」みんながそう言ってくれます。
しかし、それこそが地産地消の落とし穴。
実際のところ、地産地消を掲げて活動を始めてはみたものの、なかなか広がらなかったり十分な収益があがらなかったりする活動が多い──それが日本の地産地消の現在地かもしれません。
連載の最終回である今回は、これまでの記事の「用語メモ」をいくつか振り返りつつ、地産地消の落とし穴を再点検していきたいと思います。
結論を先に言えば、地産地消という理念は素晴らしいものなのですが、理念だけでは広げることができない、ということです。
落とし穴その1 なんとなく、価値があると考える
私たちは、地産地消だから買ってくれる、なんとなくそう信じていないでしょうか?
地産地消は素晴らしい活動だ、街の活性化のために協力したい、そう言ってくれる人たちは一定数います。けれども、それが本当に収益につながるだけのマーケットの大きさかといえば、そうではない街が大半です。
つまり、地産地消を展開している人や団体の周囲に、一定の応援者がいるために、「地産地消はみんなにとって関心があることだ」となんとなく信じてしまう。そういうことになっていないでしょうか?
実際のところ、フェアトレードの商品やオーガニックの商品と同じように、地産地消というだけでは、マーケット的にはさほどインパクトがないという“耳が痛い”事実を受け入れることが必要です。
連載の第4回では、農商工連携における商品開発を取り上げて、以下のような解説をしました。
ありがちな商品群がダメということではないが、以下の商品は「おいしくて当たり前」なので、たくさん売ろうとすれば「ものすごくおいしい」必要がある。誤解を恐れずにいえば、ジャムをまずく作ることは難しい。しかし、ものすごくおいしく作ることも難しい。単なる「おいしい」と「ものすごくおいしい」の間には天と地ほどの差がある。差別化につながる「核」はなにか、ということを吟味する必要がある。
【農商工連携にありがちな商品群…ジャム、ジュース、お酒、ピクルス、みそなど】
地産地消のプロジェクトが、「ものすごくおいしい」ものを目指さないとすれば、その前提には「地産地消だから、そもそも良い商品なのだ」という、ある意味での甘えがある可能性があります。
しかし、実際には、地産地消だからというだけで買ってくれるというマーケットは決して大きくありません。
地産地消活動は、別の価値を市民に提供しなくてはならないのです。
落とし穴その2 なんとなく、自治体とランデブー
地産地消では、自治体に伴走してもらうことは大事な戦略です。
しかし、明確な方針なく、自治体となんとなく協業しているという形になっているとデメリットも目立ってきます。公的な組織であるがゆえの、硬直性や前例主義という問題が発生します。
連載の第5回では、以下のような用語解説をしました。
多くの地産地消事業は、行政の補助金を活用しているために、地場産品以外のものを売ることができなかったりためらわれたりするケースがある。しかし、それでは消費者や飲食店にとって不便なものになり、かえって支持が広がらなくなってしまう。
本当に売れる商品の開発には時間がかかるのは当然である。そして、開発に時間がかかるということと完全に矛盾するのが、年度単位の行政の補助金である。年度単位であるため、スケジュールありきで商品開発が進んでいく。スケジュールが先に決まった状態でヒット商品が作れるのであれば、だれも苦労はしない。
このようなデメリットも大きいため、行政に伴走してもらいながら地産地消を進めていくには、高度な戦略性が必要になってきます。
また、第7回では、自治体が推進する計画の落とし穴について指摘しました。
自治体は素晴らしい地産地消の計画を持っていることが多いのですが、残念ながら、リソース(資源)の裏付けがない場合が多く、そのため計画倒れに終わるリスクが大きいです。
落とし穴その3 なんとなく、突き進む
最後の落とし穴は、戦略性のなさです。
地産地消活動は素晴らしい理念を持っています。しかし、理念が良いものであるがゆえに、戦略を軽視してしまいがちです。「やろう、やろう」とみんなで盛り上がり、その結果、なんとなく突き進んでいく──そういうことになっていないでしょうか。
戦略性がないとは、具体的には、以下のような観点が抜け落ちていることを指します。
・短期、中期、長期の時間軸を考える
・デメリットやリスクをあらかじめ評価する
・冷静な目でそろばんをはじく
たとえば、第6回では、マルシェや青空市といった施策の採算性を点検しました。そして、イベント疲れに陥っている状況を「ブラックマルシェ」と呼びました。
また、戦略がないまま突き進んでいると、協力者をなんとなく選んでしまう、ということも起きがちです。第8回ではパッケージデザインを取り上げるなかで、そのリスクを指摘しています。
地産地消プロジェクトでは、デザイナーに限らず、業者の選定プロセスがおざなりになりやすい。誰かの知り合いだという理由や自治体がよく発注している先だという理由だけで選ばれることが多発、結果として、原価が高くなりすぎたり品質が不満足なものになったりする。売れる商品にするためには取引先は慎重に選ぶ必要がある。
冷静なそろばんという観点でいえば、端境(はざかい)期の存在は無視できません。
産地リレーがない地産地消活動では、品物が少ない時期が必ずあります。その時期をどう乗り切るのかは切実な課題となります。ちなみに、第5回では卸売市場を活用した「ハイブリッド型地産地消」の事例を紹介しました。
このように、なんとなく突き進んでいってしまう理由には、みんなが地域を盛り上げようと活動しているなかで、ひとりブレーキを踏みにくいという状況もあるでしょう。しかし、プロジェクトの成功のためには、必要に応じて立ち止まり、冷静に全体を見渡すことも大切です。
【ここまでのまとめ】地産地消活動の3つの落とし穴
1. なんとなく、価値があると考える
2. なんとなく、自治体とランデブー
3. なんとなく、突き進む
地産地消、その目指すところ
日本の地産地消について考察してきたこの連載の最後に、書いておきたいことがあります。
その活動の目的を見失っていませんか、ということです。
第1回では学校給食を取り上げながら、学校給食での地元農産物の使用率アップが目的化している現状について書きました。学校給食で地元農産物を使う意義は、使用率だけでは語れないはずなのですが。
結局のところ、私たちはなんのために地産地消活動を行うのか。その原点、その初心から離れないようにしたいものです。
地産地消の目的は、「地元の農産物を消費すること」ではなかったはずです。
私たちの真に目指すところは、「地元の農産物を活用することで、誰かを幸せにすること」ではないでしょうか。
そして、人が幸せをどのような時に感じるのかといえば、心を動かされたとき、感動したときです。
人は、地産地消の素晴らしい理念を言い聞かされても感動したりはしません。人を感動させるものは、文字に書かれたものではなく、別の何かです。その何かとは、ある種の楽しい体験であったり、驚くような発見であったり、あるいは圧倒的なおいしさかもしれません。
そして、人々は感動すれば、それを友人や家族に広めてくれます。感動を生むことは素晴らしい宣伝にもなって好循環ができるのです。
すなわち、地産地消活動とは、「感動創造活動」だ。
この点を指摘して、この連載を終えたいと思います。